第52話 中間考査

「む……」


 私と夕莉の、正確には私の姿を見た瞬間、露骨に嫌そうな顔と嫌そうな声をした人物が、昇降口の前に佇んでいた。加賀宮さんだ。


 待ち伏せしていたのだろうか。

 不機嫌さを隠そうともせず、ズカズカと歩み寄っては夕莉の隣を陣取ってきた。

 ……わざわざ私を押し退けて。


 急に割って入ってきた加賀宮さんに、夕莉も若干戸惑いを隠せないでいる。


「おはようございます、夕莉さん」

「…………おはよう」


 あからさまに媚びた声で夕莉に挨拶をした後、もげる勢いで私に振り向く。

 夕莉に向けていた笑顔が嘘のような、般若の如く恐ろしい顔をしていた。

 ……これもう芸でしょ。


「今日も今日とて会長とご一緒に登校ですか。良いご身分ですわね、二色奏向」

「んなこと言われてもねぇ……」


 夕莉と登下校するのは義務みたいなものだし、こっちに拒否権なんてないのでどうすることもできない。


 ストーカーの疑いが晴れた? のは良かったけど、一緒にいること自体は未だに全く納得してくれていないようで。


 何とか弁明するために夕莉が"付き合っている"と誤魔化した時も、殺気立った顔で睨まれたもんなぁ。私が。


「そんなに夕莉と登校したいなら、一緒に行けばいいじゃん。漏れなく私もついてくるけど」

「貴女が一番邪魔ですのよッ」


 おお、加賀宮さんにしては珍しく感情が荒ぶっている。


 夕莉の傍にいるのはあくまで護衛目的であって、彼女が私以外の人と一緒に行きたいというのなら、それはそれで構わない。


 一応護衛はしないといけないから、私が邪魔なら距離をとって、さながら尾行のように歩くことになるが。


「簡単に仰らないでいただけます? 会長と登下校を共にすることがどれほど恐れ多く光栄なことであるか貴女は微塵もご理解されていないようで全く腹立たしいこと極まりないですわ。わたくしとてまだ一度もお誘いを承諾いただいたことがないというのに……」

「あれ、そうなんだ。なんで?」


 さらっと夕莉に訊いてみるも、あまり触れられたくない話題なのか、咄嗟に目を逸らして、


「……ごめんなさい」


 たった一言で玉砕してしまった。理由はよくわからないけれど、今のところ加賀宮さんと登下校する気はないらしい。


 ……いや、だから何で私が睨まれんのよ。

 怒りの矛先がいつも私なのは本当に解せない。


「夕莉さん、謝らないでください。貴女のお気持ちが変わるまで、わたくしはいつまでもお待ちしておりますわ」

「…………」


 聖母のような穏やかな表情を夕莉に向ける。

 毎度のことながら切り替えがエグい。

 相手によって態度を変える人はいるものの、こうも豹変するもんかね。


 夕莉が相変わらずにべもない態度で受け流しているあたり、完全に加賀宮さんの一方通行にしか見えないのが不憫だ。

 当の本人は、夕莉の素っ気ない態度にも全く動じていないようだけど。


「それでは、会長とわたくしは所用がありますので。今回の試験でどうか貴女が大失態を演じてくださることを切に願うばかりですわ」


 そう捨て台詞を吐いて、夕莉に「参りましょう」と促す。


 そういえば、生徒会関連で招集がかかっていると朝に教えてくれたっけ。

 いつもなら教室前まで送るのだけど、用事があって加賀宮さんも一緒なら、その必要もないか。


「夕莉、また後でね」


 先を行く彼女の背に声をかける。


「……ええ」


 以前の夕莉ならそのまま無視していただろうに、そっと振り返って小さく頷いてくれた。……加賀宮さんの威嚇付きで。


 いちいち牽制して疲れないのかな……。

 苦笑しながらひとまず二人を見送って、私は自分の下駄箱へ向かった。



   ◇



 定期テストの時は、座席が出席番号順になる。

 いつもと違う席で落ち着かない……ということは特段なかった。


「……朝から何ニヤついてんだよ」


 隣の席に座る雪平から、軽蔑の眼差しを向けられる。

 出席番号順だと私の左隣が雪平の席になる、ということをテスト当日の今日初めて知った。


 知り合いが近くにいるのが嬉しいというのもあるけど、私がご機嫌な理由は他にある。

 しかし、まさか雪平にわざわざ指摘されるほど顔に出ていたとは……。


「これ、何だと思う?」


 私が今手に持っている、薄くて小さい箱を見せてみる。

 雪平は頬杖をつきながら訝しげに眺めて、不思議そうに眉根を寄せた。

 いきなり何を言ってんだ、とでも思っていそうな表情だ。


「は? 何って、栄養食のクッキーだろ」

「そ、クッキー」


 誰もが一度は目にしたことのある、この有名なパッケージに入っているのは、クッキーの形をした栄養機能食品だ。


 毎週、喫茶店の店長がさながら賄いのような感覚でくれるあのお菓子。

 このクッキーも例によって店長から貰ったもの……ではなく。


 今朝、夕莉を迎えに行った時に彼女から貰ったものだった。


 いつかの中庭で、二人で分け合ったこのお菓子を、なんだかんだ気に入ってくれていたみたいで。

 お返しと言わんばかりに全く同じものを、素っ気なくも少し照れ臭そうに渡してくれた。


 貰ったタイミングもあって、私は勝手にこれをお守りだと思ってる。


「でも、ただのクッキーじゃないんだよねー」

「…………きも」

「ほんとならゲンコツだけど今回は見逃してあげるわ」


 テスト直前に疑わしい行為でも見られたら、間違いなく告発されて退学まっしぐらなので、ここは笑顔だけで対処しとく。


 まぁ、雪平の言いたいことはわからないでもない。

 自覚はなかったけど、きっと引くほど私の頬が緩んでいたのだろう。


「どう見てもただの栄養食じゃん」

「違う違う。夕莉から貰ったのよ」

「どこにでも売ってるような食べ物でそんな喜ぶとか……。つか、前から思ってたけど何であの会長と二色が知り合いなわけ?」

「あー……ちょっと、いろいろあって」


 夕莉に雇われて彼女の付き人をしているから、なんて口が裂けても言えない。

 かと言って、嘘の馴れ初めを教えるのもボロが出そうで怖い。


 大体、私が誰と知り合いかなんて、雪平は興味ないもんだと思っていたけど。


「……ふーん。なんか、最近噂になってるからさ。会長がよく不良と連んでるって」

「不良って……私のこと?」

「お前以外に誰がいんだよ」

「また噂か……」


 未だに不良という印象を抱かれていたのが心外だ。

 やはり、一度悪評が立つとなかなか払拭するのは難しいか。


 ただ、私は別にいいとして、芳しくない噂のせいで夕莉まで悪く言われてしまうようなことがあったら、さすがに看過できない。


「女子高生ってのは何でこうも噂話が好きなんだろ」

「二色も会長も、学院ここじゃあ有名だからじゃね」

「え、生徒会長ってそんな目立つもんなの?」

「まぁ……ていうより、神坂夕莉だから目立ってんだよ。頭いいし、品格あるし、誰に対しても分け隔てないし、何よりあの容姿で人の上に立ってんだから、嫌でも目につくわな。よく知らねーけど、裏でファンクラブなんかもあるらしい」

「ふぁんくらぶ?」


 なんと、それは初耳だ。

 夕莉はあまり自分のことを語る子じゃないし、そもそも彼女自身がその団体を認知しているかどうかも怪しい。


 ていうか、一般人にもファンクラブなんてものができるのか……。

 こんな絵に描いたような人気者は、漫画やドラマの世界だけの存在だと思っていたから、かなり度肝を抜かれた気分だ。


 思わず、手に持っていたクッキーの箱を落としそうになった。


「……ほんと、なんも知らないのな」

「ゴシップ系には疎いもんで」


 高校に入学してから進級するまで、周りとまともな交流がほとんどなかったからというのもある。

 噂は第三者の間で広まるもので、当事者の耳には入らないし。


「もしかしたら、お前が今でも評判悪いのは会長ファンから嫉妬されてるってのも原因かもな」

「こわ」

「あたしは二色の能天気さが怖いわ」


 心底呆れたような表情でため息を吐かれた。


 いや、怖いと思っているのは事実だ。

 例えば、雪平のような面と向かって敵意を剥き出しにしてくる人はまだ可愛いもんだけど、嫉妬は根深く陰湿で、何をされるかわからない厄介なものというイメージがある。


 ただ、本当に妬まれているのかは定かではないから、無闇に気にしたところでどうしようもないというだけ。


「そんなお気楽でテスト乗り切れんのかよ」

「だいじょーぶ。私の退学をどうにか回避するために親身になって勉強教えてくれた優しい雪平と木崎さんのためにも、絶対結果残すから」

「はあ……!? べ、別にっ、善意で教えたわけじゃねーから!」


 さっきの仕返しにからかってやると、面白いほど簡単に動揺してくれる。


 しかし、眉間に皺を寄せた雪平は最終的に私を放置して、参考書を見始めた。

 じっと視線を送り続けても無反応。


 これ以上邪魔するとさすがに失礼なので、私も黙って一限目のテスト教科を復習することにした。


 中間テストは、土日を挟んで計四日間実施される。連日ではなく間に休日があるのは大変ありがたい。

 とはいえ、今日までに抜かりなくテスト対策はやってきた。


 ふと、夕莉から貰ったクッキーを見て、今朝の彼女の顔を思い出す。

 ……やばい。また無意識に口角が上がってしまう。


 昂る気持ちを何とか抑えて、クッキーもといお守りをリュックの中へしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る