第61話 お弁当(2)
せっかく頭から追いやったはずの邪念が呼び起こされてしまった。
毎日夕莉と顔を合わせなければいけないのに、私がいつまでも気にしていたら付き人の仕事に支障をきたしてしまう。
と、頭ではわかっていても、なかなかあの時の感情を忘れることができないどころか、日に日に煩わされるばかり。
ほんと、どうしたもんか……。
「大勢で食事なんて、珍しいな……」
「食事? 会議じゃなくて?」
「あはは……さすがにここではしないと思うよ」
私のさりげない疑問に、木崎さんが苦笑する。
夕莉はお昼休みをいつも決まった人と過ごすわけではないのだろう。
生徒会室で仕事をしている時もあると言っていたし、たまに私と一緒に食堂で食べることもある。
もちろん、今みたいに他の子たちと一緒にいることだって。
夕莉の付き人とはいえ、登下校時以外で彼女がどんな学校生活を送っているのかはほとんど知らなかった。
よく一人でいる私とは違って、輪の中心にいることが多いんだろうな。
生徒会長だから、交友関係も広そうだ。
「"珍しい"って、よくあることじゃないんだ?」
「うん、そうだね……。確か、夕莉ちゃんは群れるのが好きじゃないって聞いたことがあるから」
「ふーん……」
確かに彼女の性格からして、いつでもどこでも複数人の誰かと行動を共にするのは柄に合わない気がする。
それでも、大人数で食事するなんてこともあるんだ。
誘いを断れないような子でもないし、誰と一緒にいたいかは、その日の気分によって変わるものなのかもしれない。
「やっぱ夕莉って人脈あんだね」
「んー……多分、あの子たちは取り巻きというか……ファンみたいな感じじゃないかな」
「ふぁん?」
「夕莉ちゃん、裏ではすごく人気だから。自然と人が集まるんだよ」
何だこの既視感のあるやりとりは。
そういや、前に雪平から似たような話を聞いた記憶がある。
そのカリスマ性と誰もが目を奪われるルックスから、裏で夕莉のファンクラブが存在するらしいと。
じゃあ、あれはクラブの集いってこと?
そんなサービス精神旺盛なタチじゃないでしょ、あの子。
……わからない。
ますますわからなくなった。
夕莉の素性が。
そもそも、はじめから彼女のことを何も知らなかったんだ。
ほとんど私といる時の夕莉しか見たことがないから。
私以外の誰かにどんな顔を見せて、どんな風に接しているか、想像すらしたことがなかった。
あくまで私は付き人だから、主人の交流関係まで詮索つもりなんてなかったのに。
思い煩っているせいか、私以外に見せる彼女の一面がどんなものなのか、無性に興味を抱いてしまっている自分がいる。
これじゃあ、夕莉のことを意識しまくってると認めてるようなもんじゃん……。
「夕莉は、いつもあんな感じなの?」
何を血迷ったのか、あからさまな質問までしてしまった。
……これは勝手に口が滑っただけだ。
偶々視界に夕莉が入ってきて、偶々木崎さんが注目したから、偶々話の流れ的にそういう疑問が生まれただけ。
決して、私の知らない彼女の顔があることにモヤモヤするとか、そんな幼稚な理由からではなく……。
「"あんな感じ"?」
「常に無表情っていうか、無愛想っていうか。何事にも達観してるような感じ」
「生徒会とかで接する限りじゃ、いつもクールだなぁとは思うけど……。でも、不思議と冷たさは感じないかな。むしろそのミステリアスなオーラが魅力的に見えるんだよね」
あの雰囲気がむしろ魅力的?
どんなフィルターがかかればそこまで美化できるんだ。
いつの間にか木崎さんの目が、まるで憧れの人について語る時のように輝いている。
夕莉に対する私の感性が他の人と違うのか、それとも、他の人と私とでは夕莉の見せる顔が違うのか。
とりあえず、常日頃から誰の前でも澄ました態度でいることは事実らしい。
それならば――
「……人前で笑ったこととかあるのかな」
待って、一体何を聞いてんだ私は。
いつからこんなに本音をポロポロと口にするようになったのよ。
あ、いや違う、これは本音じゃなくて話の流れ的に自然と出た、取るに足らない細やかな疑問であって……。
「あれ……そういえば、見たことないかも。夕莉ちゃんが笑ってるところ」
なぜか心の中で必死に弁解していたけれど、木崎さんの曖昧な反応に、あれほど悶々としていた気持ちが一瞬で消えてしまった。
思い上がりかもしれない。
でも、その可能性を考えたら堪らなく嬉しさが込み上げてきて。
もしかしたら、皆からクールだと思われている淡白な夕莉の、あの柔らかな笑顔を知っているのは私だけなのではないかと。
「あたしの視界でニヤニヤすんな」
不意に、不機嫌そうな声が水を差してきた。
トレーを持って戻ってきた雪平が、蔑んだ目で私を見ながら木崎さんの隣に座る。
今日の昼食は、学食の日替わり定食のようだ。
生姜焼きの匂いにつられて、木崎さんが目を光らせている。
「……え、顔に出てた?」
「自覚ないとか、重症だろ」
そんな馬鹿な。
勝手に嬉しいと感じてしまったとはいえ、自分でも全く気づかないほど顔が緩んでいたなんて恐ろしい。
さっきまで放心状態に近かったのに、今度は有頂天になっている。
たった一人のことを考えてここまで一喜一憂するとか、振り回すのも大概にしてほしい。
「別に、ニヤけて……ないし」
「いーや、ニヤけてた。目の前で気色悪い顔されたらご飯が不味くなるわ」
「じゃあ隣くる?」
「いかねーよっ」
私の横にいれば顔を見なくて済むはずなのに。
大体、私と一緒にお昼を過ごしている時点で満更でもないんだ。
まったく、雪平は素直じゃない。
「あの、二色さん。さっきの話の続きなんだけど……その……お弁当を作ってきてくれるっていうのは……」
「はあ!?」
モジモジしながら切り出した木崎さんに対し、仰天のあまり声が裏返る雪平。
そうだ。夕莉の姿が視界に入ったせいで話題が逸れてしまったけど、お弁当云々について話している途中だった。
今度こそ、夕莉のことは一旦忘れよう。
お昼の休憩時にまで、得体の知れない感情に安息を奪われるのは御免だ。
「お前……
「そんなんじゃないって。あ、そうだ。雪平にも作ってあげるよ。二人分も三人分も手間変わんないし。ついでにお菓子もあげる」
「いらねーし! お菓子ごときで釣られると思うなよ」
「そりゃ残念。木崎さんは?」
「わたしは、えっと……二色さんが迷惑じゃなければ……食べてみたいな」
「茅っ! こいつの口車に乗るな!」
「うぅ……だって、食欲の方が勝っちゃって……」
忘れよう――と思いつつ、頭の片隅には近くにいる彼女の存在が過っていた。
お昼休みが終わる十分前。
化粧室の鏡の前で、私は自分の頭頂部をジッと凝視していた。
生え際の髪色が黒くなっている。
前回染め直したのは四月。それから二ヶ月が経って、地毛がひょっこりと現れ始めた。
地毛と全く系統の違う色を綺麗に維持するのは大変だ。
でも、人生で初めて染髪してからずっとこの色だし、今さら黒に戻すのもなぁ……。
染めるのやめろって話なんだけど、何だかんだで気に入ってるし、もう金髪でいることが当たり前になってしまった。
美容院代のことを考えて、ため息が出た。
若干憂鬱になりながら、教室へ戻ろうと体の向きを変えた時。
「……っ!?」
思わぬ人物が視界に入り、咄嗟に身構えた。喫驚しすぎて逆に声が引っ込む。
振り返った先、というか私のすぐ隣に夕莉がいた。
人が入ってきた気配なんて感じなかった……いや、私が気を抜いていただけか。
急に誰かが傍に現れた時の衝撃たるや、パーソナルスペースにいきなり知らない人が侵入してきたような感覚だ。
何より、また襲われるのではないかと思ってしまって……。
「びっ……くりした…………驚かせないでよ」
「あなたが勝手に驚いただけでしょう」
悪びれる様子もなく一蹴された。
眉をひそめる私を、夕莉は凝然として見ている。
「なに……あ、ここの鏡使いたいの?」
「…………」
「……違うの?」
微動だにしない彼女の表情に、ただただ困惑するしかない。
だって、化粧室に来てすることなんて、用を足すか身繕いするくらいでしょ。
それなのに、特に何をするでもなく棒立ちしている……と思いきや、私の隣の洗面台に向き直り、手を洗い始めた。
……なんだ。ちゃんとここに来た理由はあったんだ。
そもそも、意味もなくこんな所に来るような不可解な行動を夕莉がとるはずないしな……。
突然おかしくなってしまったわけではなかったことに安堵していたら、ハンカチで手を拭きながら夕莉がぼそっと呟いた。
「……私以外の前でも、あんな笑顔を見せたりするのね」
「ん……?」
何のことだろうと思い、思考が止まる。
"あんな笑顔"?
そりゃあ、誰かさんに比べれば人前で笑うことくらいあるけど。
まるでその瞬間を見ていたかのような口振りだ。
でも、どうして今そのことを指摘するんだろう。
「夕莉……もしかして――」
「明日のお昼は」
私の動向でも観察しているのか。
そんな恐ろしいことを確かめようとして、半ば強引に遮られる。
私とは目を合わせないまま踵を返すと、彼女らしからぬ遠慮がちな声が、控え目に要望を漏らした。
「……奏向の作るお弁当が食べたい」
「お弁当?」
珍しい。夕莉が率直に食事のリクエストをするなんて。
思わず拍子抜けしてしまい、さっきまで抱いていた警戒心が吹き飛ぶ。
そして徐々に言葉の意味を理解し始めて、嬉しさのあまり顔が綻んだ。
なぜこのタイミングで要求してきたのかは謎だけど……そう言ってくれるということは、私の料理をお気に召してくれたってことだよね。
週に何度か神坂家で夕食を作っているけど、味の感想とか、あまり本人から聞いたことがなかったから正直不安はあった。
そっか、"私の作る"お弁当か……なんて惚けている間に、夕莉が化粧室を出ていこうとしていた。
慌てて彼女の背中に声をかける。
「わかった。楽しみにしてて」
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