第64話 夏の計画(2)

「あちぃー……」


 七月初旬を迎えて、いよいよ夏が来たと思わせるような暑さを感じる今日この頃。

 私たちは食堂で放課後を過ごしていた。


 少し涼しいくらいの温度であれば、屋上やテラスなどに行ったりするけれど、さすがにここまで気温が高いと外にいるのはキツい。


 ということで、涼しくて居心地の良い食堂で、快適に自由時間を満喫している……ことは残念ながらなく。


 冷房の効いた室内にいるのに、なぜ暑がっているのか。理由はただ一つ。

 照りつける太陽の光を直に浴びる場所――窓際の席に座っているからだ。


 もはや自席と化しているこのテーブル席が、夕莉のお気に入りらしい。


「こんな日当たりのいい席じゃなくて。もっとさ、エアコンの真下とか、せめて冷気が通る場所の方がよくなかった?」


 彼女の意志は絶対なので、逆らったところで聞き入れてくれないのは百も承知。

 でも、愚痴をこぼさずにはいられない。

 だって暑いし。


「私は別に暑くないから」


 涼しい顔でいなされた。


 衣替えの時期をとっくに過ぎて、全員が夏服を着ているわけだけど。

 夕莉はというと、半袖のブラウスにネクタイをしっかり上まで締めて、おまけにベストも着用している。

 さすが、お手本のような着こなしだ。


 第一ボタンまでとめるだけでも鬱陶しいのに……見ているだけで暑苦しくなる。

 それで汗一つかかないのだから、ある意味羨ましい。


「日焼けしちゃうよ?」

「愚問ね。校内の窓は全て複層ガラスになっているから、紫外線対策も施されているの」

「何でそんなこと知ってんのよ……」


 生徒が知り得ないような情報を一体どこで入手したのかはさておき……。


「パフェ食べてんじゃん」

「これは涼むためではなくて、糖分を摂取するために食べているのよ」

「あー、なるほど。自分へのご褒美ね」

「…………」


 勝手に決めつけないで、と言わんばかりの視線を投げてくる。

 でも、タイミング的にそう思ってしまっても仕方がないというか。


 放課後といっても、時間はちょうどお昼くらい。

 今日は期末テストの最終日で、ようやく一学期の山場を越えて解放的になっているところだ。


 午後は授業がないから、普通なら直帰するのだけど、突然夕莉が食堂で何か食べたいと言い出した。


 彼女が優雅にパフェを堪能している様子を、私は護衛としてただ眺めているだけ。


 にしても、悉く食の好みが意外なんだよな。

 ハンバーグしかり、オムライスしかり。


 横文字ばかりの聞き慣れない名前の高級料理とかデザートしか食べないのでは、と最初は思っていたけど、案外そうでもなかった。

 夕莉は舌がお子様なのだ。

 今だって、甘いものを一心不乱に食している。


 上品な所作で行儀よくアイスやらフルーツやらをちまちま口に運んでいる姿が、なんというか……端的に言うと可愛い。


 庶民の味を知らなかったお嬢様が、その美味しさに魅了されて大層気に入ってくれたような……そんな微笑ましさを覚える。


 すごく美味しそうに食べているとはお世辞にも言えないが、小動物の食事を見守っているような、癒される感じ。


「私にはないの? ご褒美」

「……え?」


 ぼーっとしていたら、口が勝手に動いた。


 夕莉を見て癒されているこの時間がすでにご褒美みたいなもんだけど、ふと思い立ってそんなことを口走ってしまう。


 本音なのか、からかいたいのか、正直自分でもよくわからなくて、とりあえず平常心を装ってみる。

 夕莉はそんな私に困ったような視線を向けていた。


「……何に対して?」

「テスト。頑張った」

「それは結果が出てから言うことでしょう」

「じゃあ、仕事。四半期も続いてんだよ? すごくない?」

「"まだ"四半期、でしょ。続けるのは当然のことだから。そう簡単に辞められたら困るわ」

「そっかそっか。夕莉は私に傍にいてほしいんだもんね」


 ここぞとばかりにしたり顔を見せたら、眉根を寄せて睨まれた。

 でも、生憎その仕草すら愛くるしい。


 何せ私の言ったことは図星なのだから。

 以前彼女の口から証言してくれたのを、ちゃんとこの耳で聞いている。


 反論できずに頬を染めながら口を噤んでいる夕莉を見られて、だいぶ悪戯心が満たされた。


「……とにかく、今あなたに与えられるものは何もない」

「えー、ちょっとくらいいーじゃん。せめて夕莉の食べてるパフェを一口くれたら……って、なくなんのはやっ」


 ちらっと容器を見てみたら、いつの間にか綺麗に平らげていた。

 確か顎の位置くらいまでの高さがあった気がするんだけど……。


 食いしん坊か。

 食べ始めてからまだ五分も経ってない。


「……食べたかったの?」

「……いーや。冗談で言っただけ」


 あまりの早食い振りに、なんかいろいろどうでもよくなってきた。

 夕莉が好きなものを好きなように食べてくれれば、もうそれでいいわ。

 はなから素直に私の我儘を聞いてくれるとは思ってなかったし。


 脱力するようにへにゃっとテーブルに突っ伏す。

 日差しの暑さもあって、うとうとしそうになった時。


「……ご褒美になるかどうかはわからないけれど、あげてもいいわよ」

「え、ほんと?」


 テーブルに突っ伏していた顔をすぐさま上げる。眠気が一瞬で吹き飛んだ。


 夕莉から何かを与えられることは滅多にないから、無性に期待してしまう。

 多分、どんなものでも嬉しい――


「夏季休暇」

「…………ん?」


 カキキュウカ?

 えっと、つまり……"夏休み"。


 それは学生としての夏休みなのか、それとも付き人としての夏休みなのか。


 ……あれ、何でそれがご褒美になるんだろ。

 もしかして、私には元々夏休みが設けられていなかった? 補習とかあったっけ?

 そもそも生徒会長は生徒の休みまで決める権限なんて持ってんの?


 想像の斜め上を行った返答に困惑していたら、トレーを持ちながら立ち上がった夕莉が、無表情でさらっと説明してきた。


「付き人の業務。夏休みの間は護衛をしなくていいから。奏向はゆっくり休んで」

「あ……そういうことね」


 付き人としての夏休みってことか。

 確かに、学校が休みだから登下校のお供をする必要はないし、家にいる間のプライベートな時間までずっと一緒ってのも、さすがに休まらないよね。


 "ご褒美"だから、気を遣って休みをくれたのかもしれないけれど……なぜかあんまり喜べなかった。


 付き人のアルバイトが休みになるということは、約一ヶ月分の収入が減る。

 けれどそれ以上に、夏休みは夕莉に会えないんだと思ったら、何かが物足りない感じがした。


 ……いや、これはほら、いつも一緒にいるのが当たり前になってたから、いざ会わなくてもいいってなると面食らうというか、なんとなく寂しくなるっていうか……。

 別に深い意味は、ない。


 ほんの少しだけ気分が沈んだところで、私は無意識にスマホを取り出していた。

 ポチポチといじりながら、ネットであるものを探す。


 夏の短期バイトだ。

 勝手に落ち込んでいる暇があったら、今のうちに求人を探しておかないと。

 一ヶ月とはいえ死活問題になる。


 夏はイベントが目白押しだから、バイト探しに困ることはないだろうけど。

 どうせなら楽しいことがしたい。

 遊園地のスタッフとか、プールの監視員とか、海の家もいいな……。


「主人の前で他の雇われ先を探すなんて、いい度胸ね」

「っ!?」


 求人情報に気を取られていたら、突然夕莉が隣からスマホを覗いてきた。

 トレーを返却して戻ってきたようだ。


 咄嗟に横へ振り向くと、思いの外夕莉の顔がすぐ近くにあって心臓が飛び跳ねる。

 危な……もう少し勢いがあったら顔がぶつかるところだった。


「ちょっ……勝手に覗かないでよ」

「どうして浮かない顔をしているの」

「は……?」


 脈絡のない返しに、一瞬思考が停止した。


 ……やばい。

 些細な不満が表情にでていたどころか、その様子を見られた。


 どうにか誤魔化したくて顔を逸らすも、至近距離で夕莉が私を見つめているせいで、異様に圧を感じてしまう。


「別に、してないけど」

「嘘。それならなぜ私と目を合わせないの」


 これは下手に言い逃れしてもしつこく言及されるやつだ。

 ……はぁ。逃げられない、か。

 渋々観念して、投げやりに理由を吐き捨てる。絶対引かれるな……。


「だって…………付き人の仕事が休みってことは……その間ずっと、夕莉には会えないってことでしょ」


 こんなの誰が聞いても拗ねてると思われるわ。

 ていうか、正直すぎて自分が一番引いてる。


「…………奏向」

「…………」

「奏向」

「…………」


 あーもう、今は呼ぶな。

 赤面していると自分でもわかるくらい頬がめちゃくちゃ熱いから、まともに顔を向けられない。


 夕莉を視界に入れないよう全力で体ごと背けようとしたけど、顎に手を添えられて強引に顔の向きを変えられた。

 首がぐいっと捻って痛いと思う暇もなく、無理やり夕莉と目を合わせられる。


 私の瞳を真っ向から見つめる彼女の眼差しは、どこか優しげだった。


 いっそ蔑むような視線を向けてくれたら良かったのに、そんな表情をされたら羞恥心でどうにかなってしまいそうだ。


 夕莉は顎から手を離すと、今度は私の頭をぽんぽんと撫でて、子どもを諭すような柔らかい口調で話し始める。


「"護衛"はしなくていいと言ったけれど、付き人の仕事を全て休んでいいとは言っていないわ。何より、私を差し置いて他の職場で働くのは許さないから」


 彼女の言葉に、私は目を見開いた。

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