第30話 昼休み(3)

 "あなたたち"というのは私も含まれる? しかし、神坂さんの視線の先に私はいない。ということは、今の言葉は他の子たちに向けて言ったのだろうか。


 あまりに抑揚のない冷めた声だったせいか、地雷でも踏んだのかと焦ったように、女子生徒たちは困惑した様子で顔を見合わせている。


「あ……ごめん。わたしたち、うるさかったよね?」

「神坂さんのことが心配で、つい……」


 ふぅ、と小さくため息を吐いた神坂さんの感情は、相変わらず少しも汲み取れない。苛ついているのか、呆れているのか、疲れているのか。


 一つ言えるのは、ただ息を吐くだけの些細な動作で、これほど場を凍り付かせる彼女の影響力は、並大抵のものではないということ。


「彼女を誘ったのは私よ。二人で食事をしたいと、私が彼女にお願いしたの。だからお誘いはありがたいのだけど、今日は遠慮してもらえる?」


 居た堪れないような空気になったからさすがにお怒りかと思ったけど、意外にも神坂さんの口調は普通だった。さっきまでの険悪さが嘘のように。


 擁護するでもなく、かと言って咎めるでもない。拒否されたはずなのに悪い気がしないような、彼女の声には不思議な優しさがあった。


「……わ、わかったよ」

「神坂さん……また、誘ってもいいかな?」

「……ええ」


 不安そうに目尻を下げていた女子たちは、静かに頷いた神坂さんを見て笑顔を取り戻した。それどころか、頬を赤らめている子もいる。


 誘いを断られたにもかかわらず、全員どこか嬉しそうなテンションで別のテーブルへ移動していった。


「いつまでそこにいるの。早く座りなさい」

「……ああ、うん」


 呆気に取られていた私を促す声は、いつも通りの落ち着いたトーンだった。言われるがまま、神坂さんの向かいに腰掛ける。

 出来立てのハンバーグを前に、彼女は手を合わせて早々に食事を始めようとしていた。


「……良かったの? 追い払っちゃって」

「私はあなたと昼食を共にすると言ったのよ。大勢で食事をしたいとは言っていない」

「でも友達? なんでしょ」

「友達ではないわ」


 ネクタイの色からして同学年だったし、友達じゃないのなら、そこまで親密でもないただの同級生にお昼誘われたってこと? 何だそれ。

 入学したての頃ならよく見る光景だけど、そういうのが日常的に起こるのかね。女子校ってのは。


 神坂さんはナイフとフォークを器用に使ってカットした一口大のハンバーグを、無駄のない所作で口へ運んでいく。


 その一切れが、私の注文したカレー約一食分の値に相当するんだろうなと、侘しいことを考えながら、私もトレーに乗っているスプーンを取る。


「……なぜ私が、あなたを誘ったのだと思う?」


 カレーとご飯がちょうど重なっているど真ん中を掬い、口に入れようとした時、不意に神坂さんがそんな質問を投げてきた。


「え? なんでって……気まぐれじゃないの」


 常に何を考えているのかわからない彼女の思惑なんて、推し量れるわけがない。


 付き人とはいえ、主人の行動原理までいちいち気にはならないし、私を誘った深い意味なんてどうせないのだろう。

 大体、誰と一緒に食事をしたいかなんて、その時の気分によるものが多い。


 カレーを掬ったままの私を一瞥して、神坂さんは食事の手を止めずにさらっと答えた。


「あなたが側にいると、誰も近寄ってこないから」


 言われて周囲に視線を向けてみると、咄嗟に顔や目を逸らす人がちらほらいた。

 それだけでなく、こちらを盗み見ながら何やらひそひそと話をしている人たちも。


 不良だと思われているとか何とかで避けられているヤツが、一人じゃなく誰かと食事している姿を見たら、物珍しく感じる……のか?


「てことは、人避けとして呼んだと?」

「食堂に来ると、さっきみたいに誘われることが多いの。でも、たまには静かに食べたい時もあるから。あなたが一緒だと、こちらも話しかけられることがないし、食事中相手に気を遣う必要もないでしょ」

「なるほど。神坂さんは人付き合いが苦手なんだね」

「……その結論に至った過程を説明してくれるかしら」

「ごめん、深い意味はないって」


 からかうように笑う私に、神坂さんが呆れた眼差しを向ける。

 他人を寄せ付けない体質が、まさかこんなところで役に立つとは。もしかしたら登下校の護衛時にも、無意識にその効果が発揮されていたのかもしれない。


 それにしても、学校で誰かと昼食を取るなんて久しぶりだな。下手すると中学時代の給食以来? 一人で過ごすことにはとっくに慣れているけど、やっぱりこうして一緒に食べる方が楽しい。


 心なしか、何の変哲もないカレーが特段美味しく感じる。あ、福神漬けうま。


 時折、窓の外に視線を移し、景色をぼーっと眺めながらカレーを食べる。都会に建っている学校の割に敷地内は自然が溢れているから、見ていて飽きない。


 ふとスプーンが止まっていることに気付きカレーに視線を戻すと、見覚えのないニンジンが端っこの方にちょこんと乗っていた。


「……ん? なにこれ」


 明らかにカレーの中に入っていたニンジンではない。ルーが一切かかっていない、つやつやとしたグラッセのようなそれは、まさしくハンバーグなどに添えらているもので……。


 神坂さんのお皿を見てみると、付け合わせにあったはずのニンジンが綺麗になくなっていた。


 自分のお皿に乗っているニンジンと、神坂さんのハンバーグを交互に見る私。決定的瞬間を捉えずとも、ほぼ彼女の仕業だろうなと確信した。


 その証拠に、私と全く目を合わせようとしてくれない。神坂さんは斜め下に視線を落としながら、ぼそっと呟いた。


「……あなたが物欲しそうに見ていたから」

「いや、見てないし」


 いかにも美味しそうなハンバーグがあるのに、敢えて脇にあるニンジンの方を凝視する人なんているかな。


「良かったじゃない。カレーの具が増えて」

「だったらお肉のほうが嬉しいんだけど」


 何だこの中途半端な気遣いは。……もしや? わざわざ黙って私にニンジンをくれるなんて、考えられる理由はあれしかない。

 子どもみたいなことをするのが意外すぎて、思わず笑いが吹き出てしまう。


「っ……あはは!」

「……何?」

「神坂さんにも可愛いとこあるんだなって。嫌いなら嫌いって言ってくれればいいのに」


 腹を抱えて笑う私に突き刺さる眼光がこれまでになく鋭い。

 でも、今回ばかりはそれすらも可愛く思えて、睨まれても全然怖くなかった。ほら、神坂さんの顔少し赤くなってるし。


「ニンジン、食べられないんだ」

「……悪い?」

「いいんじゃない? 誰にだって好き嫌いはあるし。残すよりは食べてもらった方がいいもんね」

「……あなたとはもう一緒に食事はしないわ」

「そんなつれないこと言わないで」

「時給下げるわよ」

「すみませんでした」



  * * *



 信じ難い光景を前に、木崎きさきちがやは思わず食い入るように二人の少女を遠くから見つめていた。

 片方は見たこともない無邪気な笑みを浮かべ、片方は見たこともない恥じらいの色を浮かべている。


 どちらも初見では気安く近付けない雰囲気を漂わせていたが、こうしてみると美少女二人が仲睦まじく談話しているようで、その麗しさが奇しくも目の保養になると認めざるを得なかった。


「夕莉ちゃんとも知り合いなんだ。二色さんって本当に何者……?」


 すっかり食事の手が止まってしまった茅に対し、朱音は二人の少女などまるで興味がないように、パスタをフォークで巻くことに集中していた。

 というより、意識してある人物を視界に入れないよう努めている。


「……素行が悪すぎて、生徒会長に目でもつけられたんじゃない?」

「そうかなー。それにしちゃあ、空気が柔らかい気がするんだよね。なんか友達みたい。……あ、詩恩ちゃんが嫉妬しそう」

「あれと会長が友達? ありえないよぉ」

「"あれ"?」

「……ゴホン。ちょっと……パスタが喉に詰まっちゃって」


 そろそろ言い訳が苦しくなってきた。奏向の話題になると素の自分が出てきそうになるのを、いい加減どうにかしたい。


 しかし、原因はそれだけではなかった。自分が陥っている現状に余裕がないから、内面を取り繕う余裕もなくなる。


 ちまちまとパスタを巻いては、少しずつ口に運んで小さくため息を吐くという動作を、朱音は静かに繰り返していた。


 何度目かのため息が漏れた時、横に置いていたスマホの通知音がピコンと鳴る。


 咄嗟にスマホへ視線を移し、ロック画面に浮かび上がるチャットのメッセージを見てしまったことを、朱音は激しく後悔した。


『ねぇ、まだ?』


 "瑠奈"という送信者の名前と、淡白な一行のメッセージ。たったそれだけで、一気に悪寒が襲ってくる。

 込み上げてくる吐き気と目眩に、朱音は必死に口元を抑えることしかできなかった。



  * * *


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