第74話 肝試し(1)
あまりに眠れなくて、一睡もしないまま朝を迎えるかもしれないと思っていたものの、知らぬ間に意識を飛ばしていたようで。
目を開けた時、部屋の中はカーテンの隙間から漏れる光でうっすらと明るくなっていた。
と同時に、視界に入ってきたのは、ぐっすりと眠っている夕莉だった。
夜中、辛そうにしていたのが嘘のような、あどけない寝顔をしている。
お互い向き合ったまま寝落ちしたらしい。
……にしても近い。
まさに吐息のかかる距離で、長い睫毛もきめ細かい肌もはっきり見える。
何のフィルターもなく、間近で見ても全ての素材が綺麗に映るなんて、これこそが天性の容姿なんだろうな……。
夕莉が起きないのをいいことに、じっと彼女の顔を観察してみる。
触れることがルール違反になるのなら、せめて見つめるくらいは許してほしい。
今だけは、夕莉の寝顔を独り占めしたい――
「…………?」
寝起きでぼやっとしていた頭が少しずつ覚醒し始めて、私自身の置かれている現状をようやく把握した時。
一瞬で目が覚めた。そして気付く。
私の腕が、夕莉の腰に回っていることに。
まるで、私が自分から夕莉を抱き寄せているかのような体勢。
全く身に覚えのない行為に、思わず緊張が走る。
「……ん……」
早く離れるべきなのに動揺で体が動かない中、眼前で眠っていた夕莉がそっと目を覚ます。
俯きがちにゆっくり瞬きを繰り返してから顔を上げると、がっつり目が合った。
「…………」
「…………や、ちがっ……これは……」
慌てて腕を浮かせて、体を引く。
あくまで私は何も手を出していませんよ、と意思表示するために。
ここまでくっついておいて誤魔化しが利くとも思えないけれど……。
とろんとした眠たげな目でしばらく私を見つめた後、夕莉はもぞもぞと体を動かして私に抱き付いてきた。
ちょっとッ……これじゃあ離れた意味がない……!
動揺の声を上げる暇もなく、今度は首に顔を埋めてくる。
そして何の迷いもなく、かぶり付くように唇を押し当てた。
「なっ……!?」
寝惚けている、と信じたいけれど、あまりにも流れが自然すぎて故意にやっているのではないかと疑ってしまう。
しかも、口を付けているのが首筋の特に弱いところ。
集中的にそこばかり甘噛みされて、つい声が出そうになる。
この子……絶対わかってて攻めてるでしょ……!
「夕莉ッ……! もう朝だから! いい加減に――」
「……夜ならしてもいいの?」
「はぁ!? そういうことじゃな……って、起きてるなら離れてよ…………暑いし」
「誘ったのは奏向の方でしょう」
「私がいつ誘ったってのよ!?」
「今さっき」
「あれは断じて違います」
夕莉を抱き締めるような体勢になっていた、ついさっきのことか……。
あの時もう意識があったってわけ?
それなら、どうして気付いていた上で注意しなかったんだろう。
まさか、いざという時の証拠を握るために、あえて見逃していたとか……。
「じゃあどういうつもりで、私に触れていたの」
「そんなの私が一番知りたいってば……。気付いたら、腕があの位置にあったというか……触れてる認識がなかったというか……」
「無意識、ということ?」
「…………多分」
仮に、天地がひっくり返ってもあり得ないけれど、天文学的な確率で私が夕莉を、その……誘ったとして。
今みたいに遠慮なくしてくるのは、さすがにどうかと……。
もうちょっと躊躇ったりしてもいいんじゃないかと思う。
誰にでもそういうことできちゃうのかなって、不安になるというか……。
「大体、先に来たのは夕莉の方でしょ。勝手にベッド入り込んで、挙げ句人の体、を……」
少なくとも意識している相手からあんなことをされて、平常心を保っていられるはずがない。
今だって心臓がバクバクで、顔を合わせることすら恥ずかしいのに。
「だめ……?」
「あ、当たり前でしょーがッ!」
悪びれる様子もなく無表情で訊いてくるあたり、夜中に人のベッドへ忍び込む奇行を素でやっていたということなんだろう。
本当に信じられない。
出会った当初の夕莉なら考えられないほどのとち狂った行動だ。
心を開いた相手にはこうも積極的になるなんて、普段の彼女と違いすぎてほとほと驚かされる。
昨夜はそれが特に顕著だった。
「奏向は、嫌だった?」
「うっ……」
抱きついたまま上目遣いで見つめてくるのは反則すぎる。
別に……嫌じゃなかった、とか言ってしまった暁には、調子に乗ってまた侵入してきそうだし。
私を弄んでいるのか、元々そういう変な習慣があるのか。
どちらにしろ、そう易々と夕莉の過剰なスキンシップを受け入れるわけにはいかない。
勢いで流されそうになったことも、つい最近あったけれど……。
こっちだって理性を保つのに必死なんだから。
「とにかくっ! 起きたんならもう自分の部屋に戻んな、ほら」
「…………」
ジト目で私を見上げた後、渋々背中に回していた腕を離した。
その隙に素早く起き上がり、さりげなく距離をとる。
また手を引っ張られでもしたら、次こそ何をされるかわかったもんじゃない。
警戒する私を一瞥することもなく、夕莉はのそりと起き上がり、気が抜けたように下を向いていた。
「……あ、まだ……具合悪い?」
元気がないように見えてしまい、ふと昨夜の様子を思い出す。
結局、苦しそうにしていた原因が何なのかはわからないまま朝になってしまったけれど。
当の本人は心当たりがないような雰囲気で、小さく首を傾げる。
「具合……?」
「覚えてない? 夜中にうなされてたけど」
「…………そうね」
思い出したのか、目を逸らしながらぽつりと声を落とした。
自分のことのはずなのに、なぜか他人事のような態度で、無表情のままジッと前を見ている。
しばらく沈黙した後、私に振り向いた夕莉はほんの僅かに口角を上げた。
「あの後はよく眠れたから。もう大丈夫よ」
「そっか。……なら良かった」
気のせいかもしれないけれど、無理に取り繕ったような顔をしていた。
あまり触れてほしくない事情でもあるのだろうか。
雰囲気的に、これ以上は言及しない方がいいかもしれない。
でも、やっぱりあの事実を無視することはできないし……後で杏華さんにこっそり訊いてみようかな。
なんて考えていたら、夕莉がぐいっと顔を近付けてきた。
「奏向……また、ここに来てもいい?」
甘えるように見つめてくる目が本当にずるい。
正直なところ、"いいよ"とも"ダメ"とも言えない。
快く受け入れてしまったら満更でもないと思われそうだし、はっきり断れば傷つけてしまいそうで。
けれどもし、一人でまた悪い夢にうなされてしまうのなら放っておけない。
「……どうせ、何言ったって勝手に来るんでしょ」
だから今は、あやふやな答えしか返せなかった。
誤魔化すように苦笑した私を、夕莉がどう捉えたのかはわからないけれど。
「――うん」
満足したように頷いてくれた。
素直な彼女を見るたびに、胸が締め付けられるような痛みを覚える。
日を重ねるごとに新たな一面を見せてくれることを嬉しいと思いながらも、私と夕莉の関係性がどんどん思わぬ方向に変わっていってしまうのではないかと怖くて。
夕莉が私に心を開いてくれているのと同じように――いや、それ以上に私も、彼女に情が移っている。
いつかその曖昧な気持ちを、はっきりと言葉にして伝えられたら――でも、きっとそれは叶わない。
ベッドから降りている夕莉の背中を見守りながら物思いに耽っていると。
なぜか私が使っていた枕を取って、胸に抱えたまま部屋を出ていこうとしていた。
「ちょい、何で枕パクってんの」
残念ながら私の声は届かず、勝手に物を盗んで行ってしまった。
終始予測不能な行動をとる夕莉に、今も困惑が収まらない。
……まぁ、枕もう一つあるから寝る時には困らないけどさ。
◇
「いよいよだね。合宿のメインイベント!」
お決まりの大部屋で、中心にいる咲間先生が声高に告げる。
ベッドには雪平と木崎さんが座っていて、私と夕莉はソファーに腰掛けていた。
初日に予告していた通り、心霊スポット巡りもとい肝試しは二日目の今日に行われる。
このイベントを楽しみにしているのは、どうやらオカルト研究会のメンバーである二人だけのようだ。
雪平は案の定苦虫を噛み潰したような顔をしているし、夕莉は言わずもがな無表情のままで、とてもテンションが上がっているようには見えない。
私は……知らない間に巻き込まれた身だしねぇ。
「はいっ、先生! 今夜はどこに行くんですか?」
「木崎さん、よくぞ訊いてくれました」
台本をなぞるような常套句を繰り出して、元々上機嫌だった先生の顔がさらに綻ぶ。
「神坂さんから教えてもらったんだけどね。ここから徒歩二十分くらいの場所に神社があるの。今回はそこで幽霊とご対面しようと思います」
「もう出ること前提なんですね」
「夜の神社は霊体が集まりやすいからねー。二色さんは耐性ある方?」
「耐性というか……信じてはないです」
「そか、安心して! 一人で行かせたりしないから」
会話が噛み合ってないんだよな……。
別に怖いわけではないんだけど。
とはいえ、一人じゃないのは心強い。
心配になるくらい青ざめている人が約一名いるし。
あんなに怖がるくらいなら、意地でも断れば良かったのに。
わかりやすく怯えている雪平を置き去りにして、咲間先生は満面の笑みを浮かべる。
「まずは二人一組のペア決めをしよう。ルールはその後に説明するね」
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