第48話 もしも私が

「……はぁ、疲れたー」


 電車を待つ間、駅のホームにあるベンチに私たちは腰掛けていた。


 背もたれに寄り掛かり、脱力したように足を投げ出す。

 背中のリュックがクッション代わりになって、思いの外寛げる。


 息苦しい監獄のような場所から解放されて、幾分か緊張が解けてきた。


 外の空気を思い切り肺に入れて、ゆっくりと吐き出す。ついでにわだかまりも全部吐き出せたらいいのに。


 隣に座る夕莉を横目に見ると、相変わらず背筋が伸びた綺麗な姿勢ながらも、何か思い悩むように視線を落としていた。

 悄然としている様子に、疑念を抱く。


 状況的には、どん詰まりなのは間違いなく私の方。

 魂が抜けるほど落胆していてもおかしくはないはずだけど、以外にも至って心境は平常だった。

 気持ちの切り替えの早さを自賛したい。


 で、私の代わりに落ち込んでくれているのかと思うほど、なぜか夕莉の方が晴れない面持ちをしている。

 生徒会室にいた時は全く普通だったのに。


「……なんでそんな顔してんの」


 私に話しかけられた夕莉がぴくっと反応する。

 自分が今どんな表情をしているのかわかっていないようで、訝しげに小首を傾げた。


「そんな顔……?」

「……いや、何でもない」


 自覚がないということは、私の思い違いだったかな。

 もしかしたら、夕莉が自分の心情に気付いていないだけかもしれないけれど。


 それでも、ポーカーフェイスの機微を感知するなんて、私の目が肥えてきたのではないだろうか。なかなかの進歩だと思う。


 ただ、心の内までは当然ながら読めないまま。

 陰鬱な表情の理由を本人がわかっていないのに、しつこく詮索しても意味がない。


 落ち込んでいるように見えた夕莉のことはひとまず気にしないで、何気なく例の話題を持ちかける。


「にしても、私のこと助けてくれるって思ってたんだけどなー」

「校則違反をしたと認めた生徒を、表立って庇えるわけがないでしょう」

「……確かに」

「私が同席したのは、加賀宮さんが私情に任せて不公平な折衝をしないか監視するためよ」


 夕莉は生徒会長だから、たった一人の問題児に肩入れするよりも、真面目な生徒たちに悪影響が及ばないように立ち回るのが、立場としては正しい振る舞いなのだろう。


 どちらにも加担せず、いざという時に仲裁できる役目が、あの場では必要だった。


 夕莉が私を援護すれば加賀宮さんは発狂していただろうし、逆に加賀宮さんと一緒になって私を非難していたら、もっと反抗的になっていたかもしれない。


「加賀宮さん、私に対して当たり強すぎない?」

「学院の秩序を乱すような存在が許せないと、以前聞いたことがあるわね」

「そりゃ正義感の強いことで。……つくづく面倒な人に喧嘩吹っかけられちゃったな」

「何でも喧嘩に置き換えないで」

「でも、あんなの決闘申し込まれたみたいなもんでしょ」


 初対面の時から攻撃的だったし、いつブチ切れられてもおかしくないような状態だった。


 きっと、悪い噂が立っていた私のことを前から知っていた。

 それで、学院から追い出す時機をずっと待っていたに違いない。

 そして訪れた絶好の機会が、今回の騒動。


 意外だったのは、処分が下るまでの猶予と起死回生のチャンスを与えてくれたこと。

 あの加賀宮さんが雀の涙ほどでも慈悲の心を見せてくれたことが唯一の救いだ。


 善意であんな条件を設けたとは到底思えないけれど……真意は何であれ、啖呵を切られたならこちらも受けて立つしかない。


「……随分余裕があるように見えるけれど。今置かれている状況をわかっているのかしら」

「とりあえずやばいってことはわかる」

「…………」


 呆れ顔でため息を吐かれた。

 あんな無茶苦茶なことを言われたのだからもう少し事態を重く受け止めなさい、とでも思っていそう。


 もちろんそれはわかっているけど、ネガティブになったところで加賀宮さんの気が変わるわけでも、一週間後の中間テストが延期になるわけでもない。


 無駄に気に病むより、いつも通りの心構えでいた方が逆に冷静でいられる。


「本当に、退学になってしまってもいいの?」

「まさか。……あ、もしかして心配してくれてんの?」

「……あなたが今の学力で上位に食い込めるのか、些か不安ではあるわね」

「そっちか」


 私がいなくなったら寂しいとか思ってくれる……なんてことはやっぱりなくて、軽く苦笑いが漏れる。


 ほんの少しだけ、そんな気持ちを抱いてくれるかなと変に期待してしまったけれど、夕莉はそこまで感情をストレートに表現することはないから。


 でも本当に無関心なら、初めから話題に出すことすらしない。

 だからこの言い回しは、彼女なりの気遣いなのだろう。多分。


「……もし、私が退学することになっても、雇い続けてくれる?」


 退学という最悪の事態を引き起こすつもりは万に一つもないけれど。


 仮に、そんな世界線があったとしたら。


 中間テストで四位以下になって、加賀宮さんが校長に直談判して、私は校則違反で学院を追われる。

 そんな未来があったとしたら――。


 元々、借金まみれの家庭に少しでも生活費を入れるため、そして高額な学費を賄うために付き人のアルバイトを引き受けた。


 退学になったら、学費分を稼ぐ必要がなくなる。

 ……が、高校生の身分でこれほど待遇の良いアルバイトをさせてもらえるところは後にも先にもないだろうから、欲を言えば続けたいというのが本心。


 学校のある日中は傍にいられないけど、送り迎えや家事のお手伝いなんかは変わらずできそうな気がする。


 これはあくまで、もしもの話。

 雑談程度の軽い調子で訊いてみたら、私を見ている夕莉の目が僅かに見開かれた。


 瞬きもせずに数秒硬直した後、私から視線を逸らして遠くを見つめるような目をした。


「…………どうかしら」


 即答ではなく、熟考した末の返答。


 雇い続ける可能性も、解雇する可能性もある――ということは、私が夕莉と同じ学院に通っていたから、という理由が雇用すると決めた要因に関係がないとは言い切れない。


 それなら、ますます退学するわけにはいかなくなった。


 改めて決意を固めた直後、電車がまもなく到着する旨のアナウンスが流れる。


 ベンチから立ち上がろうとして、夕莉が何かを言っている声が微かに聞こえた。

 反射的に隣へ振り向く。


「……奏向が、私の――」


 独り言のように呟かれた彼女の声は電車の音に掻き消され、ほとんど聞き取ることはできなかった。



   ◇



 ……眠い。とんでもなく眠すぎる。

 こんなに睡魔が強烈なのは、アルバイトを阿呆みたいにいくつも掛け持ちしていた時以来だ。


 昨日は徹夜……というか今日の朝までほとんど一睡もせず勉強していたから、眠気が尋常じゃない。

 おまけに、授業中は絶対に寝てはいけないというプレッシャー付き。


 これが中間テストの最終日まで続くかと思うと、気がおかしくなりそうだ。


 手の甲を思い切り抓ったり、頬を自分で張り手したりと、意識を飛ばさないためにいろいろ施してようやく眠気を撃退した頃には、一日の最後の授業が終わっていた。


 睡魔と戦っていたせいで、今までの授業中の記憶は、ない。やばい。


 とはいえ、今は嘆いているこの瞬間すら惜しい。

 中間テストまですでに一週間を切っている。

 この後も、夕莉のお迎え時間になるまで勉強しなければ。


 帰りのホームルームにて。担任である辰巳先生の話を聞き流していたら、いつの間にか終わっていた。

 大きく伸びをして、素早く帰り支度をしていると。


「……あの……二色さ、ん……!?」

「……?」


 突然名前を呼ばれて、声のした方に視線を向ける。

 しかし、私を呼んだ張本人はなぜか急いで近くの机の裏に隠れてしまった。


 スパイごっこでもしているのだろうか。

 しゃがみながら、時折こちらをちらちらと覗き見してくる。

 悪いけど、お遊びに付き合ってる暇は……。


「お前の顔が怖すぎんだよ。ちがやが怯えてるだろ」


 なるほど、あの挙動は萎縮しているのか……いや、顔が怖いって今さら?


 ふらっと現れた雪平がぶっきらぼうに説明してくれたけど、なんか腑に落ちない。

 木崎さんが未だに私を怖がっていることに、若干のショックを覚えたのかも。


「ごめん、ちょっと寝不足で……睨んだわけじゃないから。で、私に何か?」

「二色のことが心配で、変なことされてないか確かめたかったんだってさ」

「…………ん?」


 何のことを言っているのかさっぱりわからない。

 私が木崎さんに心配をかけるようなことをした覚えが全くないんだけど。

 変なことをされるって、誰に?


 思い当たる節もなく眉をひそめていたら、隠れていた木崎さんがそろりと近付いてきた。


「……この前、二回も詩恩ちゃんに呼び出されてたから。何か酷いこととか言われてないかなって思って……」

「……ああ、うん」


 それはもうボロクソ言われましたよ。

 蛮人だのストーカーだの厄介者だの。私は犯罪者か、と思うくらいの罵りようだった。


「寝不足の間接的な原因が、加賀宮さんにあるんだけどねぇ……」

「ど、どういうこと?」


 木崎さんが眉尻を下げて、不安げに聞き返す。


 彼女も雪平も、少なからず公園での騒動に関与しているわけだし、あえて隠しておく必要もない。


 それに、心配でわざわざ話しかけてくれたのだから、どうせなら正直に話してしまってもいいだろう。

 私が退学の危機にある現状を。

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