第36話 仕返し

「……で、何して遊ぶの? 小高さん」


 二人の姿が見えなくなったことを確認し、ベンチから一歩も動こうとしない少女に改めて向き直る。


 中学生の時、一年間だけクラスが同じだった。正直、彼女に対する印象は薄い。

 顔はなんとか覚えているけど、名前が咄嗟に出てこなかったくらいには。


 一度も会話をしたことがないのもそうだけど、単純に私の中では目立つような子じゃなかったから。


 面倒事は全部他人にやらせて自分はただ楽にしているだけの、背がちっちゃい女の子。


 それ以上の印象を抱いたことがない。

 やたら彼女の取り巻きたちが私に突っ掛かってきて、鬱陶しいなとは思っていたけど。


 わざわざ私から乗り込むのも面倒だったし関わる必要もないから、特段気にかけることもなかった。

 今日ここで再会しなかったら、自然と記憶から忘れ去られる程度の存在。


 でも、顔を合わせてしまったからには向き合わなければならない。

 雪平の悩みの種が彼女にあると知ったならなおさら。


「…………」


 ……耳付いてんの? と疑ってしまうくらい、さっきから私の発言をことごとく無視している。

 対話をする気はないくせに、この状況だと素直に帰してくれなさそうだし。


 ほんと、何がしたいのかよくわからないな、この子。……まぁ、これから何が起こるのかは大体想像がつくけど。


「俺、女の子相手は初めてだから加減できねーかも」

「しなくていいだろ。好きなようにやろうぜ」

「ハハ、悪く思うなよ?」


 無駄に指の関節を鳴らしたり、ガンを飛ばしたりする男たちを一瞥する。

 人数は六人、ざっと見た限り得物はなし。なるほど、素手でやり合おうってわけね。そりゃ好都合。こっちも手ぶらだし。


「んじゃ、まずは一発――」

「あ、ちょっと待った」


 振り上げられた拳を前に、手のひらを向けて停止を促す。私の携帯電話が振動していることに気付いて。


 ……やばい。お迎えの時間にしては呼び出しが早くない?

 バイブを鳴らし続ける携帯の画面を見ると、そこには予想通り神坂さんの名前が。


 この前、無断でバックれたと勘違いされそうになったばかりなのに、ここで電話に出ないと今度こそ信用を失う。


 ボタンを押して携帯を耳に当てようとした瞬間、男に手首を強く掴み上げられる。

 その拍子に持っていた携帯が手からすっ飛んで、地面に落ちてしまった。


 声を上げる暇もなく、別の男が思い切りそれを踏み潰す。

 元々損傷の激しかった携帯は、呆気なく真っ二つに折れた。


「さっきから余裕こいてんじゃねーよ。お前、自分の置かれてる状況わかってんの?」

「…………」

「今さら怖気付いても遅ぇから……なッ!」


 ゴンッと、骨同士がぶつかり合うような強烈な衝撃が左頬に走る。遅れて、鈍い痛みがじわじわと広がっていく。

 殴られた勢いで口内でも切ったのか、唾液に血が滲むのを感じた。


「つまんねーな。もっと泣き喚……」


 男が言い終わるより早く、反射的に私の足が動く。

 突き刺すように繰り出した横蹴りは男の腹を直撃し、アクション映画の如く吹っ飛んで地面を転がっていった。


「…………は?」


 次いで、拍子抜けしたような声を出しながら未だ手首を掴んでいる男の腕を掴み返し、もう片方の腕で相手の肘を思い切り押し込む。

 曲げてはいけない方向に力が加わっているためか、男は苦しげに悲鳴をあげた。


「いだだだだッ! おい、離せってッ……!」

「……あんたらが先に手ぇ出したんだから、正当防衛ってことでこっちも手加減しなくていい?」

「この……ぃぎゃああああ!! 折れる折れるッ! 女の出す力じゃねぇッ!」


 情けない叫び声が喧しいことこの上ないので、脇腹に膝蹴りをお見舞いして黙らせる。

 男は呻き声をあげてその場に蹲った。


 沈黙が訪れ、一瞬で場の空気が変わる中、私の意識は無惨な姿に成り果てた携帯に向いていた。


 首の皮一枚繋がっていただけの脆い携帯だったから、使えなくなるのは時間の問題だったけど、まさかこんなタイミングでこんな奴らに壊されるとは……。


 まだ給料日前だから、当然買い換えるお金なんてない。どうすんだ、これ。


 神坂さんと連絡が取れなくなった、すなわち仕事が円滑に進められない、信頼が地に落ちてクビ不可避。……終わった。


 ……いや、諦めるな私。時給1万円をそう簡単に手放してたまるか。

 こっちをさっさと片付けて、急いで学院に戻ればまだ間に合う――


「……!?」


 砕けた携帯を拾おうとして僅かに屈んだ時、背後から誰かが近付いてくる気配を感じた。

 どこから拾ってきたのか、錆びれた鉄パイプを持って頭上に振り上げている男の姿を横目に捉える。


「……ぅおらあああッ!!」


 体を背後に振り向かせた時点で、男はすでに鉄パイプを振り下ろす動作に入っていたため、防御が間に合わずまともに打撃を受けてしまった。


 岩でもぶつけられたのかと思うほどの衝撃と激痛が前頭部に響いて、意識が飛びそうになる。

 ふらっと体がよろめいた瞬間、枷が外れたように私の中で何かが切れた。



 そして気付けば、六人いた男たちは全員地面に倒れ込んでいた。

 手の甲がヒリヒリと痛むのを感じて、ようやく我に返る。


 久しぶりに殴り合ったせいか力の調整がうまくできなかったけど、致命傷は負わせていないはず。


 深く息を吐いて、呼吸を整える。

 不意にベンチの方を見やると、いつの間にか立ち上がっていた小高さんが驚いた表情で私を凝視していた。


「……あんたの駒、なくなっちゃったけど。まだやる?」


 彼女のもとへ一歩ずつ近付いていくたびに、私を睨みつける瞳が揺れる。

 気丈に振る舞おうとしているけれど、微かに震える握り拳が動揺を隠し切れていないことを証明してしまっていた。


 彼女の真正面まで来て足を止める。


 私が顔を近付けても視線は逸らさないその気概は認めるけど、味方がいなくなった途端あからさまに態度が弱気になるのはどうかと思うな。あんなに平静を装っていたくせに。


「また私の友達を嵌めるようなことしたら、次に地べたを這うのはあんたになるかもね」


 歯向かう意志のない相手を懲らしめる趣味はないんで。

 相変わらず私とは口を利きたくないみたいだし、もう今後一切絡んでこないようにとりあえず適当に脅しつけて早く学院に戻ろう。


「…………ルナじゃない」

「……?」


 踵を返した時、蚊の鳴くような声が聞こえた。

 何だろうと思い振り向くと、小高さんが悔しげに唇を噛みながら、キリッとした鋭い眼差しで私を睨んでいた。


 けれど、昔に見たような冷酷さはない。

 親に叱られて不貞腐れている子どものような、なんとも幼さを感じさせる表情だった。


「あの時アンタを傷つけたのは、ルナじゃない……!」


 あの時、というのがどの時を指しているのか一瞬わからなかったけど、"傷つけた"という言葉でなんとなく察した。


「だろうね」


 あっさりと肯定した私の返答に、小高さんは面食らったように目を見開いた。


 私が狙われていたのではなくて、危険な目に遭っていた女の子を助けるために、全く関係のない私が勝手に介入した。


 その結果が、あの大怪我に繋がったというだけ。初めから見て見ぬ振りをしていれば、こっちも被害を受けることはなかった。


 だから、彼女の言う"あの時"に、私を故意に陥れた首謀者なんていなかったことくらいわかっている。


 小高さんが何を気にしているのかは知らないけれど、正直、喧嘩も暴力沙汰も日常茶飯事だった中学時代の私にとって、その出来事はあくまで過去の一部に過ぎない。


 あの時助けた女の子の顔を、よく思い出せないくらいなのだから。


 唖然としたまま硬直している小高さんを置いて、私はこの場を後にした。

 早く神坂さんのところへ行かないと――。




 ……頭がくらくらする。心なしか、学院までの道のりが遠い。そこまで距離はないはずなのに。

 時々、すれ違う人から奇異の目で見られていることが変に気になり、隠すように手を顔に添えてみる。


 すると、指先にぬるっとした感触が伝った。

 ――血だ。鉄パイプで殴られた時に、額でも切ったか。意識がイカれていたせいで気付かなかった。


 こんな状態で学院に戻ったら、いろいろ言及されそうだな……。

 なんとか止血しようと腕で額を抑えるが、袖が赤く染まるだけで、傷口から血がじわじわと溢れてすぐには止まりそうにない。


 こう……腕で顔を隠したまま行けば、なんとかバレずに……って、無理あるか。

 校外を散歩していたら急にカラスに頭を突かれた、とか……だめだ、言い訳がアホすぎる。


 ズキズキと痛む頭を無理やり働かせて、どうにか言い逃れできる方法がないか考えながら歩いていたら、曲がり角で人とぶつかりそうになった。


「あ……すみませ……」


 完全に私の前方不注意だ。未だにふらつく足取りで咄嗟に後退する。

 相手の顔をはっきりと視界に捉えた瞬間、肩が跳ね上がりそうになった。


「……こ、神坂さん……?」

「ッ……!」


 なんでこんなところに、と焦るよりも先に、今まで見たことのない神坂さんの狼狽した表情に、私までびっくりしてしまう。


 握り締めるようにスマホを持ち、全力疾走でもしたのかと思うほど激しく息切れしている。

 そして、不安げに顔を歪める彼女の目はうっすらと潤んでいた。私と視線が合った神坂さんは大きく目を見張る。


「これは……えっと……」


 かなり切羽詰まった様子の彼女を前に、とりあえず何か弁解しようとして、頭の中が整理できていないまま口が動く。


 その直後、唐突に強烈な目眩に襲われ体がふらつき――


「……奏向っ!」


 ぽすっと、私の体が何かに受け止められた。

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