第40話 和解……?

 何かとんでもない秘密を知ってしまった時のような表情で、私をジッと見ている。

 そんな大袈裟な……。


 ちょっとやそっとのことでは微塵も動じない夕莉が、似つかわしくないほど目を丸くしている姿に私も若干驚きながら、立ち止まった彼女に合わせて足を止める。


「……どういうこと?」


 驚愕に見開いていた目が、訝しげな眼差しに変わる。

 覚えていないと嘘をついてしまったことが気に食わなかったのか、はたまた傷跡の理由に信憑性があるかを疑っているのか。


 普通の"事故"としてついた傷だと言えばそれまでだけれど、詳しく説明するには少々話が長くなる。


 大体、朝の通学路で二人が縦に並びながら気軽に話すような内容でもないんだけどね……。


 夕莉に触れないための予防線と護衛のために、外を歩く時はなるべく彼女の半径二メートル以内には近付かないようにしていた。

 ただ、その距離感で会話をしようとすれば、周囲に話の内容がだだ漏れになるのは必至だ。


 経緯の中にはデリケートな事情も含まれるし、できれば二人だけの時にゆっくり話したかったけど……ま、いいか。

 私が夕莉の隣に行って、内輪に話せばいいだけだ。今日だけ。


 お互いを探り合うような間が僅かに流れた後、私は微動だにせず佇んでいる夕莉の隣まで歩み寄る。

 通学中に肩を並べて話すのは、意外と稀かもしれない。


「そんなに知りたい? この傷跡のこと」


 すぐ側に来た私から離れるように一歩だけ後退りした夕莉にそっと問いかけると、なぜか急に頬を紅潮させて顔を背けてしまった。


「…………いい」


 少しの沈黙を挟み、怒っているのか落ち込んでいるのか、どちらとも汲み取れるような声音がぼそっと吐き捨てられる。

 彼女らしからぬはっきりとしない曖昧な返事に、私は首を傾げた。


 夕莉の表情を確認しようと横から覗き込むが、またしても逃げるように背を向けられる。

 一向に目を合わせようとしてくれないので、また対応を間違えたのかと不安になってしまう。


「ちょっと……」

「……興味がなくなったわ」

「気が変わるのはや」


 しかし、その心配は杞憂のようだった。

 一瞬だけチラッと私を見た夕莉の目が、動揺しているかのように微かに泳いでいたから。


 私が彼女をからかった時に見せる表情だ。

 普段、表情筋の動かない冷淡な顔が、珍しく人間味を帯びる瞬間。


 よかった、機嫌を損ねたわけではないようで。

 けれど、からかったつもりは全くなかったのに、こんな態度を取られるとは意外だった。


 私を置き去りにして、夕莉が足早に先を歩く。

 せっかく嘘を撤回したのに、額の傷跡がどうしてできたのかについては、結局どうでもよくなったらしい。

 急に関心がなくなったのは、一体何が原因だったのか。


「気分屋なとこもあんのね」

「別に……どうせ碌でもない理由で怪我をしたのだろうと思っただけよ」

「失礼な」


 この傷跡は命を賭けた証拠だ。

 躓いて転んだとか、ふざけて怪我をしたとか、そんないい加減な理由とは違う。


 ずんずんと歩く夕莉に置いていかれないよう、私も足並みを合わせた。



   ◇



 学院に到着し、素っ気ない調子に戻ってしまった夕莉と別れ、自分のクラスに向かう。


 この時間は一般的な登校時間よりも結構早めだから、他の生徒に会うことはあまりない。

 静かな朝の校舎にも慣れてきて、仄かに眠気が襲ってくる。


 欠伸を噛み殺していると、教室の前で誰かが佇んでいるのが見えた。

 霞む目を擦り、はっきりと視界に捉えた人物を前にして、急速に眠気が覚める。


「……雪平?」


 私の声に反応し、教室のドア付近で一人もじもじしていた雪平が顔を上げた。

 私より早く登校してくるなんて珍しい。

 いつもは朝のホームルームの10分前くらいに来るのに。


「あ……二色……」


 開口一番に出てきたのは、気まずそうな声だった。

 体は向き合っているけど、顔を合わせようとする気はないようで。チラリと私の額を見て、雪平はすぐに床へ視線を落とした。


 しきりに目を泳がせながら、何かを言いたげに口を開けては閉じてを繰り返している。


 また何か問題でも抱えているのか。

 ただ、この前のような生気の抜けた深刻な雰囲気は感じられない。


 様子のおかしい彼女からの言葉を待っていたら、あっという間にホームルームの時間になってしまいそうだ。


「………………た」


 もう一度声をかけようとした時、独り言よりも小さな声量でようやく雪平が呟いた。

 あまりに小さすぎて、モスキート音の方がまだ聞こえるくらいだ。


「ん? なんだって?」

「…………迷惑かけて、悪かった」

「え、きもちわる」

「なんでだよっ!」


 急に本来の声量より大きくなり、傾けていた耳がキーンとなる。

 なんだ、ちゃんと声張れるじゃん。

 何事かと騒ぎになるから、周りに人がいなくてよかった。


「お前っ……人が素直に謝ってんのに……!」

「だって、迷惑かけられたなんて思ってないし。それに素直なあんたなんて普通に引くでしょ。いつもうるさく吠えてるくせに」


 "迷惑"というのが先日の出来事を指しているのなら、それは違うと思う。


 雪平に無理やり巻き込まれた、とかなら迷惑になるだろうけど、私が勝手に彼女の事情に介入して、勝手に怪我をした。

 首を突っ込むなと怒られることはあっても、謝られる理由が全く見当たらない。


 あの場を収められたとしても、雪平の抱える悩みが根本的に解決したわけではないだろうし、そんな中で私に気を配る必要までないのだから。


「てゆーか、それわざわざ言うために朝早く来たの?」

「ッ……! ……悪いかよ」

「いつから義理堅くなったのよ」

「う、うっせぇ! 言っとくけど、あたしの気が済まないから来ただけでお前のために謝ったわけじゃねぇからッ!」

「はいはい、律儀で偉いね」

「だから! お前のためじゃねぇって……」

「……あの」


 先ほどまでの消極的な態度が嘘のように、威勢よく噛み付いてくる雪平をからかっていたら、彼女の背後からひょっこりと女子生徒が顔を覗かせてきた。


 怯えているというよりは何かをためらっているような挙動で、瞬きを繰り返しながら時折私に視線を寄越してくる。

 彼女は確か、雪平とよく一緒にいるクラスメートの──。


「茅……!?」

「あ、えと……わたしも二色さんに伝えたいことがあって」


 私に気を取られて油断していたのか、急に現れた木崎さんに驚いて飛び跳ねる雪平。

 その動きに木崎さんも驚いて体を硬直させている。


 雪平はともかく、ほぼ絡んだことのない木崎さんから物申されるようなことをした覚えはないはずなんだけど……。

 彼女もそのために早く登校してきたのだろうか。


「伝えたいこと?」

「はい……その……ずっと、二色さんのこと誤解してました……不良で素行が悪いって噂が流れてたから、怖い人なんだなって鵜呑みにしちゃって、近付けなかった。でも、本当はそんなことないってわかったから。……今まで偏見を抱いてしまってごめんなさい」

「いや、全然謝るようなことじゃないって」

「あと……助けてくれて、ありがとうございました」


 おぼつかない口調ながらも、彼女はしっかりと私の目を見ていた。


 今まで私に頭を下げてきた人は、喧嘩を売ってきて呆気なく返り討ちにあった輩ばかりだったから、こんな大人しそうな女の子に謝罪されたら困惑してしまう。


 でも、怖いと思っていた相手に対しても自分の気持ちを正直に伝えられる彼女は、きっと純粋な子なんだろう。

 助けたつもりもないけど、感謝の言葉まで否定したらさすがに失礼だ。


「私への悪い印象が払拭されたなら良かったよ。……誰かさんもこれくらい正直だったら可愛いのに」

「はあ!? 正直になったらなったで、またキモいとか抜かすだろ!」

「さぁ、どうだろ。雪平が実際にそうなってみないとわかんないよ?」

「死んでもお前相手に本心なんて晒すかっ!」

「朱音ちゃん、落ち着いて……」


 雪平が怒り心頭に発したせいで木崎さんがおろおろし始めて、なんだか収拾がつかなくなってしまったけれど、朝から騒がしくするのも悪い気はしなかった。

 毎日雪平に反抗されていた中学時代を思い出したからかな。


 結局、彼女が私のことを嫌いだとしても、こうして言い合っている瞬間が楽しいと感じてしまうんだ。

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