第69話 海と娯楽(1)

 神坂邸から車を走らせて約三時間。


 途中サービスエリアに寄り、休憩がてら朝食をとって、目的地である別荘の周辺までやってきた。

 海沿いにあるということで、車の窓から遠くまで広がる海を一望できる。


「うわぁ、きれい……」

「こんな真っ青な海、初めて見るわ」


 木崎さんと雪平が身を乗り出して窓の外を覗き込んでいる。


 天気は清々しいほどの快晴で、空には大きい綿のようなくっきりとした入道雲が浮かんでいた。

 混じり気のない海の色、澄み切った空の色、全てが鮮やかで、まるでキャンバスに描かれた風景画を眺めているようだ。


 窓を開けてみると、風と共に潮の香りが漂ってきた。

 今さらだけど、夏だなーと実感する。


「海といえばスイカ割りだよねー、雪平?」

「なんだよ、その含みのある言い方」

「スイカ! 美味しいよね。夏になってからまだ食べてないなぁ」

「果物なら別荘に用意してあるわよ」

「ほんと? 食べたい……!」

「茅に食べさせたら一瞬で全部無くなるからやめとけ」

「もう。みんな、あんまりはしゃぎすぎないでね。目的はあくまで、オカルト研究会の心霊スポット探索っていう歴とした課外活動なんだから」


 と言いつつ、海の方向にスマホを向けてしきりにシャッターを押しまくっているのは、他でもない咲間先生だった。

 道中、車内で一番うるさ……テンションが高かったのも。


 隣で運転している杏華さんは、煩わしさを一切表に出すこともなく、いつもの朗らかなオーラで先生の絡みを上手く受け流していた。


 そして海沿いを走ること数分。

 私たちは目的の別荘に到着した。


 車から降りて改めて建物を見上げると、南国のリゾートホテルにでも来たのかと思うほどの日常離れした外観にただただ圧倒される。


 真っ白い外装に、中が丸見えの大きな窓。

 開放的なテラスにはデッキチェアが置いてあり、周辺にはヤシの木が立っている。

 ……完全にセレブの住む家だ。


「一度、部屋までご案内いたします」


 各々荷物を持って、杏華さんに案内されるまま建物の中へ足を踏み入れる。


 我が家のアパート一室分よりも広い玄関を通った先に。

 リビングルーム、と言ってもいいのかわからないほどの広大な空間が広がっていた。


 天井は二階まで吹き抜けになっていて、全面のガラス窓から外の光がダイレクトに入ってくる。


 部屋のどこにいても海を見渡せる、これぞ至高のオーシャンビュー。


 客人用の部屋は二階にあるらしく、足元に細心の注意を払いながらスケルトン階段を登っていく。

 夕莉の部屋は専用の場所があるようで、彼女だけ一階の奥間へ向かった。


 客室といえば二、三人部屋を想定していたのだけど、案内されたのはベッドが一つしかない、どう見ても一人用のシングルルーム。

 とはいえ、広さは尋常じゃない。


 ……うん、ベッドを使えるのは一人だけってことかな?

 いや、サイズがダブル並だから二人は使える。てことは、残り二人はソファーかリクライニングチェアで……。


「こちら、お一人で一部屋ご利用いただけますので、どうぞご自由にお寛ぎください」

「一人一部屋ですか!?」

「はい。大部屋をご希望でしたら、そちらをご案内しますが……いかがなさいますか?」

「みんなはどうする?」


 一瞬驚いた咲間先生がすぐに冷静さを取り戻し、私たちに確認を取る。


 さっきのリアクションからすると、多分一人部屋がいいんだろうな。

 先生以外の三人が大部屋に泊まる、という選択肢もあるけど。


 しかし、まさか別荘に一人一部屋使えるほどの部屋数があるとは。


「あたしは大部屋がいいです。茅と一緒で」

「めずらし。……あ、一人で寝るのが怖いんだ」

「ち、ちげーし! 一人だと広すぎて落ち着かないだけだわ! そういうお前はどうすんだよ」

「私は……」


 二人と一緒の大部屋で、と言いたいところだけど。


 肝試しに誘われたとはいえ、元々は夕莉のお世話係として同伴するという目的で来ているわけだし。

 何かあった時、怪しまれず自由に行動できるようにしておきたい。


「一人部屋で」

「強がんな」

「少なくとも私は一人で寝れるけどねぇ。ビビリな雪平と違って」

「はぁ!? だから違っ……」

「はいはい。二人とも、仲良しなのはいいことだけど、痴話喧嘩はほどほどにね」

「痴話っ……!? 意味わかって言ってます?!」

「まぁ、腐れ縁みたいなもんだし。あながち間違いでもない――」

「あ、ごめん。"痴話喧嘩"は失礼だったね。二色さんは神坂さんとお付き」

「センセイッ!?」


 焦った……何を急にぶっ込もうとしてんだこの浮かれた先生は。


 そういや以前、私と毎日登下校している理由を誤魔化すために、夕莉が"私と付き合っている"と豪語したことがある。

 その虚言をまんまと信じたのが咲間先生だ。

 無論、付き合っているというのは全くのデタラメ。


 今先生に暴露されそうになるまで、そんな経緯があったことをすっかり忘れていた。

 それで動揺してしまい、つい先生を威嚇してしまう。


「あぅ! ごめんなさいっ! 迂闊に生徒の恋事情を口外しちゃダメだよね……わたしが悪かったよぅ……だから睨まないで!」

「いえ……私もちょっと取り乱しました」


 私にだけ聞こえるように小声で、心底申し訳なさそうに謝ってくる咲間先生に、私も小さく頭を下げる。


 自分だけが変な噂を立てられるならまだしも、そのせいで夕莉にまで迷惑をかけるのは心苦しい。

 そもそも、事実ではないことが認知されてしまうのは心外だ。


 雪平と木崎さんの顔をちらっと盗み見してみると、頭上にはてなが浮かんでいそうな表情をしていた。

 若干訝しげではあるけれど、言及はしてこない、と思う。


 杏華さんの方は変わらず穏やかな微笑みを浮かべてはいる。が、どこか含みのある笑顔のように見える。

 彼女は勘が鋭いから、何かを察したのだろう。あとで誤解を解いておかないと……。


「……ということで、わたしと二色さんは一人部屋で、雪平さんと木崎さんは大部屋でお願いします」

「かしこまりました」


 ひとまず部屋割りを済ませ、各自荷物を整理するため一旦部屋にこもる。

 アメニティ用品は完備されているようなので、空き時間に確認するとして。


 室内を改めて見回す。

 この一室だけで一世帯が暮らせそうな広さだ。

 ベッドもソファーもテレビもあって、バルコニーにはテーブルと椅子が置いてある。

 もちろん、海の景色付き。


 夕莉の住んでいる高層マンションも負けず劣らず広々としているけれど、やっぱり庶民にとって豪邸は非日常的な場所だから。

 雪平の言う通り、このスペースをたった一人で占領するのは正直落ち着かない。


 居ても立っても居られなくなり、一階に降りてリビングの中をキョロキョロする。

 食事は一日三食全て用意してくれるそうで、杏華さんが下準備をしているはずなんだけど……。


 リビングの隣にあるバカでかいキッチンを覗いてみると、杏華さんがカウンターの上に並べられた食材たちをジッと見つめながら小首を傾げていた。


 深刻な状況というわけでもなさそうなので、とりあえず話しかけてみる。


「杏華さん。今、何されてます?」

「……あ、奏向さん。先程食材が届いたばかりなのですが。三日間の献立を考えていたところでした」

「三日間……雪平たちが泊まる期間ですね。私も何か手伝いますよ」

「ありがとうございます。でも、お気持ちだけで充分ですよ。ご友人の方々と過ごすせっかくの夏休みですから、皆さんと余暇を楽しんでください」

「羽目を外したら、夕莉に怒られちゃうんで。それに、杏華さんのお手伝いをするのも楽しいですから」


 何かしていないと落ち着かないっていうのも理由だけど。

 夕莉と杏華さんがいる前で何もしないのは、業務をサボっているようでなんとなく罪悪感を覚えてしまう。


「そうですか……では、食材の保存を手伝っていただけると助かります」

「わかりました」


 私の半ば強引な押し売りに嫌な顔一つせず、笑顔で了承してくれた。


 淡々と作業の手は止めずに、タイミングを見計らって例の話題を切り出す。


「……あの、杏華さん」

「はい」

「さっき、咲間先生が言いかけてたことなんですけど……」

「言いかけていたこと、とは?」

「えっと……」


 その返しはずるい。

 多分、彼女は私が言わんとしていることを察知している。

 その上で、あえて聞き出そうとしているのかもしれない。


 "付き合っている"なんて言葉、昔なら何の抵抗もなく、何の感情も抱くことなく口に出せたはずなのに。

 なぜか今は、頭の中で反芻するだけでこの上なく羞恥心を感じてしまう。


「申し訳ありません。少し意地悪をしてしまいました。大丈夫ですよ、奏向さんの仰りたいことは承知しています」


 自分でも気付かないうちに余程険しい顔をしていたのか、私を見た杏華さんが苦笑を浮かべていた。


 彼女は時たま、冗談を言ってからかってくることがあるけれど、さすがに今のは肝が冷えた。


「あれ、嘘ですから。訳あって、咲間先生の中では私と夕莉が……付き合ってることになってますけど。仮にも雇用関係である私たちが、それ以上の仲になることはないんで」


 ……なんて、自ら弁明はしたものの。

 心の底では言い訳がましい主張にモヤモヤしていた。


 私と夕莉が付き合っているのは嘘、というのは本当だ。

 けれど、雇用関係以上の仲になることはない、というのは本心ではない。

 厳密に言えば、なりたいと思っていても


 もしその願いが叶う日が来るとすれば、それは私が夕莉の付き人を辞める時だ。


「……本当に、奏向さんは従順ですね」


 聞き取れないほどの小さな声で呟いたあと、杏華さんは笑顔でとんでもないことを言い放った。


「私個人の意見としては、お二人はお似合いだと思います」

「…………ハイ?」

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