第62話 お弁当(3)

 夕莉から"お弁当が食べたい"と言われた翌日のお昼休みに、屋上で彼女が来るのを待つ時間は、心なしか長く感じられた。


 洋風の庭園にでもありそうなガーデンベンチに腰掛け、膝の上には二人分のお弁当箱を落とさないようにしっかりと抱えて。


 屋上はちょっとした穴場のような場所だった。


 放課後、用事がある夕莉を待つ間の暇潰しとして、ここで日向ぼっこをすることが時々あったけれど、ほとんど人が来たことはなかった。


 この学院は憩いのスポットがいくつもあるから、数台のベンチと申し訳程度の緑しかない本校舎の屋上にわざわざ足を運ぶ人は少ないのかもしれない。


 ちなみに、食堂棟の屋上は庭園になっていてテラス席もあり、寛ぐにはかなり居心地が良さそうな場所である。

 二階や三階にある飲食店で食べ物を買って、そのまま屋上庭園で食事をするという人も少なくないらしい。


 そこで食べようかと誘ってみたけれど、人目の多い場所は嫌だと断られた。

 彼女直々のお願いもとい命令で、閑散とした本校舎の屋上に来たというわけだ。


 私も、ゆっくりするなら落ち着いた場所がいい。

 そういう感覚は夕莉と同じようだ。


 時期は梅雨だけど、奇跡的に昨日から晴れてくれたおかげで、今日は行楽日和だった。


 外で食事をするのに絶好の晴天の下、夕莉を待つこと約10分。

 私しかいない静かな屋上に、足音が聞こえてきた。

 出入り口の方を振り向くと、案の定夕莉の姿が見えた。


 手を振って居場所を伝えるも、チラッと私を一瞥しただけですぐ視線を落としてしまう。

 ベンチまでやって来て私の隣に腰を下ろすと、申し訳なさそうに目を伏せた。


「ごめんなさい。少し所用があって……」

「全然だいじょーぶ。待つのは苦じゃないし」


 待ち時間が長く感じられたとはいえ、来るのが遅いという不満は湧かなかった。

 むしろ、早く来ないかなと待ち遠しく感じる気持ちの方が強くて、逆にワクワクしたというか。


 早く起きてお弁当を作っていた今朝のことを思い出したり、これを見たらあの子はどんな反応をするだろうかと想像してみたり……って、今思うと無意識に夕莉のこと考えすぎでしょ……。


 最近はドギマギしてばかりだけど、今日はそう簡単にペースを乱されたりはしない。

 涼しい顔で振り回してくる夕莉への仕返しに、ちょっとした"イタズラ"を用意してきた。


 恐らく、軽蔑の目を向けられるかもしれない……いや、今さら怖気付いたって後の祭りだ。

 その"イタズラ"を彼女に手渡す寸前まで来ているのだから。


 あんな不意打ちをお見舞いされたからには、こっちだって何かしらの弱みを握り返さないと気が済まないっつの。


「はい、これ。腕によりを掛けて作ったお弁当だから、期待していいよ」

「随分な自信ね」


 まずは気を持たせて、油断させる。


 そんな密かな思惑を疑う様子もなく、夕莉は私が差し出したお弁当を素直に受け取った。

 箱を包んでいるランチクロスの結び目に手をかけて、ふと私の方へ顔を向ける。


「……開けてもいい?」

「もちろん」


 律儀に許可をとった後、ランチクロスを広げてお弁当箱の蓋をゆっくり外した。

 中身を目の当たりにした夕莉は、ぱちぱちと瞬きをしながら興味深そうに凝視している。


 私も自分のお弁当箱を開けて、先割れスプーンを手に取った。


「洋食派の夕莉に合わせたご飯だから。どう? 好きなものばっかりでしょ」


 彼女が洋食好きなのは当然知っている。

 ハンバーグとかカレーライスとか、子どもが好きそうな料理を特に好んで食べることも。


 私の作るお弁当を初めて食べてもらうのだから、絶対味に妥協はしたくないし、美味しいと思ってもらいたい。


 そして作ったのがオムライスだ。

 仕切りのレタスとポテトサラダ、ちょっと豪華にエビフライも添えて。

 お子様ランチをそのまま箱に詰めたような仕上がりになった。


 夕莉のリアクションは相変わらず薄いけれど、その目は期待に満ちているように見えた……が、ある一点に視線が向いた瞬間、眉根を寄せて不機嫌そうな目に変わる。

 気付いたか。わかりやすいなぁ。


「ああ、それ? 夕莉のにんじん」


 お弁当の端っこにちょこんと添えられている、ミニキャロットのグラッセ――と見せかけたウインナー。

 焼き加減で色を寄せて、頭に葉っぱとなるブロッコリーを刺してある。


 パッと見て、本物のにんじんだと思い込んでしまうほどの見た目だ。

 このにんじんウインナーに最も力を入れたと言っても過言ではない。


「……どういうつもり」

「どうもこうも、大好きなものをもっと美味しく味わってもらいたいっていう私からの愛情表現だよ」


 ジト目で睨んでくる彼女に、にんじんが偽物であると気付く気配はまだない。

 嫌いなものが目の前にあることを一度でも認識してしまうと、悪いイメージはなかなか覆らないようだ。


 ここまでの反応は想定の範囲内。


 硬直したまま、何かを躊躇うように目を逸らす夕莉の姿に悪戯心がくすぐられ、ぐいっと顔を寄せる。


「食べさせてあげようか」


 夕莉が動揺したような眼差しを私に向ける。

 その一瞬の隙に、彼女のお弁当にあるにんじんもどきをぷすっと刺して奪い取った。「あっ」と小さく焦りの声を上げる。


「ほら、あーん」


 夕莉の口元に、にんじんもどきを近付ける。


 唇を引き結んで、断固として受け入れない姿勢を貫いているものの、いつもの冷静さは感じられない。


 どうすればこの場を凌げるのか、でもにんじんだけは何としても食べたくない。

 そんな葛藤が手に取るように伝わってくる。


「好き嫌いなんてないよね」

「…………」

「いらないの?」

「…………」

「夕莉のために一生懸命作ったんだけどなー」

「…………」


 しきりに目を泳がせて、心底困ったように顔をしかめている。


 普段はあまり感情を表に出さない夕莉の焦っている姿を存分に拝められたし、イジるのはここまでしておこう。


 やっぱり嫌なことに関してはあからさまな態度をとるということがわかっただけでも充分な収穫だ。

 それに、嫌いなものをしつこく勧めるのはさすがに相手が可哀想だしね。


「これね、実はにんじんじゃなくて……」


 ネタバラシのために、夕莉の口元に差し出していたにんじん改めウインナーを引っ込めようとした時。


 ぱくっと。

 私の持っている先割れスプーンに突き刺さったウインナーを、夕莉が口に含んだ。


「お……?」


 思わず素っ頓狂な声が漏れる。


 え、だって。

 勘違いとはいえ、夕莉にとっては嫌いな食べ物のはずなのに、まさか食べるとは思わなくて……。

 というか、私が食べさせようとしたものを受け入れてくれたのが、嬉し……じゃなくて。


 何度も言うけど、一応これは本物のにんじんではなくウインナーだから、食べたとしても彼女には何の害もない。


 口元を押さえながら、恐る恐るゆっくりと咀嚼していたが、険しかった夕莉の表情が次第に落ち着きを取り戻していく。

 飲み込んだ後に小首を傾げて、不思議そうに呟いた。


「……にんじんじゃ、ない」

「そ、そう! これウインナーなんだよねー。びっくりした?」


 湧き上がる喜びを誤魔化したくて、無理やり笑顔を作る。


 私の顔を一目してすぐさま視線を逸らした夕莉は、口元を押さえたまま頬を赤く染めて、


「………………ばか」


 からかわれたことを不貞腐れるように。

 どこか恥じらうように。

 投げやりに言い放った。

 耳まで真っ赤にして、私から逃げるように顔を背ける。


 ……ねえ。その反応は反則でしょ。

 弱みを握り返そうとして、何でまた私が動揺させられてんのよ。


 やばい、どうしよう。

 このままじゃ何をしてもやり返される構図しか浮かばない。


 そもそも、夕莉の些細な仕草とか言動にいちいち意識してしまう私の心が一番厄介な原因なのでは……。


 どうすればいい? どうすれば夕莉にも私と同じこのモヤモヤした気持ちを味わわせることができるんだろう。

 どんなイタズラをすれば、あの時の仕返しを果たせる……?


 割と真剣に悩んでいたら。


「あっ!」


 夕莉が私のお弁当からおかずを素早く奪って、一口食べてしまった。

 悪いことをした自覚なんて微塵もないのか、どこ吹く風で遠くを見るような目をしている。


 食べかけのそれを見て、悩み事が嘘みたいにどこかへ吹き飛んだ。


「ちょっと」

「奏向が変な嘘をついたせいよ」

「だからってエビフライ取る? 一番楽しみにしてたやつ!」

「手近なところにあったから。つい手が伸びてしまったわ」

「白々しいなっ。あんた、人が最後に残しておいたショートケーキのいちご横取りするタイプでしょ」

「最後も最初も関係ないわね。私なら欲しいと思った瞬間に取るわ」

「タチ悪ぅ」

「私のために作ってくれたお弁当でしょう」

「今私が持ってるこのお弁当が夕莉のもんじゃないことだけは確かなのよ」

「なぜそこまで必死になっているの」

「食べ物の恨みナメんな」


 嫌いなものは押し付けるわ、好きなものは遠慮なく奪うわ、こんな自分勝手なお嬢様に振り回されるこっちの身にもなってほしい。


 だけど悔しいことに、そんな彼女のワガママをすっかり受け入れてしまっているのも事実だった。

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