第67話 出発

 まぶたを擦ってもはっきりと見える。

 ……幻覚、ではないな。

 就寝時間は予定より遅くなってしまったけれど、見えてはいけないものが見えてしまうほど寝不足で疲れているわけではないし。


「おはよう、ございます……?」


 思い切り名前を呼ばれて無視するわけにもいかないので、怪訝に思いながらも咲間先生のもとへ近付いていく。


 改めてまじまじと観察するが、どこからどう見てもこれから旅行する人の身なりをしている。


 先生の夏休みも、ちょうどこの期間なのだろうか。

 休暇でどこかへ行くのは全然あり得るけれど、その行き先が教え子のマンション……?

 いや、そもそもまさかとは思うが。


「先生、このマンションに住んでるんですか?」

「嬉しいお世辞言ってくれるねー。そんなにセレブに見えるかな?」

「いいえ」

「辛辣!」


 誇らしげに胸を張ったかと思えば、ため息を吐いて落ち込むように背中を丸める。

 小さな体躯がさらに縮んで、子どもがしょぼくれている様相ができあがった。


 今の咲間先生にセレブの"セ"の字も感じられない、なんて言ったら間違いなくポカポカと叩かれる。


「年収いくら稼げば、こんな億ションに住めるんだろう……」


 遠い目をしながらそんなことを呟き始めたから、ここに住んでいないのは確定。

 それならば。


「ここには何の用で……?」

「もう、二色さん。からかうのも程々にしてね。わたしが今日という日をどれだけ楽しみにしていたか! みんな大好きオカルト研究のための夏休み合宿! でしょ」

「はい?」


 ……ちょ、ちょっと待って。

 いろいろと情報が交錯してて頭の中の整理が追いついてないんですけど。


 "みんな大好きオカルト研究"はかなり偏見だし、そのための合宿って意味わからんし。


 その大荷物は旅行ではなく合宿に行くため、というのは百歩譲って理解できた。

 ただ、先生の答えは夕莉のマンションにいる理由にはなっていない。


「心霊スポットを紹介してくれるだけじゃなくて、まさか別荘にまでお邪魔させてもらえるなんてね。神坂さんには感謝してもしきれないよ」

「…………」


 嬉しそうな咲間先生は、さながら遠足を楽しみにしている小学生のようだった。


 えーっと……つまり。

 オカルト研究とやらで心霊スポットに行くことになり、ついでに夕莉の別荘へお招きされた、と。

 じゃあ、目的は違えど私と咲間先生の行き先は同じということになる。


 ……待て待て。

 なぜ先生が? どんなきっかけがあって二人の間にそんな話が生まれた? てか根本的にオカルト研究って何?

 余計に謎が深まったところで、またしても予期していない人物を目にする。


「……ごめんなさいっ、お待たせしました……!」

「慌てなくて大丈夫だよー、木崎さん。わたしたちもさっき来たばっかりだから」


 音のしない自動ドアが開き、私たちがいるエントランスホールへ駆け足で近付いてきた木崎さん。

 彼女の後ろには、ひっそりと眉間にシワを寄せている雪平もいた。

 二人とも旅行バッグを持っている。


 なるほど。皆さん揃って合宿ですか。

 ……え、もしかしてそのメンバーの中に私入ってる?


「あまりに豪勢すぎて、敷地に入るの躊躇っちゃいました……」

「ね! まるでどこかのお城に迷い込んだみたいだよね」


 朝六時のテンションとは思えないほどわいわいとはしゃいでいる木崎さんと咲間先生は一旦置いておいて。


「……雪平」

「あ?」


 一人だけ場違いなほど憔悴した雰囲気を醸し出している雪平をとっ捕まえる。


 二人はあんなに意気揚々としているのに、見るからに乗り気でない雪平の様子から、いろいろと訳ありなのかと勘繰ってしまう。


「なにこのメンツ」

「あたしが聞きてーわ」

「オカルト研究の合宿ってどういうことよ」

「どうもこうも……って、知らねーの?」

「知らないとか、もはやそういう次元じゃない」


 身内だけの完全プライベートな休養目的で行くのかと思いきや、友達だけじゃなく先生まで呼んでるし。


 いや、私に何も伝えてくれなかったことに不満があるとかではなくて。


 夕莉も友達を誘うようなことをするんだなと、少し驚いたというか感心したというか。

 自分でもよくわからない親のような目線になってしまった。


「逆に会長から何て聞かされたんだよ」

「……別荘に行くからついてこいって」

「意外と適当なんだな……」


 確かに、夕莉は多くを語らないけども。


 彼女の指示もとい命令に何の疑問も抱くことなく、ほいほいと従う私も、すっかり従者としての意識が板に付いてきたなと。


 それが役目だから当たり前っちゃ当たり前なんだけど。

 私が夕莉を信じているから、どんなことも受け入れてしまうのかな。


「あたしら……つか、茅と先生の目的は心霊スポット巡り。あの二人はオカルト研究会のメンバーなの。茅が会長を肝試しに誘ったら、"別荘に招待するから、ついでにその周辺で肝試しすればいい"って言われたんだよ。あたしは半ば強制的に連れてこられただけ」

「そんなことが……」

「会長が快く承諾してくれたのもびっくりだけど、そこで二色を誘ったのも意外だったわ」


 まぁ、夕莉の付き人である以上、ついていかないという選択肢はないんだけどね……。


 ていうか雪平の話を聞く限り、肝試しに誘われた夕莉が私を誘ったということは、表向きでは私も肝試しに参加することなる……?


「ちなみに、何泊する予定?」

「二泊三日だけど。それすらも知らないでよく行く気になれたな」


 雪平が呆れたように吐き捨てる。


 二泊三日? 別荘に居るのは一週間だって聞いたけど。

 雪平たちが泊まるのは少しの間だけなんだ。

 ……あれ、私だけ一週間泊まらせてもらうってことを知られたら怪しまれない……?


「皆さん、お揃いでしたか」


 どうしようかと言い訳を考えていたら、唐突に杏華さんの声が響く。

 振り向くと、入居者用の入口から二人の人物が現れた。

 主役は遅れてやってくる、なんて言葉が似合うほど、夕莉が悠然と歩いてくる。


 家の中以外で彼女の私服を見るのは三度目だ。


 一度目は、広場で初めて出会った時。

 二度目は、夕莉が突然いなくなったと思ったら、鍵を落とした私を追いかけてきただけだったという、ちょっとした騒動の時。


 以前は服装にまで注意が向かなかったけれど。

 改めて意識して見ると新鮮で……よく、似合ってるなと思った。


 トップスは白のノースリーブで上品かつ涼しめに、ボトムスはワイドパンツですっきりと。

 シンプルながらも綺麗さを感じさせる印象とスタイルに、思わず目を奪われる。


 ……危な。

 必要以上にガン見していたら顔が火照ってきた。

 夕莉に気付かれる前に急いで視線を逸らす。


「朝早くにお集まりいただきありがとうございます」


 夕莉の斜め後ろに佇み、暑い夏の日でも関係なしにお馴染みの黒いメイド服を着た杏華さんが、私たちに向かって恭しく頭を下げた。


「いえいえ! こちらこそ、本日はお招きいただきありがとうございます」

「あ、ありがとうございます……!」


 咲間先生が律儀にお辞儀を返す。

 それに倣って、木崎さんと雪平がぺこりと会釈した。


 数秒前まで女子高生よろしく騒いでいたのに、こういう時はちゃんと大人なんだなと、なんか安心してしまった。

 修学旅行で生徒を引率する先生みたいで。


「すっごい美人さんだね……」

「杏華さん? きれいな人だよね。夕莉の専属のメイドさんだよ」

「何で名前まで知ってんだよ」

「奏向」


 ふと夕莉に呼ばれ、彼女のもとへ近寄る。

 すると、無表情で隣にあるキャリーバッグを指差した。

 その仕草だけで、夕莉の言わんとすることを何となく察する。


「持って」

「……んー」


 ですよねー。

 もはや荷物持ちは定番の仕事。


 左手は自分のバッグを提げて、右手は夕莉のキャリーバッグを引く。

 傍から見れば夜逃げしようとしてる人だ。


「早速ですが、エントランス前に車を停めてありますので。どうぞこちらへ」


 杏華さんに案内されて、私たちはホールから外へ出る。

 来る時にはなかった、見るからにお高そうな高級車が、ホテルにあるような車寄せのスペースに鎮座していた。

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