第63話 夏の計画(1)


  * * *



 雪平朱音は自分の置かれている現状を呑み込むことができなかった。


 一刻も早く帰りたい。

 ただその感情だけが脳内を駆け巡る。

 そもそも、無関係な自分が呼び出された理由がわからなかった。


「――さて。今年もこの季節がやってきました」


 部室棟の一番奥、人通りがほとんどない場所にある角部屋で、とある人物がここぞとばかりに仕切り始める。


 室内には、朱音以外に一人の生徒と一人の教師がいた。

 三人は円で囲むように、それぞれが向かい合わせになって座っている。


 気になるのが、この場にいる人数に合わない椅子の数。

 朱音の隣に一つの空席があった。


 この部屋へ半ば強引に招かれてからすでに用意されていたものなので、後から誰かが来るのだろうか。

 そんな疑問が一瞬浮かんだが、今はそれどころではない。


 これから重要な話し合いでも始めようとしている雰囲気を感じる。

 しかし、これだけは朱音の中ではっきりと断言できた。

 その話は、自分には一切関わりのないものだと。


「夏、ですね」


 神妙な面持ちの生徒――木崎きさきちがやが相槌を打つ。


「そう。夏といえば何でしょう、雪平さん」


 茅の返答に満足げに頷いた教師――咲間から唐突に話を振られた。


 このよくわからない集会の参加者として扱うのはやめてほしいし、厳密に言えば、まだそこまで夏という感じではないような。

 そんな横槍を入れられるでも空気でもないので、渋々付き合うことにする。


「かき氷……ですかね」

「それもあるね。あとは?」

「あと? ……花火、とか」

「花火! いいね。他には?」

「……海」

「うんうん、いい線いってる」


 この返し方、明らかに特定の答えを導き出そうとしている。

 何を言わせたいのか、集まっている面子からして何となく察せてしまうのだが、彼女たちの思い通りに発言するのは無性に気が引けた。


 しかし、いつまでも当て外れな答えを出していたら、永遠にここから解放してくれないかもと、悪い予感が頭を過る。

 朱音は小さくため息を吐いて、仕方なく空気を読んだ。


「肝試し、ですか」

「大正解!」


 大したことも言っていないのに、まるで難しい問題を解いた生徒を褒めるかのようなテンションで咲間から拍手をされる。

 茅も目を輝かせながら何度も頷いていた。


「夏といえば肝試し! わたしたちオカルト研究会にとっての一大イベントですっ」

「そんな怪しい会のメンバーになった覚えはないんですけど」

「今日からだよ、朱音ちゃん」

「いや、勝手に決めんなし」


 この学院にはオカルト研究会という同好会がある。

 オカルト好きの咲間と茅が偶々意気投合して、勢いで立ち上げたらしい。


 以前、茅から意気揚々と話をされたことがあった。

 趣味が合う人にようやく出会えたと。

 その相手がまさか先生だとは、当時思いもよらなかったけれど。


 発足してからもうすぐ一年が経つようだ。

 当初三年生だった先輩が一人いたが、彼女が卒業してから未だ誰も入会希望の生徒が現れていない。

 顧問の咲間を除いて、会員は現在茅だけだという。


 二人とも生徒会にも携わっているのに、よく両立できているなと、ある意味感心している。


「というわけで、今年の夏休みは思い切って遠出をしようと思うのね。二人はどこに行きたい?」

「だから何であたしも……」

「はいっ、トンネルに行きたいです!」

「ガチじゃん」


 茅は怖いものが苦手だったはずだ。

 初対面の奏向に怖気付いていたほどなのだから。


 それとも、不良はダメでオカルトは平気という、彼女なりの基準があるのだろうか。

 確かに、幽霊よりも生きた人間の方が怖いと言う人もいるが。


「ていうか、どうしてそれを今決めてんですか。早く帰って期末テストの勉強したいんですけど」


 七月初旬にある期末試験まで、約一週間。

 テスト勉強期間真っ只中で、夏休みにどこへ行きたいかなんて呑気に話し合っている場合ではない。


「ごめんね。四人が集まれる時間が今しかなくて……」

「四人?」


 茅が申し訳なさそうに苦笑を浮かべる。


 今この場にいるのは三人。

 しかし、並べられた椅子の数は四脚。

 やはりもう一人参加者がいるようだが、当然ながらその姿はない。


 もしや、自分だけが見えていないだけで、二人には四人目が見えているのか――。

 そんな恐ろしい憶測が脳裏を過った直後、部屋の扉がノックされた。


 見計らったかのようなタイミングに、驚きのあまり肩が跳ね上がる。

 朱音は咄嗟に扉の方へ振り向くと、誰かが入室してくる瞬間を捉えた。


「失礼します」


 現れたのは、あまりにも予想外な人物だった。

 この場にそぐわない彼女の存在は、別の意味でオカルトよりも厄介かもしれない。

 変な緊張感が押し寄せてくる。


「待ってました神坂さん!」

「夕莉ちゃん、こっちこっち」


 お目当てらしき人物の登場に、二人のテンションがさらに上がる。


 特に困惑するでもなく、夕莉は茅に促された椅子――朱音の隣へ素直に腰掛けた。


 明らかに人選ミスのような気がする。

 彼女が茅と同じようにオカルト好きだとは到底思えない。

 そもそも、ここが何の目的で集まっている場所なのか、わかった上で来たのだろうか。


「それで、大事な話というのは」


 どうやら、詳細までは把握していないらしい。

 相変わらず何を考えているのかわからない表情で、単刀直入に用件を聞き出そうとしている。


 判然としないことを嫌いそうな彼女が、"大事な話"という曖昧な表現でよく来てくれたなと思う。


「あのね。夏休みにオカルト研究会のメンバーで肝試しに行こうと思ってるんだけど、夕莉ちゃんもどうかなって……」


 茅が端的に説明する。

 本当になぜ夕莉を誘おうと思ったのかが謎だ。

 彼女が誰かと遊ぶという光景が想像できない。


「オカルト研究会?」

「えっと、心霊現象とか超常現象とか、自然科学では解明できない現象についての知見を深めたり、そういうスポットを実際に巡ってみたりしてるの」

「"未知"の素晴らしさをぜひ神坂さんにも共有したいなと!」

「……確か、昨年度先輩が卒業されてから、会員は現在木崎さんだけですよね。規定では、最低二名以上の人数が所属していなければ同好会としては認められないはずですが」

「ウッ……」


 かなり核心を突いた夕莉の発言に、咲間が硬直する。


 肝試しへ誘うために呼び出したはずが、その相手が厳格な生徒会長だったがゆえに、同好会存続の危機に陥ってしまうとは誰も予想しなかっただろう。


 朱音からすれば、こんな気まずい現場になぜ無関係の自分が立ち会わなければならないのか、不思議で仕方なかった。

 そして早く帰りたかった。


「だ、大丈夫です! 雪平さんが今日から入ってくれるって。ほんと、ありがたいなー」

「はいッ!?」


 強引にも程がある。

 肝試しに同行するだけでなく、オカルト研究会のメンバーにさせられるとは。


 オカルトに興味がないどころか、アルバイトをしている朱音はどの部活や同好会にも入る気はさらさらなかった。


「いやいや! そんなこと言ってない――」

「朱音ちゃん……」


 今だけは話を合わせてほしい。

 そんな切実な思いが茅の視線からひしひしと伝わってきた。


 隣に座っている夕莉からは、真意を確かめるような眼差しを向けられる。

 無表情だが、心の内を見透かされているような圧を感じた。


 ここで無理に自分の意志を押し通せば、それこそ重苦しい空気になってしまう。

 逃れられない。そう悟った朱音は、心を無にして答えた。


「……今日から入る、予定です……」

「……そう。それなら、入会届は速やかに提出するように」


 事務的な言葉をかけて、夕莉は朱音から視線を外した。


 とんだ災難である。

 近いうちに身代わりを見つけなければ。

 テスト前の忙しい時に、余計な問題が増えてしまった。


「あの、夕莉ちゃん。場所とかはまだ決まってないんだけど……心霊スポットとか、興味ない? 無理なら全然断ってくれていいんだけど、もし良ければ、一緒に行きたいなぁ、なんて……」


 語尾が徐々に弱くなっていく茅に対し、夕莉は無言で茅を凝視している。

 威圧しているわけではない。

 けれど、その目には威厳があった。


 返答に悩んでいるのか、暫しの沈黙が流れる。

 どうせ脈なしだろうと期待していなかったが、これまた意外な発言を聞くことになる。


「構わないわ」


 さして嫌がる様子もなく、淡々と了承した。

 マジかよ……と、朱音の顔が引きつる。

 茅と咲間が各々で驚きと喜びの表情を浮かべる中、夕莉は「ただ」と繋げた。


「もう一人、誘ってもいいかしら」



  * * *


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