第34話 過去の過ち(2)
傍から見てもわかるような、相手を見下し、からかうことを面白がっている態度。
女の子が何も言い返さないのをいいことに、嫌がらせは徐々に激しさを増していく。
大人の目が届く場所では決して手を出さないため、教師から注意されることはなかった。
朱音は薄々気付いていた。
自分たちのやっていることは、いじめなのだと。
過去に自分がされたことを、今他人にしてしまっている。
後ろめたい気持ちはないと言えば嘘になるけれど、いじめを止める勇気などなかった。
女の子を庇おうとした正義感の強い学級委員長が、一軍の機嫌を損ねた腹いせにクラスから孤立してしまったことで、彼女たちに逆らうと居場所がなくなるのだと思い知らされたのだから。
せっかく手に入れた安全地帯を、自らの失態で失うわけにはいかない。
たとえ、誰かが自分たちのいじめによって苦しむ様を、ただ傍観することになったとしても。
彼女たちに同調しなければ、今度は自分が女の子や学級委員長のような扱いを受けることになる。
もう二度と、過去の悪夢を繰り返したくはないのだ。
それから、瑠奈の本性が少しずつ現れ始めた。
基本的に、瑠奈自身が手を下すようなことはしない。
気に入らない対象を見つけると、その子に嫌がらせをするようさりげなく周りを焚き付ける。
本人はいじめが行われている様子を遠くから眺めてほくそ笑むだけ。
瑠奈の取り巻きたちは、反感を買うのが怖いから言いなりになっているのか、彼女に共感した上で事に及んでいるのかはわからない。
本心はどうあれ、誰一人として瑠奈の意思に反するような行動を取る者はいなかった。
瑠奈は直接いじめに加担していないうえ、教師や無関係な生徒の前では優等生を演じているため、第三者からは好印象を抱かれている。
何も知らない部外者からすれば、まさか瑠奈がいじめの主犯格だとは思わない。
彼女が裏でクラスを支配し続けられているのは、決してボロを出さない強かさによって確立された、絶対的権力の現れとも言えた。
中学二年生に進級し、朱音はまた瑠奈と同じクラスになった。
瑠奈は変わらずクラスの人気者で、朱音はそんな彼女に変わらず付き従っていた。
自分の行動が正しいか間違っているかなど、もはや考える余地はなかった。
瑠奈の意思は絶対。
彼女の言う通りにしていれば、自分に被害が及ぶことはないのだから。
そして瑠奈は、次の標的を定めた。
その相手は、初めていじめの被害者になった眼鏡の女の子と同じように、クラスで一人浮いている金髪の女生徒。
ただ、彼女は今までのターゲットとは違う異質な雰囲気を放っていた。
噂によると、入学式に金髪で参加して、初日から学年主任に目を付けられたらしい。
他にも、よく他校の男子や知らない年上の輩と喧嘩をしているとか。
外見や素行からして不良であることは明白だが、授業やテストは真面目に受けているのだという。
おかしな生徒――それが、朱音の奏向に抱いた最初の印象だった。
これまでいじめを受けてきたのは、明らかに地味で気弱そうな子ばかりだったのに。
理由は何にせよ、自分より目立つ存在が許せないのだろうか。
毛色の違うターゲットに、朱音と他の取り巻きたちは困惑してしまった。
何度か嫌がらせを試みたものの、ことごとく事前に察知されてしまい、何をしているのかと鋭い眼光で睨まれる。
怖気付いた朱音たちは咄嗟に身を引いてしまい、毎度何もできずに終わるのだ。
瑠奈の気分を害することはもちろん許されないのだが、豪腕で悪名高い不良を陥れようとするのも、なかなか覚悟がいる。
瑠奈はなぜ、こんな生徒に目を付けたのだろう。
そう疑問に思いながら、いくら問題児といえども所詮相手は一人なので、なんとかお灸を据えたいのだが。
いつまで経っても苦しむ気配がない奏向の様子に、瑠奈の機嫌が目に見えて悪くなっていく。
このままでは、役立たずだと見捨てられてしまう。彼女に嫌われたら、もうこの学校には居られない。
それだけは何としても避けなければ。
恐怖に囚われ、極限の緊張状態で正常な判断力を著しく欠いた中、朱音は意を決して、単身で奏向のもとへ乗り込んだ。
震える手には剥き出しのカッターナイフを持って。
尋常ではない様子の朱音を見た奏向は、一瞬ぽかんと呆気に取られた後、何を思ったのか声を上げて笑い出した。
そして、カッターナイフを突き付けられて危険な状況にもかかわらず、どこか嬉しそうに話を切り出す。
――私のところに一人でタイマン張りに来たの、あんたが初めてだよ。
唖然としたのは朱音の方だった。
常に周りを威嚇しているような人相の悪さで不評の絶えない問題児が、クラスの支配者に反感を持たれているというのに、何も知らない子どものように素で笑えている状況が理解できない。
朱音の中に、もやもやとした何かが渦巻き始めた。
それ以降、朱音は一人で奏向へ突っ掛かるようになった。
瑠奈の機嫌を直すために。そして、奏向に一泡吹かせるために。
けれど、その度に奏向は朱音を適当にいなし、お返しとばかりに何かとからかってくる。
こっちは今後の学校生活が懸かっており、本気で奏向を潰す気でいるのに、彼女はまるで友達と遊ぶような呑気さで、まともに朱音を相手にしようとしない。
むかつく――そんな感情が徐々に膨れ上がっていく。
他人から嫌な目で見られているくせに、どうしてそれほど気丈でいられるのか。
いつも一人でいるくせに――時折、図体の大きな後輩の女の子にしつこく絡まれている姿を目撃したことはあるが――どうしてそれほど平気な顔でいられるのか。
誰かの顔色を伺いながら怯えなければならない自分と、一体何が違うのか。
瑠奈の手足となるしかない朱音のもがき苦しむ様を嘲笑されているような気がして、奏向への敵対心が大きくなっていく。
しかし、奏向とただ喧嘩をしているだけの関係性がどこか当たり前で、無意識に受け入れてしまっていることに気付きかけた頃、クラス中が衝撃を受けるような事態が起きた。
夏休み明けの二学期のある日。
毎日欠かさず誰よりも早く登校してくるはずの奏向がいなかった。
欠席か何かだろうと思ったが、教室に来た先生が「二色はどうした」と聞いてきた。
奏向と親しいクラスメートはいないため、誰も彼女の事情を知らない。
生徒たちが顔を見合わせて首を傾げる中、教室のドアがガラリと大きな音を立てて開かれる。
入ってきたのは、変わり果てた姿の奏向だった。
頭や四肢のあちこちが包帯で巻かれ、顔には眼帯と、生々しい大きな
その場にいる全員が驚いた表情で彼女を凝視するが、当の本人はふらふらとした足取りながらも、何食わぬ顔で自席に座るだけだった。
先生から何があったのかと尋ねられても、転けて階段から落ちたの一点張り。
彼女の怪我は、どう考えてもそんなことで負うような規模のものではなかった。
もっと大きな事故に遭ったのか。それとも、喧嘩にでも巻き込まれたのか。
そこまで考えて、ある恐ろしい憶測が浮かんだ。
ふと、瑠奈の様子を盗み見る。
誰もが奏向に注目している中でただ一人、無表情でじっと前だけを見ていた。
初めて見る感情の消えた瑠奈の顔に、戦慄が走った。
聞いたことがある。彼女は、危ない青年たちとも関わりを持っていると。
いじめが全く通用しない奏向に痺れを切らした瑠奈が、彼らを使って実力行使に出たのではないか。
朱音にとっても奏向が気に入らないのは同じだ。けれど、さすがにここまで痛めつけたかったわけではない。
ましてや、大怪我すればいいと思ったことなんて一度もなかった。
ようやく、目が覚めた。
瑠奈がいかに残忍な性格であるか、目的のためなら一切手段を選ばない彼女のスタンスがいかに危険であるか。
瑠奈から解放されたい。心からそう願った。でも、彼女を裏切るようなことをすれば何をされるかわからない。
これまでにない窮地に立たされたが、意外な展開で不安は解消されることになる。
奏向が大怪我を負って学校に来た次の日から、瑠奈の態度が元通りになったのだ。
それだけでなく、いじめを唆してくることもなくなった。
それは、奏向をあのような目に遭わせた黒幕が瑠奈であると証明されたようなものだった。
そのまま月日が経ち、中学最後のクラス替えで朱音は瑠奈と離れることになったが、奏向とは同じクラスになってしまった。
相変わらず、ヘラヘラしてくる奏向に朱音がうんざりしながら暴言を吐きまくるという、不思議な関係は続いていた。
今度こそ、道を間違えない。
いじめが起きないような環境で、新しい自分に生まれ変わって、もう一度学校生活をやり直す。
聖煌学院に入学し、その悲願が遂に叶ったと思ったのに――。
「人って見た目によらないよねー。だから、今茅ちゃんが見ている朱音は、本当の朱音じゃないかもよ」
呆然と立ち尽くす朱音に、瑠奈は容赦しない。
他人を貶めることを何とも思わない彼女に、朱音の心中を推し量るような思いやりなどなかった。
「ねぇ、ルナちゃん。そろそろ行ってもいい? 早く遊びたいんだけど」
「うん。もう好きにしていいよ」
遊び飽きた玩具を捨てるような冷淡さで、瑠奈は適当に吐き捨てる。
許可を得た男たちは、ようやくありつけた餌を前に獰猛な笑みを浮かべると、朱音と茅の腕を掴んだ。
「……っ!!」
屈強な男に腕を触られてビクッと肩を震わせる茅は、今にも泣き出しそうな表情で朱音に助けを求める。
「瑠奈ッ……!」
「朱音が悪いんだよ。アタシ、言ったよね? あの子を連れて来てって。なのに全然言うこと聞いてくれないんだもん」
いつだって瑠奈はそうだった。
自分に歯向かう者と、自分の思い通りにならないことを嫌う。
それを完全に排除するまで、相手を徹底的に痛めつけることもいとわない。
瑠奈が情けを知らないことも、奏向があの時酷い目に遭ったことも知っていたのに。
瑠奈の報復が怖くて、また奏向を傷付けるかもしれない状況へ仕向けようとした。
何も、変わっていない。
自分が助かるために他人を犠牲にするこの卑怯な性格が。
本当に残酷なことをしているのはどちらなのか。
必死の抵抗もままならず、男の腕が朱音の肩に回る。
不快感と絶望感に、涙が滲んだ。
「……お、なんか面白そうなことしてんじゃん。私も混ぜてくんない?」
その時、遠くからこちらに向けて誰かの声が響く。振り向くと、金髪の少女が平然と手を振っているのが見えた。
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