第24話 好きなもの
「今晩の夕食は、奏向さんがお作りになるのはいかがでしょう?」
「……私が、ですか?」
突飛すぎる杏華さんの発言に、両手に持っているスーパーの袋をテーブルに置いた姿勢のまま私は固まった。
そもそもなぜ今、神坂さんではなく杏華さんに遣われているのか。
それは、終業時間よりもだいぶ早く神坂さんを家まで送ることができたから。
学院にいる間の護衛とその他雑用が主な仕事だけど、家の中にいれば比較的安全なので、護衛をする必要がない。
彼女から特別指示や命令がなければ、終業時間の19時までは、メイドである杏華さんのお手伝いもすることになっている。
お花見が終わり帰宅して早々、神坂さんは自室に引きこもってしまった。
それで、手が空いた私は夕食の買い出しをしてほしいという杏華さんのお願いに応えることに。
ようやく仕事らしいことができると意気込んで、買い出しから戻った後の急な追加注文に若干身構えてしまう。
「はい。一度、奏向さんの料理の腕前を拝見したいと思っておりましたので」
「それは別に構いませんけど……凝ったものは作れませんよ?」
自炊の他にもキッチンのアルバイトをしていたから、同年代に比べたら料理はできる方かもしれないけれど、神坂さんや杏華さんのような高貴な人の舌に合う食べ物を作れるかは、正直自信がない。
余所様の家庭の味なんてもちろん再現できないし、私が頑張って作るとすれば、お手頃なチェーン店レベルのメニューくらい。
先日ご馳走になった和食並のクオリティを求められたらちょっと困る。
「全然大丈夫ですよ。奏向さんの作るご飯であれば、何でも嬉しいですから」
「さりげなくハードル上げてますよね」
「そう捉えられたのであれば申し訳ありません。けれど、期待をしているのは確かですね」
寸分の曇りもない朗らかな微笑みを向けられる。
杏華さんのことだから、からかって私を試しているわけではないのだろうけど、変にプレッシャーがかかるのはなぜなのか……。
彼女に何かを振る舞ったことがあるとすれば、いつも通ってくれる喫茶店のコーヒーくらいしかない。しかも食べ物ではなく飲み物。
でも、これも仕事だと割り切ればできなくはない。
ここは神坂家の台所ではなくレストランの厨房、そう思えば多少は緊張が和らぐ。
「……わかりました。何かリクエストとかあります?」
「では、お嬢様の好物の一つであるカルボナーラを」
……カルボナーラか。レシピ自体はそれほど難しくはないけど、味の濃厚さや卵のとろみを追求するなら、使う食材や熱加減にこだわらなければならない繊細な料理。
一般的な家庭では生クリームを使用することもあるけど、本場に近づけたいのなら卵とチーズだけで作るべきか。
「了解です」
悩んでいても始まらない。困った時や不安な時は、とりあえず営業スマイルを振り撒いておく。
料理そのものが初体験というわけではないんだし、無駄に重圧を感じる必要はないんだ。いつも通り気楽にやろう。
「ありがとうございます。調理器具や食材は自由に使っていただいて構いませんので、奏向さんのやりやすいようになさってください」
杏華さんからエプロンを借りて、キッチンに立つ。
やはり高級マンションの設備は伊達ではない。どこぞの会員制レストランかと思うほどのシックな雰囲気と、見せない収納を徹底した、良い意味で生活感のない外観。
これがいわゆるシステムキッチンというやつか。本当に毎日使っているのかと疑ってしまうくらい新品同然にピカピカだ。
まずは食材を確認するため、大きな冷蔵庫を開けてみる。
想像通りというか、むしろ想像以上というか……。何がどこにあるのか、初見でも大体わかるくらいきれいに整頓されている。
野菜室もきっちり仕切られていて、鮮度も申し分ない。せっかくだし、付け合わせのサラダも作ってみよう。
必要な食材をいくつか取り出し、早速調理に取り掛かる。
先にパスタを茹でるためお湯を沸かしておき、その間にカルボナーラのソースを準備。
具材は無難にベーコンにしようと思ったけど、パンチェッタがあったので使わない手はない。ちなみにこれは、豚肉の塩漬けのこと。
包丁の切れ味に感動しながらお肉を切っていると、正面から視線を感じた。
……デジャヴ? 手を止めて視線の持ち主に目を向ける。
オープンキッチンのため、こちらの動きはほぼ丸見えな反面、ダイニング側の様子も横目で確認できてしまう。
案の定、テーブルの席に着いている杏華さんがニコニコと楽しそうに私を見ていた。
「奏向さん」
「はい」
「話しかけてもよろしいですか?」
「……? ええ、もちろん」
無言で見られるよりは全然いい。喫茶店ではないのでBGMは流れていないし、杏華さんと二人きりの空間で沈黙が続くと、なんとなく気まずいというのもある。
しかし、わざわざ許可を取ってくるなんて律儀だ。遠慮なく横槍を入れてくれても全然構わないのに。
「お家で奏向さんのお料理をご馳走になれる機会は、そうそうないだろうと思いまして。急なお願いをしてしまい驚かれましたよね」
「まぁ……そうですね、少しだけ。でも、これも仕事の一環ですし。まさか豪邸のキッチンでがっつり料理するなんて思ってもみませんでしたけど」
家事は杏華さんがメインでやるという話だったから。お手伝いといっても、先ほどの買い出しのような雑用を任されるものだと軽く考えていた。
苦笑しながら、止めていた手を再び動かす。
「お口に合わなかったらごめんなさい」
「そんなことないですよ。手際の良さだけ見ても、お料理ができる方なのだとわかりますから。きっと味も完璧なはずです」
「その信頼はどこから来るんですかね……」
杏華さんがどんどんハードルを上げていく……。試されているのか私は。これで満足させられるようなものが作れなければクビとか?
普通のアルバイトと勝手が違うから、余計に警戒してしまう。
「貴女がお嬢様の付き人を引き受けてくださって、本当に良かったと思っています。使用人はもう雇わないと、頑なに拒んでいらっしゃいましたから……」
感慨に浸るような表情で、杏華さんがぽつりと呟いた。
……神坂さんはどういう風の吹き回しで私を雇おうとしたんだろう。
彼女の気まぐれかもしれないけど、それほど拒んできたものが短期間で心変わりしてしまうような、何か強いきっかけがあったのだろうか。
先日の面接で話してくれた雇用の理由なんて、全く意味わかんなかったし。
「杏華さんは、どうして私にお世話係を任せようと思ったんですか?」
元はと言えば、杏華さんが神坂さんに私を紹介したのが始まりだ。
彼女は喫茶店で働いている姿の私しか知らないはずなのに、何をどう判断してお世話係に相応しいという結論に至ったのだろう。
「奏向さんなら、安心してお嬢様を任せられると思ったからです」
揃いも揃ってまた漠然とした回答を……。そんなに本当のことを話したくないのか、それとも深い理由なんて初めから無いのか。
「もしかして私たち、喫茶店以外でお会いしたことあります?」
冗談半分でありもしない事実を確認してみる。実は以前から私のことを知っていて、神坂さんの付き人として好適なのかを裏でこっそり見定められていたとか――。
「……さぁ、どうでしょうね」
どうしてそこで含みを持たすの……。口元は笑っているけど、瞳の奥には陰りが見える。
本当に、私と杏華さんは面識があった? いやでも、こんな綺麗な人を一目でも見たら忘れるはずがない。
フライパンでパスタとソースを絡めていた手が止まりそうになった。……危ない、気を抜いたら卵が固まってしまう。
手元に意識を戻し、いい感じにソースが絡まったところでお皿に盛り付ける。
並行して準備していたサラダも小皿に取り分けて、今晩のメニューはできあがりだ。
「杏華さん、完成しましたよ」
カウンターに食膳を乗せると、杏華さんが子どものように目をキラキラさせて覗き込んできた。こんな無邪気な顔するんだ……。
「とても美味しそうですね……! お嬢様をお呼びしてきます」
そう言ったのと同時、神坂さんがダイニングルームに姿を見せた。タイミング良すぎ。
「あ、お嬢様。ちょうど夕食ができあがったところなんですよ」
ラフな部屋着に身を包んだ彼女は、無表情のまま杏華さんを一瞥し、吸い寄せられるようにこちらへ近付いてくる。
お目当てはやはりカルボナーラだった。如何なるものにも興味を示さなそうな神坂さんも、さすがに好物には目がないのかな?
「……これ、あなたが作ったの?」
「うん。杏華さんから聞いたよ、あんたがカルボナーラ好きだって」
「今後も円満な関係を築いていくため、手始めにお嬢様の胃袋を掴んでいただこうかと」
「え、そんな理由もあったんですか」
「杏華……」
責めているような、けれど微かに戸惑っているような目で、杏華さんを睨んでいる。
しかし、当の本人はまるで悪意を感じさせない笑顔で、何事もないかのようにその視線を受け流していた。
……さてと。そろそろ終業時間だし、私はここらで上がらせてもらうか。
「ねぇ」
エプロンを外し、椅子に掛けていたブレザーとリュックを手に取ったところで、背後から神坂さんに呼び止められた。
振り向いた直後、彼女と目が合う。
口元に手を当てて、どこか気まずそうに視線をさまよわせている。どうしたんだろう、神坂さんらしくない――
「……ありがとう」
なんて思っていたら、予想外の言葉をかけられ思わず硬直した。
率直にお礼を言われるなんて微塵も思っていなかったから、咄嗟に声が出てこない。
何の反応もない私に痺れを切らしたのか、神坂さんはふいと顔を逸らしてしまう。髪の隙間から覗く横顔はほんのり赤かった。
ようやく言葉の意味を咀嚼できたところで、私の口角が徐々に上がっていく。
なんだ、素直な一面もあるんじゃん。
"どういたしまして"なんてありきたりな返事をするのはもったいない気がして……けれど、口をついて出たのはやっぱり月並みな言葉だった。
「明日、味の感想でも聞かせて」
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