第65話 夏の計画(3)
それは要するに、護衛以外の仕事を任されるってこと?
よくよく考えてみれば、付き人の役目は護衛だけじゃなくて、身の回りの雑用とか家事のお手伝いも含まれている。
何を早とちりしたのか、護衛は不要だと言われただけで夏休みの間は一切来なくていいということかと勘違いしてしまった。
……はずっ。
思いっきり本音ぶち撒けちゃったじゃん。
何にしろ、夏の予定が空きまくることも、そのせいで別のアルバイトを探す必要もなくなったわけで。
さっきまでの浮かない顔がだんだんとほころんでいくのが自分でもわかる。
我ながら単純過ぎやしないだろうか。
でも、仕方ないと思う。
夕莉のことになると、なぜか制御できないほど感情が振り回されてしまうのだから。
幸いにも、私のダダ漏れな私情で夕莉がしらけることはなく。
むしろ苦笑というか、何言ってんだこいつと思いながらも、寛大な心で見守ってくれているような、懐の深さを感じさせる雰囲気があった。
私の頭を優しく撫でたあと再びぽんぽんして、夕莉は私の隣に腰掛ける。そして、静かに問いかけた。
「……私に傍にいてほしいのは、奏向も同じ?」
「そう、かもね」
それを言われちゃあこっちも反論できない。
数秒前まで「夕莉に会えない」とか言って醜態を晒しておきながら、今さら否定しても見苦しくなるだけ。
確かに、私は夕莉の隣にいたいと思っている。
それは私個人の願いで、自分の中に思いを留めておけば誰にも迷惑をかけることはない。
けれど、傍にいてほしいという思いは、夕莉に私の欲望を押しつけることにならないだろうか。
願いを実現するために、こうしてほしいと相手に求めるのは、明らかに自分勝手だと思う。
だから、否定はしないけどはっきりと肯定もしない。
夕莉は私に命令できる立場だから、"隣にいて"と言えるのだろうけど。
主人に従う立場の私が、彼女に同じことを言うのはおこがましいと感じてしまう。
多分、私と夕莉が雇用契約で結ばれた関係じゃなければ、もっと我儘も言えていたかもしれない。
「奏向」
「ん?」
妙に改まった口調で私を呼ぶ夕莉に、視線を合わせる。
向かいに座っていたのに、わざわざ私の横に座るのは何か理由があるのだろうか。
彼女の真っ直ぐな眼差しに、態度が引き締まる。
「……期待してもいいの? 私に対する奏向の気持ちは、純粋なものだと」
雰囲気的にもっと深刻な話題が出るのかと思ったけど、意外とそうでもなかった。
でも、夕莉にとっては大事なことなんだろうな。
ジッと私を見て、絶対に視線を外そうとしないから。
それだけでどれほど彼女が真剣であるかが窺える。
にしても、"純粋"か。
逆に、不純な気持ちって何だろ。
下心を抱いているとか、相手を騙そうとしているとか?
少なくとも、夕莉への気持ちに意図した思惑なんてあるはずがない。
そもそも、感情を取り繕うの苦手だし。
「期待、されるほど大層なもんじゃないけど。でも……もし私の気持ちが生半可なものだと思われてるなら、心外だなぁ。もしかして私の言葉、軽く聞こえる?」
「……どうかしら。奏向はいつも冗談を言っていたから」
まぁ……確かに、最初の頃は冗談を言ったりからかったりすることもあった。
何かの寓話で、似たような話があったな。
いつも嘘ばかりついていたら、いざ本当のことを話した時に信じてもらえない、みたいな。
今まで夕莉に伝えてきた私の気持ちは半信半疑だった、ということだろうか。
そんなはずはない……と信じたい。
だって、もし疑っていたら顔を見ればわかるし……いや、疑うというか、確認してくるようなことはあったかもしれない。
「じゃあさ、どうしたら本気だってわかってくれんの?」
ちゃんと伝わってほしいから。
夕莉の隣にいたいって気持ちは、紛れもなく純粋なものだと。
何かを思考するように、夕莉は私から目を逸らす。
彼女の横顔が、いつもより憂いを帯びているように見えた。
「奏向が……付き人を解雇される覚悟があると証明できれば、伝わるかもしれないわね」
「…………ェ?」
変な声が出た。
私の本気を伝えるための対価が、解雇される覚悟……?
選択が究極すぎません?
傍にいたいけどクビになってもいいなんて、矛盾している。
だからこその対価、だとしても、私にとってはどちらも妥協したくないことで。
ここで言い淀んだら、その程度の軽い気持ちだったと思われるかもしれない。
でも、だからといってそう簡単にクビを受け入れられる覚悟は持ちたくない。
何も、言えない。
これほど言葉に詰まったのは初めてだ。
思いを伝えるのって、こんなにも歯痒いものなのか……。
「冗談よ。だから、そんな難しい顔しないで」
声が出ない代わりに、心の葛藤が表情に出ていたらしい。
夕莉に指摘されて、眉間にシワが寄っていたことに気づいた。
冗談って……。
あまりに質が悪くて、ついムスッとしてしまう。
「……今のはさすがにいじわるすぎない?」
「奏向の揶揄に振り回される私の身にもなってほしいと思っただけよ」
「倍返しにも程があるわ」
だいぶ真剣に悩んだのに。
夕莉は冷やかしも普段のテンションで言うから、自然と真に受けてしまう。
今の夕莉には、言葉だけじゃ全ては伝わらないのかな。
「……ほんとに、本気だし」
「拗ねてるの?」
「………………そうだよ」
拗ねたくもなる。
こんなからかい方あんまりだ。
不機嫌をあからさまに態度に出したくないけど、どうしても不貞腐れたような表情になってしまう。
そんな顔を見られたくなくて、背けるように反対側の窓の外へ目を移そうとした時、夕莉の手が私の頬に触れた。
またしても顔の向きを戻される。
けれど、今度は強引じゃなくて、優しく導くように。
されるがまま夕莉の方へ振り向いた瞬間、触れられていない側の頬に柔らかい何かが当たった。
軽く押し当てられたその感触はすぐになくなって。
気づいたら、夕莉の顔がすぐ目の前にあった。
そこで悟る。
私の頬に触れたのは、彼女の唇だと。
「もう疑ったりしないから」
「……っ」
申し訳なさそうに目を細めて、静かに囁く。
その優しくも落ち着いた声に、体の内側から何かがゾクッと這い回る。
そんな……そんな色仕掛けで、機嫌が直るとでも…………と強がりながらも、心臓は忙しなく脈打っていた。
ていうか、ここ食堂……! やるにしてもタイミングってもんがあるでしょ!
誰かに見られたりは――
「……私も、これからは躊躇わない」
そっと視線を落とした夕莉が、聞き取るのも難しいほどの声量で小さく呟いた。
気分が上がったり下がったり、情緒が不安定すぎて嫌になる。
夕莉にキスされて簡単に絆されている自分も。
彼女から目を逸らしたいのに、まるで雁字搦めにされているかのようで指先一つ動かせない。
そんな中、私の頬に触れていた夕莉の手が離れる。
何かが吹っ切れたような、どこか清々しさを感じさせる柔らかな表情をしていた。
「それじゃあ、よほど私に奉仕したいみたいだから、早速だけど夏休みの予定について共有しておくわね」
「……いや、"奉仕したい"とは言ってないんですけど……」
未だに心臓がバクバクしたまま、夕莉のペースに流されて話題が切り替わる。
いつも思うけど、大胆なことをしておいてなぜ平然としていられるのだろう、この子は……。
夕莉から事務的に伝えられる連絡事項を大人しく聞いている間も、内心では動悸が止まらなかった。
いろいろと夏の予定を聞いたけれど、結局付き人の仕事はほぼ普段通りのようだ。
夏休みの間護衛はなし、というのは、単純に外を出歩く機会が少ないから、ということらしい。
ただし、突発的な呼び出しの際などはこの限りではない。
基本的には、神坂家の家事と雑用がメインになる。
業務時間は短縮で、日数も週五から週四に。
通常時と比べて、かなり自由な時間ができる。
夕莉の言っていた私へのご褒美は、この時間のことだった。
他に特別な何かを任せられることもないようで、ひとまず安心していたら。
想定外の予定を告げられる。
「毎年夏になると、海沿いにある別荘で休暇を過ごすのだけど。奏向にも同伴してもらうから」
「別荘……同伴……?」
ということはつまり、泊まり掛け……?
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