第28話 昼休み(1)

 放課後の空いた時間に自習を始めるようになってから、お昼休みにも図書室へ入り浸るようになった。


 お昼休みは大抵の生徒が昼食をとるため食堂へ行ったり、中庭や教室でお弁当を食べたりするから、放課後よりも閑散としていて集中しやすい。


 基本、図書室は飲食禁止だし、資料の閲覧や勉強目的以外でわざわざ利用してくる人はいない。


 最近のマイブームは勉強と言っても過言ではないほど、専ら参考書やノートと睨めっこする日々が続いていた。


 そして、雪平に勉強を教えてもらう前段階として、改めて交流を深めるため連日彼女に話しかけているのだけど、こっちは全く進展なし。むしろ悪化しているような気配さえ感じていた。


 四限目終了のチャイムが鳴り、いつものように教室内が喧騒に包まれる。

 図書室へ向かうため、リュックを持って席を立つ。

 不意に顔を上げると、雪平と目が合った。しかし、またしても即座に視線を逸らされる。


 普段ならイライラを隠そうともしないで眉を吊り上げているけど、近頃の雪平は覇気のない表情をしていた。

 今日も例に漏れず、死んだ魚の目をしたまま友達と談話している。


 間違いなく何かあったんだ。

 けれど、それを確認する術がない。どうしたのかと尋ねたところで、無視されるのは目に見えているから。


 これでは、雪平との距離がますます開いてしまう…………ん、待てよ。なにも直接雪平に聞く必要はないんじゃない?


 友達から間接的に聞いてみるという手をどうして今まで試さなかったんだろう。

 雪平が側にいない時を見計らって、サシで話す。外堀から埋めていけば、振り向いてもらえるチャンスも増えるはず。


 ……と考えているうちに、いつの間にか雪平たちは教室を出て行ったようだ。

 あの子たち、結構一緒にいることが多いから、誰かが一人でいるタイミングを見つけるのは案外難しいかもしれない。


 無理やり話しかけに行っても、怖がられるだけだしな……。まぁ、いいや。成り行きでどうにかなるでしょ。

 椅子から立ち上がったまま静止していた私も、教室を後にした。


 お昼休みにリュックを掛けて歩いていると、無断早退していた頃を思い出す。と言っても、それは1ヶ月前までの習慣で割と最近のことだったんだけど。

 アルバイト尽くめの毎日で、まともな高校生活を送れるなんて考えもしなかった。


 それが今こうして普通に学校に通えているのだから、人生何が起こるかわかったもんじゃない…………と思いを巡らせていたら、携帯電話が振動した。


 画面を確認すると、そこには昼時にかけてくるには珍しい人物の名前が。立ち止まり、携帯の通話ボタンを押す。


「もしもーし」

『今どこにいるの』

「どこって……廊下だけど」


 電話での神坂さんはいつも、前置きなしに本題を切り出してくる。私的なお喋りとか、暇潰しで絡んでくるようなことはしない。

 あくまで業務連絡のためだけに電話を使っているから、携帯越しに聞こえる彼女の声は、いつもの三割増冷たい。


『お昼休み、私に付き合ってくれないかしら』

「今から? 珍しいね。何かあった?」

『………………』

「…………あれ。神坂さん?」


 突然、電話の向こう側が無音になった。強制的に通話が終了されたような気配もなく、小さなノイズ音だけが静かに鳴っている。


 何度か名前を呼んでみたけど、一向に返事は聞こえてこない。……急に電波が悪くなった? 一回通話を切って折り返してみるか。


「…………おっ、と……?」


 耳から携帯を離した直後、後ろからリュックを引っ張られ上体が傾く。

 廊下に突っ立っていたせいで、通行の邪魔にでもなったか。だからって力尽くで退かそうとしなくても……。


 そもそも、私にこんなことをしてくる人なんてこの学院にいたっけ。相手の面を拝んでやろうと、背後を振り向く――


「……どういうつもり」


 が、今度はなぜかリュックが固定されて動けず、体を後ろに向けられない。

 誰がこんなことを……と一瞬驚いたけど、ここまで棘のある冷め切った声を出す人を、私は一人しか知らない。


「こっちのセリフなんだけど……」


 おそらく今、リュックの持ち手を掴まれている。それも、凄まじい力で。

 首根っこを掴まれた猫の気分って、きっとこんな感じだと思う。


 どんな理由でこの状況に陥ったのか全くもって疑問だし、電話で話していた相手がいつの間にかすぐ後ろにいることも怖い。

 気付かないうちに、何か神坂さんの癇に障るようなことでもした……覚えはない。ない、はず。


「主人の前で職務を放棄しようとするなんて、いい度胸ね」

「……は? 何言ってんの……いや、その前に手。離してくんない?」

「…………」


 数秒の沈黙を挟んだ後、リュックを掴まれている感覚が無くなった。

 謎の威圧感から解放されて安堵したのも束の間、振り向いてみると、スマホを片手に私へ咎めるような強い眼差しを向けている神坂さんの姿が。

 いつにも増して視線が痛いのは気のせい……?


「この状況、説明してくれる?」

「状況も何も……こっちが聞きたいわ。さっきまであんたと電話してただけだよね、私」

「……私があなたを電話で引き留めなかったら、そのまま帰ろうとでもしていた?」

「…………帰る?」


 話の流れがつかめず眉間にシワを寄せる私に、神坂さんが詰め寄る。


 ……近い近い。距離感おかしいから。

 触れられるのはダメなくせに、自分からグイグイ来る時があるんだよな……。

 その度にわざわざ距離をとらなければならないこっちの身にもなってほしい。


「言ったわよね。あなたは付き人である以上、私の側を片時も離れてはいけないと。その私を置いて、何の連絡もなく仕事を切り上げようとしているのはどこの誰かしら」

「……ちょっと待って。私がバックれようとしてるって言いたいの? なんで……」


 言いかけたところで、すっかり忘れていた本来の目的に気付き、合点がいく。


 参考書とか勉強道具とか、図書室までまとめて持っていくには、手持ちよりリュックに入れた方が楽だから。

 で、リュックを背負って廊下を歩いている姿を見られたら……確かに、帰ろうとしていると思われても仕方がない。

 先月まで無断早退しまくってた前科もあるし。


「これは帰ろうとしてるんじゃなくて、図書室に行こうとしてただけ」

「……図書室?」

「勉強してんの。サボってた分の遅れを取り戻すために。今まで授業を怠けることはあったけど、バイトを放棄したことなんて一度もないし、するつもりもないから」


 金銭が絡んでるんでね。

 高校生とはいえ、れっきとした契約のもとで働いているのだから、さすがに仕事を途中で投げ出して帰るなんて無責任なことはしない。ルールに厳しい神坂さんが雇用主なら尚更。


「…………」


 普段冷静な神坂さんが、早とちりするなんて珍しい。

 自分の非を認めたくないのか何なのか、感情の読めない顔つきはそのままに、気まずそうにそっと目を逸らし、ただただ無言を貫いている様子がちょっとだけ微笑ましくて。


 からかってやろうかと企んでみるけど、プライドの高い彼女はきっと根に持つんだろうな……と思いつつ。


「私が素行不良だったこと、やっぱり気にしてる?」

「……違うわ。あなたのやってきた非行は初めから気にしてない」

「そうだった。問題児であろうが関係ないって、この前言ってくれたもんね」

「私はただ……私の知らないところで、勝手にいなくなろうとしていたことが許せなかっただけよ」


 まぁ、それが勘違いだったんだけどね。

 危ない危ない。誤解されたままだったらクビになってた可能性が……。


「いなくなったりしないよ。時給1万で神坂さんの言いなりになるだけの美味しいバイト、自分から手放すような真似するわけないじゃん」


 命令には絶対服従というルールに最初は警戒していたけど、神坂さんのお世話係になってから数週間が経っても、過激な命令は一度もされていない。


 それどころか、なぜ付き人を雇ったのかと思うほど、身の回りのことは彼女自身でやってしまうことが多い。


 今のところの付き人らしい仕事は、登下校時の護衛くらい。数多あるアルバイト経験の中でも、トップを争うほどめちゃくちゃ楽。

 割に合わない仕事なんていくらでもあるけど、こんなにコスパのいい業務は初めてだ。


「"言いなりになるだけ"……」


 何かが引っ掛かったのか、神坂さんは私の言葉を小さく復唱する。

 そしておもむろに手を伸ばしてきたかと思うと、私のネクタイを掴み、自分の方へ思い切り引き寄せた。


「……っ!?」


 思わず変な声が出そうになった。

 力の加減というものを知らないのか……。


 突然首がグンッと引っ張られた拍子に顔をしかめる暇もなく、神坂さんの端正な顔がすぐ目の前に来て……いつかの瞬間を思い出し、無意識に体が強張る。


「じゃあ、今から私の言うことに当然従ってくれるわよね」


 極限まで接近した神坂さんは、私の耳元でそう囁いた。生暖かい吐息と柔らかいものが耳に触れたような感触がして、くすぐったさに一瞬怯む。

 ……一体何をさせる気?

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