第68話 この手を

 車にあまり詳しくないけれど、明らかにそこらで見かけるような雰囲気の車ではないことはわかる。


 傷一つなく汚れも一切ない新車並みの輝きを放つ外装に、思わず下世話なことを考えてしまった。

 これは一体どれくらいの価値があるのだろうかと。


 指紋をつけることすら躊躇いそうになる中、高級車を前に一際興奮していたのは咲間先生だった。

 一応、ここにいる人たちの中では最年長のはずだが、反応が最年少っぽい。


 目を輝かせて隅から隅まで車を観察している先生を放ったらかしにしていたら、出発が遅れてしまう。


 適当に催促しつつ、全員分の荷物をトランクに積んで、各々車内へ乗り込む。

 私と夕莉は三列目に、雪平と木崎さんは二列目に、咲間先生は助手席へ座る。


 車内とは思えない開放的な広さと、マッサージチェアのような重厚感のある座席に、木崎さんがだいぶ萎縮していた。


 気持ちはわかる。

 一般庶民が普通に暮らしていたら、こんな高級車に乗れる機会なんて人生に一度あるかないかくらいの確率だし。


 ちなみに、運転は杏華さんがやるそうだ。

 そういえば以前、ドライバーは雇っていないと夕莉が言っていたのを思い出した。

 使用人は最小限でいい、とも。


 私が雇われる前は、家事も雑用も身の回りのお世話も、全て杏華さんが一人でこなしていたんだろうな。


「それでは、出発しますね」

「はいっ、よろしくお願いします!」


 咲間先生が誰よりも元気に返事をして、車は発進した。


 高速道路に入るまで、しばらく下道を走っていく。

 車の性能なのか、運転の技術なのか、ほとんど揺れや振動を感じない。


 そういえば、雪平は乗り物酔いする体質だったような。

 後ろからさりげなく様子を覗いてみると、オカルト話について熱弁している木崎さんに、片っ端から指摘を入れていた。

 とりあえず体調の方は問題なさそう。


 各々好きな時間を過ごす中、特にやることがない私はぼーっとしていた。


 乗り心地が良くて眠たくなってきたけれど、あくまで夕莉の付き人として同伴しているのだから、気を抜いて寝るわけにはいかない。

 どうにか眠気を覚まそうと、隣で窓の外を眺めている夕莉に適当に絡んでみる。


「夕莉ー」

「…………何」

「お喋りに付き合ってよ」

「一人でやって」

「えー、つまり一人二役やれと?」


 そんな突き放し方ある?

 一人で会話するってただのヤバい奴でしょ。


 もしかして、朝はあんまり話したくないとか……いや、そんなはずない。

 毎日の登校時では普通に私と話してるし。


「具合悪い?」

「……平気」

「話しかけてもいい?」

「……いちいち確認をとるほど律儀な性格だったかしら」

「だって、夕莉の迷惑になるようなことはしたくないから」


 窓の外に視線を向けていた夕莉が、おもむろに私の方へ振り向く。

 車に乗ってから、初めて彼女の顔をまともに見た気がした。


 顔色は、悪くない。

 不機嫌そうな雰囲気もない。

 いつも無愛想にしているから、特段変わった様子はないように見えるけれど。


 些細なことでも、異変があれば気付いてあげられるようになりたい。

 今はまだ何も聞かずに全てを察せるほど勘が鋭くないから、直接本人に確認した方がいいと思った。


「それなら、一番最初に聞くべきじゃない?」

「それもそうか」


 ご尤もすぎる。

 夕莉がずっと私から顔を背けていた時点で気付くべきだった。

 人の機嫌を伺うってのはやっぱり難しい。


 改めて夕莉の表情を見てみる。

 うん、怒ってはいない。

 むしろ穏やかな方、だと思う。


 ただ、心ここにあらずのようで、僅かながらまぶたが落ちている。眠いのかな。

 しばらく彼女を凝視していたら、顔を逸らされた。


「……あまり無言で見られると、落ち着かないのだけど」

「今さら?」


 大体、いつも黙って見つめてくるのは夕莉の方だし。

 いざ自分がされると照れちゃうとか?

 なにそれ……かわいいんですけど。


 心なしか、夕莉の頬が赤く染まっているように見えなくもない。

 大胆なことは自分からするくせに、こういうさりげないことには耐性がないのだろうか。


「見られるのは嫌なんだ」

「……それは……相手による、というか……」


 生徒会長だし、ファンクラブもあるらしいし、視線を浴びるのは慣れている方なのかと思っていたけど。

 注目の的になるのと、物理的に見られるのは違うか。


 でも、全く知らない人にガン見されるならまだしも、相手が私ですら落ち着かないというのは――


「…………奏向だから」


 いかがなものかと…………なんですと?


 私だから、ダメってこと?

 裏を返せば、私以外なら見られても大丈夫ということになる。

 基準がよくわからん。普通逆じゃないの。


「何か話して」

「急に振ってくんのはちょっと」


 確かに、"お喋りしよう"と最初に話しかけたのは私の方なんだけどさ。

 人から促されると焦ってしまう。


「じゃあ、一つ訊きたいんだけど」


 照れ隠しなのか、ぶっきらぼうに会話ネタを丸投げしてきた夕莉に、めげずに視線を送っていたら。


「自分の別荘の周辺を肝試しスポットとして勧める? 普通」

「…………」


 なぜか呆気にとられたように、眉根を寄せられた。


 そんなに奇天烈なことを口走った覚えはないんだけど。

 問い掛けに対して無言になるのはやめてほしい。

 変な間が気まずいし、なんか不安になる。

 話の振り方を間違えたのだろうかと。


「他に、私に言いたいことはないの」

「他に? んーと…………あ。私服、似合ってる」

「……っ…………そうじゃ、なくて……」


 呆れていたかと思えばさらに頬を赤らめて、今度は困ったように目線を落とす。

 "何か話して"と言ってきたのはそっちなのに。


「……怒ってないの?」

「怒ってるって、私が? 何で?」

「その……木崎さんたちを、勝手に誘ったこと」


 まるで悪いことをした子どもが、自分の犯した不正を恐る恐る白状するかのように、夕莉の声には覇気がなかった。


 もし、素っ気なかった態度の原因が、今話したことにあるのだとしたら。

 無愛想にしていたのではなくて、負い目を感じていただけだとしたら。


 拍子抜けしてしまう、というか、つい笑ってしまった。


「そんなことで怒るわけないじゃん」

「……本当に?」

「むしろいいと思うよ。夕莉が自分の意思で決めたことなら、なおさら。身内だけもいいけど、大勢で過ごしたらもっと楽しくなるもんね」


 仮に不満があったとしても、付き添いの立場である私があれこれと口出しする義理はない。

 とどのつまり、突然クビを言い渡されること以外なら何をされてもいい覚悟はある。


 それに、私の想像を遥かに超えるような突拍子もないことを夕莉はしないだろうから。


「……奏向。手、出して」

「て?」


 唐突な謎の命令に困惑しつつ、言われた通り右手を出す。

 すると、夕莉が自身の左手を重ねてきた。

 そのままそっと、私の手を優しく握り締める。


「………………ん?」


 なにこれ。

 何で手握られてんの?


 急すぎて一瞬状況が飲み込めなかったけど、冷静に考えるとかなりやばい。

 前席の人に振り向かれたら確実にバレるし怪しまれる。


 それよりも何よりも。

 こういうところよ、夕莉の大胆さは……!


 どういうつもりかと言及しようとして、握られた手から視線を上げるも、夕莉は再び窓の外へ顔を向けていた。


 ……ちょっと、何で黙ってんの。


 夕莉の温かい手の感触に意識が集中してしまい、無性に恥ずかしくなってくる。


「……何か話して」

「何かって何よ」


 考えていることは同じだったらしい。

 お互い気まずくなるほど無言の状態が続いていたようで。

 夕莉がまたしても無茶振りしてきた。


 手を離してくれそうな気配もないので、動揺しながらもなんとか話題を捻り出す。


「……杏華さんって、運転できるんだね」

「……ええ」

「車で登下校できんじゃん」

「…………」


 だからなぜ黙る。

 恐ろしいほど会話が弾まないんですが。


 この話題もお気に召さなかった?

 逆にどんなネタなら夕莉の興味を引き出せるってのよ。


 普段なら沈黙しても気にならないのに、手を繋いでいるというだけで気の持ちようが全然違う。

 心拍数がどんどん高くなって、頭が回らなくなる。

 こんなに無言の空気が苦しいとは……。


「……車で送迎されるのは、苦手なの」


 おっと。

 返事をしてくれたと思いきや、この話題は完全に地雷だった。


 正直、私が護衛するよりも明らかに車の方が安全だろうと今まで思っていたけど、どうやら訳ありだったようだ。

 だからといって、徒歩通学の理由を深掘りする勇気は、今の私にはない。


「それに今は、奏向と一緒に歩いて登下校した方が安心するから」

「…………」


 今度は私が言葉に詰まってしまった。


 いや、だって。

 えらく心臓が暴れている状態で素直にそんなことを言われたら、余計に鼓動がおかしくなる。


 護衛している身からすれば、それは最高の褒め言葉なのでは……?

 だからすごく嬉しい、けど。

 なぜかその感情よりも、照れ臭さの方が上回ってしまう。


 結局、気恥ずかしさのあまりこれ以上会話を続けることも、夕莉の顔を見ることもできなくなって、お互いずっと外の景色を眺めていた。


 唯一の救いは、車内がまあまあ賑やかなこと。主に前席辺りが。

 これで無音だったら、間違いなく心臓の音が聞こえていた。


 早く目的地に着かないかなと思いながら。

 でも、こうして手を繋いでいる時間が終わってほしくないとも思っていて。


 素直になってくれた夕莉の手を、私も握り返すことができたら、よかったのに。

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