第60話 お弁当(1)
お昼時の食堂で。
お弁当に敷き詰められた卵焼きを箸でつつきながら、心ここに在らずといった状態で放心していた。
つつきすぎて、せっかく綺麗に巻けた卵焼きがボロボロになっている。
かと言って、摘んで口に入れるでもなく、嫌いな食べ物を前にいじける子どものような仕草を繰り返し、一向に箸が進まない。
このままお昼休みが終わってしまいそうだ。
「……二色さん、大丈夫?」
抜け殻のように生気が消えかけている私を気遣ってか、向かいに座る
「……あ、うん。何でもないよー」
咄嗟に笑顔で返す。
……大丈夫?
今の私、ちゃんと笑えてる?
顔が引きつっていないか不安だったけど、表情の不自然さを指摘されることはなかった。
あの事故とも事件とも言える出来事を境に、いつも以上にぼーっとしてしまう時間が増えた。
人前、特に夕莉の前では、これ以上弱みを握られたくないというのもあって、思い詰めている雰囲気を悟られないように努めて普段通りの振る舞いを心掛けてはいるけれど。
一人になった時、ふと思い出してしまう。
あの時、求めるような眼差しで私を見ていた夕莉の顔を。
その度に、胸の奥がきゅっと締めつけられるような、形容しがたい感覚に襲われる。
今まで経験したことのない感情に苦しめられる。
もういっそ記憶を消したいくらいなのに、毎日夕莉と一緒にいるせいで否が応でも意識してしまう。
元凶である当の本人は、あの出来事をまるで覚えていないかのように涼しい顔で過ごしていた。
夕莉にとっては、気に留めるほどのことではなかったんだ。
私だけが無駄にモヤモヤしていて、まんまと手のひらで転がされたみたいだ。
ようやく彼女のことが少しずつわかり始めてきたと思ったのに、またわからない一面が増えてしまった。
無意識に漏らしていた私のため息に、木崎さんが反応して首を傾げている。
「朝から……っていうか、最近様子がおかしいような気がするんだけど……」
「だいじょーぶ。まだ五月病を引きずってるだけだから」
「もう六月になってだいぶ経つよ?」
「じゃあ六月病だ」
何も考えずにする緩い会話が、今はちょうどいい。
最初は私のことを怖がっていた木崎さんも、こんなに打ち解けてくれるようになって、今ではお昼ご飯を一緒に食べるまでの仲になったというのに。
毎日登下校を共にして、家でのラフな姿も知っていて、笑顔も見せてくれた夕莉との関係は、相変わらずよくわからないまま。
もちろん、主人と付き人という雇用関係は大前提ではあるけれど。
私は夕莉と、一体どんな繋がりを築きたいのだろう。
そうやって疑問に思いながらも、本当は薄々気づいているはずなんだ。
多分、友達以上の親密な関係を望んでいる。
でもそれは、きっと許されない。
仕事に私情は持ち込まないと、他でもない私自身が枷をかけたのだから。
それに、付き人の六ヶ条というものがあるくらいだから、夕莉もある程度の線引きはしたいのだろう。
近付きたいけどすぐ距離をとってしまうのも、これが理由なんだと思う。
あくまで契約上の関係だと割り切ってしまえば楽なのに。
夕莉の隣にいると、気にかけたくなる。
余計な感情が理性の邪魔をする。
私の態度のせいだとか何とか言っていたけれど、彼女の方がよっぽど私を振り回しているではないか。
こっちは他人に異変を指摘されるくらい思い悩んでいるのに、何であの子はさも平気そうな態度でいられんのよ……。
「そういえば二色さん、今日もお弁当なんだね」
危うくまた遠くへ行きそうになった意識が、木崎さんの声で呼び戻される。
今は彼女と一緒にいるのだから、他のことを考えるのはやめよう。
せっかく作ってきたご飯の味が感じられなくなる。
「うん。たまにはちゃんとしたもの食べようと思って」
と言いつつ、
私もお母さんもそこまで食べる方ではないから、毎日ひぃひぃ言いながら胃を満杯にしている。
あの子は私たちを肥やすつもりなのだろうか。
気持ちはありがたいけれど、せっかくの食料が食べきれずに腐ってしまっては意味がない。
まぁ、一日三食をしっかり摂るようになったことと、外食続きだったお母さんが家で食べてくれるようになったことは良かったと思う。
普段は昼食を食べないことの方が多いし、何なら高校に入ってからお弁当を持参したのは、ここ最近が初めてかもしれない。
毎朝準備するのは少し手間だけど、食料がなくなるまでの間は暫くお弁当を作るつもりだ。
「すごく美味しそう……」
今にも涎を垂れ流しそうな眼差しで、木崎さんは私のお弁当を凝視している。
これといって特徴のない、至って普通の中身なのに。
でも、彼女は無理にお世辞を言うような子じゃないから、本当にそう思ってくれたのかもしれない。
「食べてみる?」
「え、いいの?」
「今日はあんまり食欲ないから。むしろ食べてくれるなら嬉しいよ」
「うわぁ……ありがとう……!」
お弁当を差し出すと、キラキラと目を輝かせて嬉しそうに笑った。
どれを食べようか悩んでいるのか、しきりに視線をキョロキョロさせている。
ちなみにおかずは、焼き鮭と卵焼き、きんぴらごぼうにちくわの磯辺焼きと、彩りを加えるためのプチトマト。
まあまあ頑張って作った割には焼き鮭しか口にしていないから、もったいないことこの上ない。
「そんなに悩むなら、全部食べちゃう?」
「ふぇっ……!? いやいやっ、それはさすがに申し訳ないよ……あ、じゃあ卵焼き、いただきます」
半分本気で勧めてみたら、首を横に振って面白いほど狼狽えていた。
素直で冗談があまり通じないタイプだから、ついイジりたくなってしまう。
木崎さんは卵焼きを箸で摘み一口で頬張ると、顔を綻ばせた。
「おいしい……! 二色さんも卵焼きは甘い派なんだね」
「木崎さんも? よかった、口に合って。甘党だから、いつも砂糖多めに入れちゃうんだけど」
「でも全然甘ったるくない。何個でもいけちゃう味だよ」
傍目でもわかるくらい、本当に美味しそうに食べてくれる。
木崎さんと何度か一緒に昼食をとるようになって知ったことだけど、彼女は見た目に反してかなり大食いだ。
今だって、私のものより一回りも二回りも大きい、食べ盛りの男子高生が持っていくようなサイズのお弁当箱を二つ並べている。
それでいて食べるのも早い。
お弁当だけでは物足りず、追加で学食を注文することも。
一体その痩身のどこに入っていくのかと思うほど、とにかく食べる。
……ん、待てよ。
大食いの木崎さんに手伝ってもらえば、家にある消費しきれない量の食べ物たちを何とかできるのでは?
「……お弁当、作ってこようか」
「んんっ……!?」
ちょうどお茶を飲んでいた木崎さんがむせた。
ケホケホと咳き込んで、びっくりしたように目を丸くしている。
「いや、あのっ……確かにすごくおいしかったけど、二色さんの手料理をもっと食べたいとか、そういう厚かましい意味は全然なくて……あっ、でも……」
めちゃくちゃ動揺してる。
さすがに単刀直入すぎたか。
いきなりこんなお母さんみたいなこと言われたら、お茶吹き出しそうにもなるわ。
「実は、知り合いからあり得ない量の食料とかお菓子をもらったんだけど。食べきれないから、もし嫌じゃなければ木崎さんにもお裾分けできればなって……」
途中まで言いかけて、ふと視界の端に入った光景に意識が持っていかれる。
「……二色さん?」
思考停止した私の視線の先を、木崎さんが目で追う。
彼女から見て背後にある、少し離れた斜め後ろの広いテーブル席に、複数人の生徒がぞろぞろとやって来ては着席していた。
席数の多い食堂だから、宴会のように集団で利用する人も少なくない。
それ自体は、何の変哲もない光景なのだけど。問題はその集団の中にいる人物。
「あ、夕莉ちゃんと詩恩ちゃんだ」
友達を発見したような軽快さで、木崎さんが二人の名前を口にする。
十人近く座っているテーブルの中心に夕莉がいて、その隣を加賀宮さんが我が物顔で陣取っていた。
あの人数、食堂で会議でも始めるつもりだろうか。
にしても、何でよりによって近くの席に来んのよ。
ようやく夕莉のことを忘れかけていたのに……。
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