第4章

第57話 罰

 放課後。職員室前で直立している私は、魂が抜けたように放心状態だった。


 場所が場所ということもあり、先生や生徒がよく往来している中で。

 こんな所に突っ立っていたら通行の邪魔になる? そりゃそうなんだけどさ。


 私の傍を通り過ぎる人たちが、一様に怪訝な目を向けてくるのが雰囲気だけでわかってしまう。

 渋々、重い足取りで廊下の隅に移動する。

 そして、背中が丸くなるほど深いため息を吐いた。


 端的に今の心情を表すなら、"意気消沈"である。

 受け入れ難い状況を、無理やり受け入れなければならないような辛さを強く感じている。ため息以外に労力をかけられないほどには。


 この事態を招いたそもそもの根本的な原因は、完全に私にあった。だから、仕方ないと言えばそれまでなのだけど。

 だとしても、落胆せずにはいられない心境もあるわけで。


 とりあえず、こうしてはいられない。

 思い出したようにスマホを取り出して、私は迷いなく夕莉へ電話をかけた。


 そういえば、この時間は生徒会の仕事中だったっけ。

 チャットで連絡した方がよかったかも……いや、大事なことだし直接話した方が……なんて考えていたら、3コールほどで繋がった。


『――はい』


 いつもと変わらない、凛とした夕莉の声。

 聞き慣れているはずの彼女の声が、今に限って変に緊張感を煽る。


 けれど、はっきり伝えなければ。

 これは、付き人の業務にも関係する深刻な問題なのだから。


 深く息を吸い込み、意を決して口を開く。


「……夕莉、ごめん」


 ようやく発した第一声は、謝罪だった。


 まずは夕莉に謝らなければならない。

 これから彼女に、多大な迷惑をかけてしまうかもしれないことに対して。


 全ては私のせいであることが、本当に不甲斐ない。

 できることなら誰かに擦りつけたい。

 一周回ってもはや自分が可哀想にすら思えてくる。


 なぜこのような事態になったのか、事の始まりは今から三十分ほど前に遡る。




 帰りのホームルームが終わって、放課後はどうしようかと考えていた。


 中間テストが終わった後の数日間は、勉強から解放された反動で何もやる気が起きず、屋上で日向ぼっこしながらぼーっとしていたのだけど。


 次の期末テストに向けて、ぼちぼち復習でも始めようかな。と思い、席を立とうとしたら。


「二色さん。ちょっといい?」


 顔を上げると、メガネをかけた中年の男性――辰巳先生がおっとりとした笑顔を浮かべながら、目の前に立っていた。


「この後、職員室に来てくれる? 折り入って話したいことがあるの。あ、警戒しないで。お説教とかじゃないから」


 無意識に怪訝な顔をしていたようで、すぐさま宥められる。

 何も身に覚えがないのに突然呼び出しをかけられたら、不審に思うのは当然のこと。


 これはお説教じゃないと一旦安心させておいて、実は割と重要な話だったりするパターンに違いない。


 軽い調子で手を振りながら、先生は先に教室を出て行った。

 ……なんだろう、嫌な予感しかしない。


 数分遅れて、職員室に入室する。


 奥の方にある相談スペースのテーブル席に、辰巳先生が座っていた。

 入口付近でキョロキョロしていた私に気づき、「こっちこっち」と手を上げて誘導する。

 軽くお辞儀をして、先生の対面に着席した。


「ごめんねぇ。急に呼び出しちゃって」

「いえ。……それで、お話というのは?」

「うん、ちょっとね、確認したいことがあるんだ」


 辰巳先生は、とてもおっとりしている。

 怒った姿を一度も見たことがないほど、常にテンションが一定なのだ。

 だから、表情が柔らかくても、内心では全く正反対の感情を抱いている可能性もある。


 怒るなら怒るで態度に出してくれた方が、こっちも心構えができるのに。

 笑顔でチクチク言われるのが一番嫌なんだよな……。


「二色さん。最近、悪いことしちゃったなーって思ったことない?」

「……はい?」


 何だ、その質問は。今さら懺悔でもさせる気だろうか。

 悪いことと言えば、一年生の時に無断で遅刻早退欠席をしまくったこと、授業中に居眠りしまくったことくらいだと思うんだけど。


「例えば、嫌いな食べ物残しちゃったりとか、一日一時間以上ゲームしちゃったりとか……人に言えないようなことをしでかしたりとか」


 そんな幼稚な悪事働くわけない、と呆れそうになって、最後の一言に緊張が走った。


 人に言えないようなこと……?


 "最近の悪いこと"という言葉からも連想して、私の中で過去のある騒動が思い浮かぶ。


 ……まさか。辰巳先生は、私が公園で暴力行為をしたことを知っている?

 その事実を自白させるための誘導尋問をしているのでは……。


 いや、さすがに考えすぎでしょ。

 加賀宮さんが私との約束を破って他言したなんて、疑いたくない。でも、完全に違うとも言い切れない。

 大体、どうしてこんな回りくどい訊き方すんのよ。


 一向に答えが出ない私に、先生は眉尻を下げながら苦笑した。


「……ありゃ、覚えてない? 君、中間テストの一週間くらい前に、授業中寝てたことあったでしょ」

「…………あー」


 そっちかい。

 そういえば、徹夜しすぎてどうしても眠気に抗えず、意識を飛ばしたことがあったような。その時が辰巳先生の授業だったんだ。


 ……仕方なくない? 一日の最後かつお昼休み後の授業を極限状態の中、悠長な話し方で五十分耐えろというのは到底無理。


「……すみません」

「よかった。自覚はあったんだね。"記憶にない"なんて言われたらどうしようかと……。本当はすぐ注意しようかと思ったんだけど、テスト期間前のピリピリした時に呼び出すのはさすがに可哀想だなぁと思って」


 気配りがすごい。これがもし咲間先生だったら、授業終了後に秒で呼び出されて、廊下で口喧しく叱られていただろう。


 とりあえず、例の騒動はバレてないってことで大丈夫……?


「うーん、どうしようかなぁ。実はね、もし次に二色さんが問題行動を起こすようなことをしたら、遠慮なくお仕置きしてくださいって、咲間先生に言われてるんだよね」


 なんてことを。じゃあ、私が呼び出されたのはこれが理由なのか。


 たった一回の居眠りが問題行動として扱われるとは……。

 元々素行が悪かったから、目を付けられるのは当然なのだろうけど。


 辰巳先生を介して咲間先生に監視されている感じがしてなんか嫌だ。


「退学じゃないですよね」

「ん? 退学?」

「あ、いえ。何でもないです」


 先生が心底不思議そうに首を傾げる。


 ひとまず、最も無慈悲なお仕置きはされないようなので一安心。

 とはいえ、退学以外の罰を快く受け入れられるかというと、そういう問題でもない。


「まぁ、居眠りしてたくせにテストの結果はすごく良かったから、それでお仕置きしちゃうってのもちょっと申し訳ないけどねぇ」

「罰を受けるというのはもう確定なんですね……」

「うん。これを見逃したら、今度は僕が咲間先生に怒られちゃう」


 教員間のヒエラルキーどうなってんだ。

 咲間先生は相手が同業だろうが目上の人だろうが、不正を働いた者には容赦がないらしい。


 ……なんて呑気に考えている場合じゃない。

 授業中の居眠りは確かにいけないことで、この期に及んで自分の非を認めないとか往生際の悪いことはしたくないけど、正直お灸は据えられたくない。


「とりあえず……無難にトイレ掃除でもしてみる?」

「…………」


 "はい"とも"いいえ"とも言えない状況に黙りこくるしかなかった。

 馬鹿正直に「嫌です」なんて言ったら、先生に反抗したってことでそれこそ問題になりそうだし。


 ……トイレ掃除か。

 いつの時代の懲罰だっつの。


「慈善活動だと思ってさ。清掃のおばちゃんも喜ぶよ、きっと」


 つまり、タダ働きをしろと。

 居眠りってそんなに罪深い行為かな……。

 いや、私には前科がありまくりだから、この罰はまだ優しい方なのかもしれない。


 咲間先生や他の先生だったら、もっと厳しく懲らしめられていた可能性があった。

 自分への戒めのために、ここは素直に首肯しておこう。


「……わかりました」

「じゃあ明日から一週間、放課後にお願いね。ワンフロア分」

「ワンフロア!?」


 前言撤回。全然優しくない。




 ――という経緯があって、今ものすごく気が滅入っている。


 掃除自体はまだいい。問題は、ワンフロアにある全てのトイレが対象だということ。

 何時間かかるんだこれ。

 場合によっては放課後、夕莉を待たせてしまうかもしれない。


 付き人の用事が終わるのを主人が待つだなんて、そんな事態があっていいのだろうか。


「……夕莉、ごめん。私……トイレ掃除することになった」

『………………どういうこと?』


 沈黙の末に、かなり怪訝そうな声が返ってきた。至極ごもっともな反応だった。

 眉をひそめている夕莉の姿が目に浮かぶ。


 かくかくしかじかの事情でこんなことになってしまったと説明しながら、自分の情けなさを嘆く。

 なんだよ、居眠りした罰としてトイレ掃除って。小学生か。


 電話の向こうの夕莉は、怒ることも呆れることもなく、ただ黙って私の話を聞いていた。

 一通り説明し終わった後、無感情な声で泰然と応える。


『明日の放課後からなのだから、わざわざ今電話で報告する必要はなかったと思うけれど』

「……確かに。この後帰りながらでも話せたか」


 考えてみれば、緊急事態というほどのことでもないから、今すぐ連絡する必要はなかった。

 あまりのショックで、早く誰かに吐き出したかったのかもしれない。


 空回りな行動にまたしても落ち込んでいると、フッと短く息を吐く音が聞こえた。


「……呆れてる?」

『というより、奏向は何事も本能的に行動する人なのだと改めて思っただけ』

「それ絶対バカにしてんじゃん」


 あながち間違いではないので、否定できない。


『……心配しないで。掃除が終わるまで、待っていてあげるから』


 諭すように言う彼女の口調は、心なしか優しかった。

 そんなことを言わせてしまうのが、ありがたくも心苦しい。


 同時に、少し嬉しくも感じた。

 綻びそうになる口元を、唇を引き結んで何とか堪える。


「ほんとにごめん。あんまり待たせないようにするから」

『せめて午後六時までには終わらせて』

「ハイ」


 有無を言わさない命令に、即座に頷く。

 意外にも、怒っているような雰囲気は感じられなかった。


 早く終わらせるために、今から掃除のシミュレーションでもしておくか……。

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