第54話 結果(2)

 私たちが生徒会室に到着した時、すでに加賀宮さんがソファーに黙座していた。

 これから生徒を説教する教師のような佇まいで。


 中間テストの結果を報告しに来ただけなのに、生徒指導室に入る時のような、ピリピリとした緊張感を覚える。


 いつも以上に、加賀宮さんの私を見る目が殺気立っているからだろうか……。

 勘が鋭いから、何かを察したのかもしれない。


「……二色奏向。会長に何をなさったのですか」


 そんなこともわかってしまうとは……。


 生憎、こっちが知りたい。私は一体何をやらかしたんだろう。

 気持ちを正直に伝えたら急によそよそしくなった、としか言えない。

 さっきから目も合わせてくれないし。


 言い淀んでいたら、夕莉が先にソファーへ腰を下ろした。

 例によって加賀宮さんの隣――ではなく、今日は対角の座席へ。


 ということは、私は加賀宮さんの正面かつ夕莉の隣? に座ればいいのかな。

 一番気まずい位置だわ。加賀宮さんがものすごく恨めしげに見てくる。


 またどうして今回は私の隣に……。

 避けられてるわけじゃなかったの……って、そうか。対面だと顔を合わせることになるからだ。


 向き合うのも嫌……というのはさすがに考えすぎだろうか。

 きっと今はあの位置に座りたい気分なんだ。


「――それで、結果が出たのでしょう?」

「あ……うん」


 夕莉の異変について言及したくて堪らないという雰囲気を全面に醸しつつ、要点だけを突いてくれたのは助かる。


 手に持っていた個票をテーブルに置いて見せてみると、眉根を寄せながら覗き込んだ。

 視線だけを動かして、内容を隅々まで確認している。

 改ざんでも疑っているような眼差しだ。


 そして最後に、ある一点を穴の開くほど見つめて、


「はぁー……」


 深く深く、怨念を腹の底から吐き出すような重たさで、それはそれは大きなため息を吐いた。

 見るからに失望したような表情で肩を落としている。


 私の退学を望んでいた加賀宮さんからすれば、この結果には不満しかないのだろう。

 まさか本当に三位以内に入るとは思っていなかった、と思い切り顔に書いてある。


「ほとほと貴女にははらわたが煮え返る思いをさせられますわ。お望みの成果を得られたのなら少しは喜んだらいかがですの? 不体裁な態度で現れておきながらこのような結果を見せびらかしてくるなんて性根が悪いですわよ」

「一応喜んではいる」

「信憑性の欠片もないですわね」


 加賀宮さんから詰められると、怒られるようなことはしていないはずなのに、異様に罪悪感を覚えてしまう。


「それとも、後ろめたい何かのせいで素直に歓喜することもできない、などというやましい事情はありませんわよね」


 ほんと鋭いな……。

 賭けに勝ったのだから、相応の態度をとるべき、とでも言いたいのだろうか。

 純粋に喜びを表現したところで、調子に乗るなと逆上してきそうだけど。


 どちらにしても、彼女の思い通りの結果にならなかった時点で、私が八つ当たりされるのは目に見えていた。


 やましい事情なんてない、と断言しかけて、こっそり夕莉の横顔を盗み見る。

 何の変哲もない、見慣れた無表情だった。


 ……あれ、いつの間にか雰囲気が元通りになってる。

 様子がおかしいというのは、私の思い込みだった?

 夕莉が普通にしているのに私だけ変に畏まるのは不自然だし、ここは素直に笑っておくか……。


「いい成績がとれて嬉しいなー」

「胡散臭い笑みはやめてください不愉快です」


 ほらやっぱり。相変わらずの容赦ない毒舌。

 けれど、今回だけはいくら罵声を浴びせられても許せる。

 私が中間テストで三位という成績を収めたのは、覆しようのない事実だから。

 何なら負け惜しみにしか聞こえない。


「……加賀宮さん。"二言はない"と言ってくれたわよね」


 今にも噛み付いてきそうな形相で睨んでくる加賀宮さんを適当にあしらっていたら、夕莉が冷静に言及してきた。


「…………」


 途端、親に叱られた子どものようにいじけた様子で黙り込む。

 加賀宮さんの中で大きな葛藤があるようだ。


 自ら明言した手前、今さら撤回することはできない。かと言って、私の実力をおいそれと認めたくはない。

 そんなジレンマに苦しんでいる様がありありと伝わってくる。


 暫く唇を噛み締めて俯いていた加賀宮さんは、短く息を吐いてブレザーのポケットからある物を取り出す。

 見覚えのあるそれは録音機だった。


 何やらポチポチと操作した後、私に見せつけるように投げやりな動作でそれをテーブルに置いた。


「これで、満足ですか」


 録音機には、データを削除した直後と思われる画面が表示されていた。


 おそらく、私が暴力沙汰を自白した時に録音されたデータだろう。

 加賀宮さんが以前宣言した通り、退学させるために使うはずだった証拠を消してくれたんだ。


「……ありがとう。これからは問題起こさないように気を付けます」

「当たり前です。そもそも問題を起こす起こさないという次元ではなく貴女の存在そのものが厄介事を招く根本的な元凶であることをいい加減自覚してくださるかしら。今後もし不祥事を起こした場合は容赦なく徹底的に貴女を退学に追い込みますわ。大体、告発は致し方なく取り止めにして差し上げましたが会長とのご関係まで認めた覚えは――」


 これで退学の危機は免れ一件落着、と思ったけれど、理不尽にも加賀宮さんからのお説教をかれこれ三十分は受ける羽目になってしまった。



   ◇



「……はぁ。なんで赤点取ったわけでもないのにあんな怒られなきゃなんないのよ……」


 もはや本人に対するただの悪口を、真っ向から聞き入れなければならないこっちの身にもなってほしい。


 退学させるはずだった私が学院に残ることになり、大層気に食わないがゆえの鬱憤晴らしだったのだろうけど。


 内容の大半が、素行不良だった頃の私に対する非難。

 そしてなぜか、夕莉との関係を咎められた。貴女は会長と一緒にいていい人種ではないだのなんだの……。


 私が荒れていた時期の担任だった咲間先生でさえ、執拗に口煩く叱ることはなかったのに。


 同じ高校生、ましてや同い年の子から生徒指導よろしく叱責されるなんて、後にも先にも今回だけだと信じたい。


 まぁ、退学に比べたらお説教なんてまだマシな方よ……。

 適当に聞き流しとけばいいんだから。


 加賀宮さんの拘束からようやく解放され、生徒会室を後にする。


 ちなみに、説教もとい愚痴が始まって十秒もしないうちに、夕莉は部屋から出て行った。

 そりゃそうだ。私へのお叱りを、全く関係のない夕莉まで一緒に聞く必要はない。


 スマホを確認すると、夕莉から『中庭で待ってる』と一言メッセージが送られていた。


 長い時間待たせてしまっているから、早く向かわないと。

 廊下を走ってはいけないというお決まり事を守りながら、なるべく足早に歩いていく。


 ふと、私はどんな顔で夕莉に会えばいいのだろうかと、小さな不安が過った。

 あの発言以降ちゃんと顔を合わせていないから、どんなテンションで話しかければ差し障りないのか、わからない。


 もし、気を悪くしていたら。

 もし、避けられてしまったら――。


 ……なんて、こんなに誰かの顔色をうかがう日が来るとはね。


 人の考えることや感じることを、いちいち気にしたことはなかった。


 この人は今何を思っているんだろうとか、こんなことを言ったらマズいかなとか、相手の気持ちを推し量りながら接するという器用なことが昔からできなかった。


 私の言動や態度のせいで勝手に好かれたり嫌われたりしても、知ったことではないと。

 所詮は他人だから。


 なのに……何でだろう。

 私は、夕莉の心中を気にし始めている。


 徐々に心を開いてくれていると気付いてから、もっと夕莉のいろんな表情が見たいと、どうしたら見せてくれるんだろうと、そんな思いを抱き始めている――。


 結局、どんな態度で接すればいいか決め兼ねるまま、中庭に辿り着いた。

 ざっと周囲を確認し、隅のベンチに座って本を読んでいる夕莉を見つける。


 中庭といえば、始業式の日に二人で花見擬きをしたなと、不意に思い出す。

 今、桜の木はとうに花が散って、緑の葉が茂っていた。


 あれからもうすぐ二ヶ月が経とうとしている。

 長いようで短かったこの期間、自分の中にこんな変化が起こるなんて想像もしなかった。


 柄にもなく感慨に耽って、自嘲気味に失笑してしまう。

 なんだか、らしくないなと思ってしまって。


 夕莉への気持ちが変わったことは認めよう。

 その感情が一体何なのか、今はまだわからないけれど……。


 ただ、だからといって接し方まで変える必要はないんだ。

 いつも通りの私でいれば、夕莉を困らせることもない。


「お待たせ」


 近くまで来たところで声をかける。

 顔を上げた夕莉は私を視認した後、静かに本を閉じた。


「ごめん、思った以上にお説教が長くて」

「…………」


 夕莉が気まずそうに目を伏せる。

 どうしたんだろうと思い顔を覗き込もうとした時、ピコンとスマホの通知音が鳴った。

 私の……ではなく、夕莉のスマホだ。


 カバンからそれを取り出すと、画面を確認して律儀に内容を教えてくれた。


「……杏華が日用品を買ってきてほしいって」

「りょーかい。じゃあ、お店に寄ってから帰ろっか」


 杏華さんからのお遣い依頼だったようだ。

 私の言葉に頷きを返して、ベンチから立ち上がる。


 無言で隣に来てくれた夕莉の表情は、微かに憂いを帯びているように見えた。

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