第32話 謀略(2)
* * *
「二色っ……!」
悲しげに目を細め、奏向は踵を返して行ってしまった。
呼び止めたところで彼女の出した答えが撤回されるわけでも、朱音の出した条件が容認されるわけでもないことはわかっている。
それでも彼女の名前が口をついて出たのは、嫌いだからと散々突き放してきた相手にでも縋りたいと思ってしまうほど、精神的に追い詰められているから。
毎日うんざりするほど朱音に話しかけてくるということは、よほど勉強を教えてもらいたい気持ちが強いのだと思った。
だから、その思いを利用しない手はないと、覚悟を決めて自分から声をかけたのに。
なぜ断られたのか。その理由を考える余裕も、納得がいかないと嘆く暇もない。
奏向を誘き寄せる口実がなくなってしまえば、いよいよ後がなくなる。
奏向の頼みを聞く代わりに服従してもらうという遠回しな取り引きなど持ち掛けたりせず、初めから素直に「お願いを聞いてほしい」と切り出すことができれば、どれほど楽だったか。
けれど、彼女とは何が何でも関わらないと意思を固めていた手前、気安く言葉を交わすことはできなかった。
だから、交渉という形しか話し合いのきっかけを作る手段がなかった。
張るに足らないちっぽけな意地が、自分の首を絞めたのだ。そしてそのプライドは、これからも消えることはないだろう。
打開策の糸口が途絶えてしまった今、ただ頭を抱えることしかできない。
朱音を苦しめる悩みは、決して誰にも打ち明けられないものだった。
"彼女"の我儘を聞かなければ、どれほど恐ろしい腹いせが待っているか。最悪な事態を想像して体が震える。
中学卒業までに縁を切ったはずなのに、あれから時が経っても、呪いのように恐怖で朱音を縛り付けていた。
次なる策略を考えなければならないのに、思考を働かせる気力すらない。
焦りだけが蓄積されていく中、ブレザーのポケットに入っているスマホの通知音が鳴った。
心臓が跳ねる。
送信者が誰なのかはわかっていた。スマホを取り出し、恐る恐るロック画面を見る。
『来ちゃった』
陽気な一文と、語尾にはハートマーク。
続けて写真を受信する。痺れる指先でロックを解除し、チャットアプリを開く。
写真に写る二人の人物を見た瞬間、朱音は息が止まった。
そこには、艶然と怪しく微笑むシルバーグレーの巻き髪の少女と、その隣でぎこちない表情を浮かべる黒髪ボブの少女がいた。
「
接触してしまった。軽率に茅のことを教えてしまったせいで。瑠奈は本当に彼女を餌にする気だ。
いや、"罰ゲーム"はすでに始まっている。
いつまで経っても欲求を満たしてくれない朱音に業を煮やした瑠奈が、見せしめの第一段階として茅に何かをしようと謀っている。
"来た"というメッセージと茅が隣にいることから、瑠奈が学院内、もしくは周辺のどこかにいることは明白だ。
恐れていたことが現実になった。急速に血の気が引き、グラっと頭が揺れる。
このままでは、関係のない茅が理不尽な目に遭ってしまう。
自分が一体何をしたというのか。
なぜ、苦しめられるような仕打ちを受けなければならないのか。
もう何もかもから逃げ出したいと、切実に願った。
いっそ、今までの出来事を全てなかったことにして、目の前の彼女たちすら簡単に見捨てることができたら――。
『ここにいるよーん』
開いているチャットに、新たなメッセージが届く。
邪な気持ちが芽生えかけた朱音は、焦点の合わない目でしばらく画面を見つめた後、スマホをスリープ状態にしてポケットにそっと戻した。
放課後、生徒会の会議のため生徒会室へ向かう途中で、茅は目知らぬ少女に声をかけられた。
ある程度制服の着崩しが許されているとはいえ、その少女はほぼ私服に近い服装をしており、何より学院指定の衣類を一つも着用していなかった。
曲がりなりにも生徒会の一員なのだから、服装を注意した方が良いのか。
けれど、他人に何かを指摘したり、差し出がましく口を出したりするのは苦手だ。
どうしようかと少女の前でおどおどしていたら、笑顔で腕を掴まれ、訳もわからず連行されてしまった。
廊下を進み校舎を出て、気付けば学院の敷地外まで歩いていた。
あれよこれよという間に辿り着いた先は、学院から少し離れた場所にある、人気のない公園。
遊具はブランコと鉄棒しかなく、遊び場として利用するには少々寂しい空間だった。
「はじめまして、茅ちゃん」
「えと……はじめまして……?」
状況が全く掴めないままベンチに座らされ、少女も茅の隣に腰掛けた。
初対面のはずなのになぜ名前を知っているのだろうという疑問が浮かんだのも束の間、唐突に相手の自己紹介が始まる。
「アタシ、
「朱音ちゃん……?」
よく知る人物の名前が出てきたことに反応を示す茅。
見たところ、雰囲気は大人びているものの、顔つきに微かな幼さが残っていることもあり、年齢は割と近いのではないかと窺い知れる。
彼女は朱音の知り合いなのだろうと、茅は漠然と予想した。
「朱音はルナの友達なの。同じ中学だったんだー。……そうだ。記念に写真撮ってもいい?」
「え、写真? あ、あの……」
人見知りする茅は、ただでさえ派手な見た目の瑠奈に緊張でどぎまぎしているというのに、出会って数分で記念写真などあまりにスピード感のある距離の縮め方についていけず、挙動不審に拍車がかかってしまう。
しかし、瑠奈はあたふたする茅を置き去りにして勝手にスマホを構える。
「ほら、笑って笑って」
瑠奈の顔が近付き、カメラが向けられる。
有無を言わさない流れに逆らう余裕は当然なく、促されるまま今できる最大限の笑顔を作った。直後、パシャリとシャッターが押される。
かなり顔が引きつっているであろうことは、写真を確認しなくても想像できた。
歪な自分の表情が知らない人のスマホに保存されてしまったと思うと、激しく後悔が押し寄せてくる。
そもそも、朱音の友達だという人がなぜここまでやって来て自分を訪ねたのだろうか。
困惑する茅とは対照的に、瑠奈は悠然とスマホをいじっている。
「茅ちゃん、緊張してるの? かわいー」
撮ったばかりの写真を見ながら、瑠奈は呑気に感想を述べる。
茅は未だに状況を整理できていないが、いつまでもここに留まっている暇はないことはわかっていた。
生徒会の会議がすでに始まっている時間なのだ。このままでは無断欠席として扱われ、主に副会長からネチネチとお叱りを受けることになってしまう。
「あの……小高、さん……? わたし、この後用事があるんだけど、もう行ってもいい……ですか?」
「えー、もう少しお話ししようよ。わざわざ茅ちゃんに会いに来たのに。他にも友達呼んでるからさ、ちょっとだけルナに付き合ってくれない?」
「で、でも……」
「ちょっとだけ、ね」
目に見えない威圧感に、思わず身が竦む。
口元は笑っているのに瞳に全く感情がこもっておらず、瑠奈の微笑みには機械じみた不気味さがあった。
直感が告げている。この少女には逆らってはいけないと。
「ルナちゃーん。お待たせ」
「あ、来た来た」
二人しかいなかった公園に、第三者の声が響き渡る。咄嗟に声のした方を振り向き、現れた集団の姿に茅はギョッとした。
そこそこ体格が良い、柄の悪そうな青年たちが五、六人ほど押し掛けてきたのだ。
明らかに高校生ではない雰囲気で、恐らく二十歳前後だと思われる。瑠奈の言っていた"友達"とは、彼らのことなのだろうか。
一気に雲行きが怪しくなってきたことを察し、茅の警戒心と恐怖心が高まる。
「へー。まあまあ可愛いじゃん」
「俺、大人しそうな子タイプなんだよねぇ」
「今日は一人だけ?」
青年たちは瑠奈のもとまで歩み寄ると、隣で震える小動物のように萎縮している茅を、舐め回すように見つめる。
その様子を横目で眺めていた瑠奈は、公園の入り口に姿を現した人物を視界に捉え、怪しげにほくそ笑む。
「……いーや。もう一人来てくれたみたい」
視線の先には、息切れしたように呼吸を乱し、不安で瞳が揺れながらも気丈に瑠奈を睨みつける朱音がいた。
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