第77話 本当の気持ち

 二泊三日の夏合宿はあっという間に終わりを迎えて、名残惜しくも帰る日がやってきた。


 "オカルト研究会の心霊スポット巡り"という名目ではあったものの、ほとんどオカルトとは関係ない遊びをしていたと言っても過言ではない。


 課外活動というより、もはやただの旅行だった。

 活動報告とかどうするんだろうか……というお節介は一旦さておき。


「二色さん、気分の方は大丈夫そう?」


 ベッドに横たわる私を、咲間先生が心配そうに見ている。

 先生の背後からひょっこりと顔を覗かせている木崎さんも同じような表情をしていて、少し離れた場所には気まずそうに目を逸らしている雪平がいた。


「あー……なんとか。すみません、帰る直前にこんなことになっちゃって」


 意外にも全員が私の様子を見に来てくれて、心配してくれているんだなと実感しつつ、とても申し訳ない気持ちになった。


 みんなはすでに帰り支度を済ませている。

 合宿最終日の予定としては、朝食を食べた後に少し自由時間を挟んでから、杏華さんが車で送ってくれることになっているのだけど……。


「謝らないで! どれだけ気をつけても、体調崩しちゃう時はあるんだから。今はとにかく安静にして、少しでも早く回復させること」

「夏風邪、かな……? 二色さん、あんまり無理しないでね」

「……お前、今まで風邪なんか引いたことなかっただろ」


 ぶっきらぼうに言い放つ雪平の言葉に、何も反論できず苦笑する。


 先生たちとは反対側のベッド横で、椅子に座り私を看てくれている杏華さんが、安心させるような微笑みを浮かべた。


「彼女はこちらで責任を持って看病いたします。朝食をご用意しましたので、皆さんはどうぞお先に召し上がってください。――奏向さんは体調が戻り次第、ご自宅までお送りしますね」


 屈託のない笑顔を向けられて、堪らず目を逸らした。


 一体どういうことになっているのかというと、修学旅行とかの最終日に体調不良になって帰れなくなるという事態が、今まさに私の身に起こってしまっている――というのは嘘だ。


 風邪を引いて寝込んでいるのはつまり、演技というわけで。

 仮病を使っていることを知らないのは、この場にいる杏華さん以外の三人。


 彼女たちを騙して心配させるようなことをしてしまい、非常に心苦しいのだけど、わざわざこんな芝居を打つのにはもちろん理由がある。


 杏華さんの言葉を素直に受け取った咲間先生が「よろしくお願いします」と頭を下げて、三人は部屋を後にした。

 完全に気配が遠のいたことを確認し、私は緊張の糸が切れたように脱力する。


「そういえば、ご友人方に奏向さんとお嬢様の関係を明かされていないのでしたね」

「まぁ……はい」


 噂が巡り巡って、とんでもない尾ひれがついてしまうかもしれないし。

 何より、夕莉が私たちの関係を口外したがらないみたいだから。


 苦笑を浮かべる私を見て、杏華さんが何かを悟ったように小さく頷いた。


 先生たちからは、夕莉に誘われてただついてきただけだと思われているけれど、彼女は元々の予定として一週間別荘に滞在するため、付き人である私も引き続き残らなければならない。


 で、そんな私の事情を知らない先生たちに怪しまれることなく、ここに留まる口実が作れないかと考えたところ、仮病を使おうという結論に至った。


「奏向さんは一応病人ということになっていますので、しばらくこちらでお休みいただくことになってしまいますが……」


 適当な言い訳でこの状況を作ったのは私なのに、仮病の設定を守るため身動きがとれないことを心配してくれている。

 部屋にいなければいけないといっても、数時間程度なのに。

 ほんと、気遣い上手で優しいな……。


「全っ然大丈夫です。みんなが帰るまで寝てるんで。……口裏合わせていただいてありがとうございます」

「貴女のお願いであれば、喜んでお引き受けいたしますよ。それでは、お昼頃に出発する予定ですので、それまでに何かありましたらチャットで遠慮なくお申し付けください」


 杏華さんは椅子から立ち上がり私に向かって一礼した後、部屋を出て行った。

 一人になり、さっきまで賑やかだった空間が一気に物寂しくなる。


 杏華さんの作った朝ご飯食べたかったなーと密かに悔やみながら徐々にうとうとし始めた時、チャットの通知音が鳴った。

 枕の横に置いていたスマホを手に取り、内容を確認する。


『あとで写真いっぱい送るね! お大事に』

『早く治せよ』


 木崎さんと雪平からのメッセージだった。

 文面にそれぞれの性格が表れていて、思わず顔がほころんだ。

 二人の厚意は純粋に嬉しいけれど、騙しているという後ろめたさに心が痛む。


 そんな気持ちを誤魔化すように、スマホを枕の横に戻して布団の中に潜った。




 落ちていた意識が、少しずつ覚醒していく。

 そういや、かくかくしかじかで二度寝したんだったと、ぼんやりする頭で記憶を掘り起こしていたら、私の体に重みのある何かが乗っかっている感覚がした。


 脚……お腹辺り、だろうか。

 苦しさまでは感じないが、ホールドされていて寝返りが打てず、何となく心地悪い。


 この重みの正体が何なのかを確認するため、意を決してゆっくりまぶたを開いたら。


「…………ん?」


 私の上に――夕莉が馬乗りになっていた。


「…………」

「…………」


 寝起きということもあり状況が飲み込めず、見つめ合ったまま沈黙が流れる。


 どうして夕莉が……という疑問と同時に、またベッドに不法侵入してるんですけど、と彼女の奇行に呆然とさせられる。


 言葉が出ない私を見下ろしている夕莉の無表情には、どこか不満げな色が表れていた。

 そして口火を切る。


「いつまで寝ているの」

「えーと……今何時?」

「十五時」

「……うわ、マジか」


 お昼をとっくに過ぎて、おやつの時間になっていた。


 夕莉の機嫌が悪い原因は、私が寝過ぎたことかもしれない。

 その間に、料理のお手伝いとか掃除とか夕莉の暇つぶし相手とか、いろいろできただろうに。


「みんなは?」

「帰ったわ。杏華が車で送ってる」


 そりゃそうか。もうこの時間だし。

 私もそろそろ起きないと……と思ったけど、夕莉が乗っていて動けないんだった。


「ちょっと……降りてくれる?」

「それは無理なお願いね」


 なぜか即答で拒否した夕莉は、私のお腹に手を置いて前屈みになり、悪戯を企んでいるような目を向ける。


 その魅惑的な姿に、体温と心拍数が一気に上昇して、顔が熱くなった。

 かなり攻めた体勢に、脳が警鐘を鳴らしている。

 こんな状態で襲われたら、理性が壊れてしまうと。


 だぼっとしたゆるいシャツを着ているせいか、胸元が際どいほど露出している……というより、もはや見えて…………待って。この子、下着着けてない――


「どうしても降りてほしいのなら、力尽くで私を退かしてみる?」


 動揺しきった私の反応を面白がっているかのように、僅かに口角を上げた。

 完全に弄んでいる。


 目のやり場に困って、しきりに視線が泳いでしまうという情けない様を晒してしまっている時点で、からかわれるのは必然だった。


 だって……寝起きにこの光景はさすがに、刺激が強すぎて……。


 夕莉は自分が今どんな格好をしているのか、自覚したうえで無防備な姿を見せつけているのだろうか。

 加えて、私からは手を出せないことを知りながら、力尽くでどうにかしろと無茶振りしてくる。


 ここに来てから、ずっと夕莉に振り回されっぱなしだ。

 車の中で手を繋いだり、海辺で迫られたり、ベッドに忍び込んできたり。

 どうして私を誑かすような真似をしてくるの――


「……っ!?」


 どうにか夕莉を退かす方法を探そうとするも、為す術なくただ困惑していたら。

 前屈みになっていた夕莉が少しずつ近付いてきて、自身の体を押し付けるように覆い被さってきた。


 ……やばい。故意じゃないとはいえ谷間を覗いてしまったせいで、どうしても胸に意識が向いてしまう。

 体へのしかかる重み――それだけでなく、すぐ目の前に夕莉の顔がある。


 お互いの鼻先が触れて。

 視線が絡み合い、息が止まる。

 私を見つめる官能的な眼差し。

 彼女の吐息が唇の上を撫でるたびに、理性のタガが一つずつ外れていく。


 ゆっくりと顔を傾けた夕莉は、さらに距離を近付けて。


「奏向――キス、してもいい……?」


 艶かしく囁いた。


 重なる、とまではいかずとも、唇同士が軽く触れている。

 してもいいかと確認しておきながら、その口はすでに私の唇を押し潰す寸前だった。


 多分、以前の私なら死に物狂いで夕莉からの誘惑を避けていたと思う。


 だけどもう、逃げないと決めた。


 もしもこの行為が、私に心を許している証なら。

 その気持ちに正面から向き合うことが、私の思いを彼女へ伝えるきっかけに、ひいては彼女の思いに応えることに繋がるはずだから。


 夕莉の唇が動いた瞬間、布団越しに彼女の体を抱えて、素早く横に倒す。

 その勢いで、今度は私が夕莉の上に覆い被さった。

 まさか自分が下になるとは思っていなかったようで、驚いたように目を丸くしている。


 ――形勢逆転。そして、


「キスなら――私からさせてよ」


 挑発するように笑った。


 直後、夕莉の顔が真っ赤に染まる。


 さっきまでの妖艶な雰囲気はすっかり消えていた。

 恥じらいを隠すように顔を背けるものの、いくら視線を外したところで私に見られているこの体勢からは逃げられない。


 よほど恥ずかしいのか、しまいには腕で顔を隠してしまう。

 耳まで赤くなってるから、あんまり意味ないんだけど……。


 立場が逆転した途端、ここまで態度が変わるとは。

 仕草や反応が可愛くてもう少し眺めていたいけど、この状態のままだと可哀想だから大人しく引こう。


「あはは……冗談だって」


 夕莉の上から退く。

 本当に私からキスなんてしたら、今後の処遇に大きく響くかもしれない。

 というかクビになるかも。


 そんなリスクは重々承知している。

 けれど心の奥底では、本音を否定して無理やり嘘をついているような感覚に、どこかモヤモヤしていた。


 とりあえず今は、夕莉の誘惑に打ち勝った自分を褒め称えたい。


「夕莉……大丈夫?」

「…………」


 何で私の方が気を遣ってんだろ。

 心乱されたのはこっちなのに。


 彼女の言う通り、力尽くで退かした。

 でも布団越しだし、直接触れたわけじゃないから大丈夫、だよね……?


 ダメならダメと言ってほしいのに、相変わらず夕莉は頬を紅潮させたまま私の方を見ようとしないどころか、口も利いてくれない。


「おやつの時間だから、何かお菓子でも作ろうか」


 居た堪れなくなり、適当に思いついた提案をする。

 未だ私に背を向けている夕莉の姿に苦笑しながらベッドを降りて、先にキッチンへ向かった。




 あまり製作時間のかからないお菓子にしようと思い、手軽に作れるクッキーを焼いていたら、意外にも夕莉の方からやって来てくれた。

 幾分か顔の赤みは引いたようで、いつもの無表情に戻っている。


 匂いに釣られたかのように焼きたてのクッキーを凝視したあと、無言でテラスへ行ってしまった。

 なるほど、あそこで食べたいのね。


 アイスティーと焼き上がったクッキーをテラスまで運ぶ。


 眼前には、壮大なオーシャンビュー。

 そして、広々としたウッドデッキに設置された一台のテーブルと二脚のガーデンチェア。

 その椅子の片方に夕莉は座っていた。

 私も彼女の隣にある椅子に腰を下ろす。


 差し出されたクッキーを摘み一口かじった夕莉は、ぽつりと感想をこぼした。


「……おいしい」

「ほんと? 口に合ってよかった」


 表情にこそ表れないものの、黙々とクッキーを食す様子から気に入ってくれたのだと察する。


 ちまちまとかじっている姿が小動物みたいで可愛くて、無意識に横顔をじっと眺めていたのだけど。

 ふと夕莉の唇に目がいってしまい、咄嗟に視線を逸らす。

 ……危ない。体の熱がぶり返すところだった。


「最近の夕莉は、素直だね」


 何気なく、そう口にしていた。

 からかうためとか、そんなおふざけは一切なく。

 大胆な言動が目立つけれど、それは"素直"の裏返しなのかなと思って。


 純粋に嬉しくて出た言葉に、夕莉が反応して私を見る。

 照れたように視線を落として、しばらく沈黙したあと、おもむろに口を開いた。


「……ここには、夏休みに気分転換として遊びに来るのだけど……ある意味、療養目的でもあるの」


 "療養"――突然明かされて少し驚いたけれど、何となく心当たりはある。


 きっとデリケートな事情のはずなのに、自ら話してくれたことが嬉しかった。

 信頼されているような気がして。


 いつになく真剣な雰囲気に、私も気が引き締まる。


「ずっと、張り詰めていた。……人と関わるのが怖くて、心の内側に踏み込むのも、踏み込まれるのも怖かった。ただ生きるのに精一杯の日々で……生きることすら、辛いと感じてしまうこともあって」


 この僅かな告白から夕莉の背負っているものを垣間見たようで、チクリと胸が痛くなる。

 私は本当に、何も知らないのだと。

 今の彼女についても知らないことはまだまだあるのに、昔のことなんてなおさら。


 その様子から、過去に何かがあったことは明白だった。


 しかし、「でも」と続ける夕莉の表情は、心なしか晴れやかで。

 顔を上げて遠くを眺めるその目は、どことなく柔らかかった。


「奏向と出会ってから、変わった。あなたの声を聞いたり、笑顔を見たりすると、すごく安心する。あなたが隣にいると、毎日が……楽しいと思えるの。だから――」


 正面を向いていた夕莉が、私に向き直る。

 見つめる眼差しは温かく、無表情だった顔には優しさが滲む。


 今度は決して目を逸らすことなく、真っ向から私を見据えて、


「いつもありがとう」


 穏やかに、笑った。


 ――ああ、そうか。やっぱり、そうだ。


 夕莉の笑顔を見て、確信した。

 私の中に抑え込んでいた本当の気持ちの正体が、何なのかを。



 夕莉に対して、特別な何かを抱くことはないと思っていた。


 彼女は私を付き人として雇った雇用主。

 私はお金のために、与えられた責務をただ果たすだけ。

 たとえ同じ学校に通う同級生だとしても、私と夕莉は雇用契約で結ばれただけの表面的な関係にすぎない。


 だから、どんな事情があってもお互いに深入りはしない。

 相手の感情や機嫌を気にすることもしない。

 そう、決めていたのに。


 いつからか、抱いてはいけない感情を夕莉に対して無意識に抱くようになっていた。


 平日、私が帰った後は家で何をしているんだろうとか、休日はどんなことをして過ごしているんだろうとか、ふとした瞬間に思いを馳せたり。


 私以外の人に見せたこともない表情で接したりするのかな、もしそうだったら嫌だな、なんて勝手に嫉妬したり。


 今日は態度が冷たいなと思ったら急に甘えてきて、かと思えばまた素っ気なくなって。

 感情が常に一定であるように見えて、実はちゃんと起伏があったり。

 そんな気まぐれなところも、仕方ないなと許してあげたくなる。


 素直な思いを真っ向から伝えてくれるところとか、距離感が時々おかしくなるところとか、スキンシップに遠慮がないところとか。

 心臓がきゅっとなるようなことを平気でしてくるけれど、それだけ私に心を開いてくれているんだと、すごく嬉しくもあって。


 冗談でからかった時の、僅かにムッとしたいじけ顔も。

 好物を作ってあげた時の、嬉しそうに少しだけ目を細めるご満悦顔も。

 私が正直な思いを伝えた時の、視線を逸らして頬を赤らめる照れ顔も。

 普段の無表情からは想像もできないような、優しくて見惚れるほど綺麗な笑顔も。

 全部、可愛くて愛おしくて、仕方がない。


 見つめられるだけで、体が熱くなってドキドキする。


 本当はもっと触れたい。

 ずっと傍にいたい。

 誰にも渡したくない。

 彼女の中の一番が、私であってほしい。

 そんな身勝手な願望がとめどなく溢れてくる。


 今までずっと気付かないふりをして、向き合おうとしてこなかった。

 だけどもう、この気持ちを抑えられない。


 こんなにも思い焦がれて心惹かれる人は、これまでもこの先も、彼女以外にいない。



 私は、夕莉のことが――好きなんだ。

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