第25話 お願い(1)

 二年生に進級してから早一週間。授業も本格的に始まって、理想の高校生活がようやく送れる……ことは残念ながらなく。

 依然として、私が孤立しているという状況は変わらなかった。


 そこはもう、仕方がないというか。

 遅刻も無断欠席もしていないし、授業中も極力起きるようにしているし、休み時間は大人しく自席でぼーっとしている。


 外見を除いて、不良と呼ばれるような要素は払拭したと思っているけど、それでもなぜか避けられてしまうのだから。


 ……顔か? そんなに険しい顔してるかな、私。それとも雰囲気? 無意識のうちに近寄るなオーラが出てるとか?

 でも、神坂さんや杏華さんは普通に接してくれるけどな。本心でも近寄らないでほしいなんて思っていない。


 ただ、一人でいること自体に不満があるわけでは決してなく、むしろ食堂や図書室に来た時なんかは、突っ立っているだけで周りが自然と席を譲ってくれるので、特に困るようなことはない。


 けれど、それでも友達がいないことで不便だと思う瞬間は少なからずあった。


「…………はぁ。わからん」


 それは、今この時だ。

 放課後、生徒会の仕事やらで忙しい神坂さんを待っている間に、暇潰しがてら約一年分の遅れを取り戻すため図書室で勉強をすることにしたのだけど。


 全く初見の範囲を参考書だけで習得するのは、さすがに限界があった。

 基礎問題は解けても、応用になると一気に難易度が上がる。何より、何ヶ月もの間勉強を怠ってきたせいで、完全に思考力が鈍っているのだ。


 高校一年の範囲を理解していなければ、二年からの授業ではさらについていけなくなる。というか、既に置いていかれている。

 ただでさえ名門校で、一般的な高校より授業内容が難しいのに。


 こんな時に勉強を見てくれる人がいればいいんだけど、悲しいことに頼れる当てが誰一人としていないのが現実。


 わからないところを誰かに質問できない歯痒さと、問題が解けないストレスのあまり、やり場のない気持ちが全て指先に注がれて、ひたすらペン回しだけが極められていく。


 放課後、私に付き合ってくれそうな知り合いなんて…………ん、知り合い?

 すっかり頭から抜け落ちていたけど、いないこともない、かもしれない。無理やり丸め込めば嫌々ながらも従ってくれる従順な……じゃなくて、聞き分けのいい子が。


 アプローチしてみる価値はある。そうと決まれば早速呼び出して……って、あの子の連絡先知らないんだった。

 それどころか、一方的に避けられているせいで普段交流もない。話しかけるなと言われているけど、非常時なんだから大丈夫でしょ。

 よし、明日から頼んでみよう。


 凝り固まった体をほぐすように伸びをする。図書室の時計を見てみると、17時を回っていた。そろそろ神坂さんから連絡が来る時間だ。


 今日の勉強はこれくらいにして、机上に散らかる参考書や筆記用具を片付け始める。その途中で、ブレザーのポケットに入っていた携帯がお迎えの合図を鳴らした。



   ◇



「雪平、おはよ」


 翌日の朝。例によって神坂さんを教室まで送り届けた後、お目当ての人物が登校してくるのを待っていた私は、ようやく現れたポニーテールの少女を前にお気楽な挨拶を投げる。


「…………」


 しかし、雪平は目も合わせずそそくさと自席へ座ってしまった。まるで初めから私の存在など見えていないかのように。


 思い切り大きな独り言をぶちかましたみたいになったんですけど。

 教室内にはそこそこクラスメートもいるから、突然声を上げた私に周りの子たちは怪訝な目を向けていた。

 ……どうしてくれるんだ、この空気。


 雪平の席は、廊下側の前から二列目。最後席に座る私からはそれなりに離れている。

 にもかかわらず、彼女の背中から不機嫌そうな雰囲気がひしひしと感じ取れた。


 相変わらずわかりやすいなー、あの子。

 あんなに威張っていたけど、執拗に迫られることには弱いから、構わず押し続けたら落ちるだろうね。


 それから私は、彼女に会うたび声をかけ続けた。


「おはよー、雪平」

「…………」

「雪平、次の授業の課題なんだけど」

「…………」

「あ、雪平も食堂で食べんの?」

「…………」

「次って移動教室だっけ、雪平」

「…………」

「雪平ぁー」

「…………あぁーッ! もうッ!!」


 目にも止まらぬ速さで腕を掴まれ、何時ぞやに連れ込まれた空き教室前の廊下まで急かすように連行される。

 わざわざ人気のない場所まで移動する徹底ぶりに感心しつつ、最後まで私を無視できなかった意志の弱さに内心ほくそ笑む。


「ようやくお喋りする気になってくれたね」

「てめぇがしつこいからだろーがッ! 言ったよな? 話しかけるなって! そんなにぶん殴られてーのか!?」

「いやいや、まさか。そんな物騒なことは望んでないですよ?」


 ほら、と両手を上げて、反抗の意思がないことを表明する。


「おちょくってんじゃねーよ……!」


 右拳がぷるぷると震えているけど、荒ぶる感情を理性で何とか抑え込んでいる様子。

 こっちだって喧嘩がしたくて粘り強く話しかけていたわけではない。

 今後の授業についていけるかどうかが、彼女に懸かっていると言っても過言ではないのだから。


「つか、何でクソ真面目に学校来てんだよ」

「だめなの?」

「碌に授業受けてこなかった奴が、何で今になって態度改めてんのかって聞いてんだよ。気持ち悪ぃな」

「私だって改心する時はするよ。誰かさんみたいにね」

「ッ……!」


 怯んだように何かを言い淀んで、鋭く私を睨む。思い当たる節があるようだ。誰かさんとは言わずもがな、雪平のことなのだけど。


 私以外の友達や先生と接する時の彼女は、明らかに中学時代とは別人なのである。よそ行きの態度にしてはぶりっ子すぎるというか。

 どうやら彼女は、不良だった頃の自分を封印したいらしい。


「……なんだよ。また弱みでも握ろうってか」

「やだなー、私と雪平の仲じゃん。そんな姑息な真似すると思う?」

「なッ……忘れたとは言わせねーぞ! 中学ん時、タイマン張らないとあたしが隠キャなこと言いふらすって脅迫してきただろ!」

「まだ根に持ってたんだ。てゆーか、脅迫じゃなくてただの交換条件だから、あれ。未だに満たせてない気もするけど」


 雪平の証言はだいぶ歪曲している気がする。うろ覚えだけど、"私と対等に話したいなら猫かぶるのやめろ"みたいなことを言ったような。


 本当の自分を押し殺してまで見栄を張る彼女がなんだか気に食わなくて。それでいて何かと私を目の敵にしてくる雪平に、そう吐き捨てた記憶がある。


「それに、私はあんたを隠キャだと思ったことなんてないよ」

「ふ、ざけんな……ッ! そう思ってなきゃ、偉そうにあたしを見下したりしねーだろが!」

「……ん? 私がいつあんたを見下した?」

「このッ……! ………………もういい。お前と話してたら脳みそが腐る。不祥事起こしてさっさと退学しちまえっ」

「ちょっと待って」


 やけくそ気味に悪態をついてこの場を去ろうとする雪平の腕を掴む。


 今のやりとりで感じた、私と彼女の間にある認識の相違を正したいのはやまやまだけど、会話までこぎつけた本来の目的は別にある。


 雪平がなぜ更生したのか、今まで私のことをどう思っていたのかは、またの機会に聞いてみるとして。

 嫌悪感をまるで隠そうともしない歪んだ表情を見せる雪平に、用件を切り出す。


「お願いがあるんだけど」

「だから! もうあたしに指図すんなよッ」


 私の手を振り払おうとする前に掴んでいた雪平の腕を引っ張り、体を壁に押さえつける。彼女を挟むように両手を壁につけて。

 伝えられるのは今しかないんだ。仲違いしている場合じゃない。


 押さえつけられた勢いで背中に痛みでも走ったのか、雪平が顔をしかめたのは一瞬。すぐに私の胸倉を掴み、怒りを露わにした。


「なにすんッ……」

「勉強、教えてほしい」

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