第23話 一人よりも

 しばらく咲間先生と他愛もない雑談をしていると、渡り廊下にやって来た別の先生が彼女を探していたようで、急かすように声をかけてきた。咲間先生は名残惜しそうに手を振り、職員室へ戻っていく。

 私はまた一人になった。


 そして気付けば――午後の三時を回っていた。ふと目覚めてから、反射的に腕時計を見るともうそんな時間になっていて、遅刻が確定した時のような焦燥感を覚える。


 ……また眠ってしまった。お昼時で快晴、そのうえ桜に囲まれた中庭にいたら、それはもう寝るしかないじゃん。


 神坂さんから着信が来ていないか、急いで携帯を確認する。――よかった。履歴には何も記録されていない。

 安堵のため息を漏らした時、ちょうど着信音が鳴った。神坂さんだ。


「もしもーし」

『今、用事が終わったところよ。これから帰り支度をするから、十分後には下校できると思う』

「ん、お疲れ。…………あ、そうだ」


 迎えに行くと言おうとして、不意にある提案が浮かぶ。桜を眺めながら電話をしていたら、無性にやりたくなってしまった。

 まだ時間もあるし、夕方前の静かな校舎という滅多にない状況の中、このまま帰るのはなんだかもったいなくて。


「お昼ご飯は食べた?」

『……いえ、食べていないけど……』

「じゃあさ、ちょうどおやつの時間だし、ちょっと付き合ってよ」

『……何をするの?』

「今しかできないこと」


 リュックの中に、あるものが入っていることを確認しながら、誰かさんみたく意味ありげな言い回しで濁してみる。


「私今中庭にいるから。身支度終わったら、ここまで来てくれる?」

『主人に指図する付き人なんて聞いたことがないけど』

「ごめんごめん。指図じゃなくて、私からのお願いだと思って」

『……わかったわ』


 一瞬悩んでいるような間があったけど、了承の返事をくれた。


 "指図"と"お願い"の違いでも考えていたのか、同級生とはいえ、仮にもお世話係である私の言うことに従うのが不服だと思ったのか、はたまた何をするのかはっきりしないことに警戒心でも抱いたか。

 何にしろ、承諾してくれたからには来てもらわないとね。


 電話を切ってから、脱力したようにベンチの背もたれに寄り掛かる。


 軽い気持ちで誘ってみたけど、まさか本当に乗ってくれるとは思わなかった。完全に私の自己満足だし、神坂さんは多分つまらないと思うかもしれない。

 でも、機嫌を伺う必要がないのなら、好きなようにやらせてもらおう。


 宣言通り、神坂さんは十分ほどで中庭に姿を見せた。私の存在に気付いた彼女に手招きする。


「用件は何?」


 私が座っているベンチの前まで近付くと、単刀直入に切り出された。

 せっかちだなぁ。こんな場所で難しいことをやらせるわけがないんだし、あまり身構えないでほしい。


「ほら、ここ座って」

「……半径二メートル以内には近付かないんじゃなかったの」

「私はここから動く気ないから、触れる心配はないと思う。神坂さんがこれ以上近付いてこない限りはね」


 まだ不信感を抱いているのか、逡巡するような沈黙を挟んだ後、渋々私の隣に腰掛けた。

 二人掛けのベンチで、肩が触れ合うまではいかずとも、彼女との距離はおそらく三十センチもない。でも、今はこれくらいの間隔がちょうどいい。


「手、出して」

「……?」


 リュックの中から先ほど確認したものを取り出し、訝しげながらも素直に差し出された神坂さんの手にそれを置く。


「……これは?」

「おやつ」


 手のひらサイズの小さな箱の正体は、スティック状のクッキーが二本入ったお菓子――というよりは、非常時や小腹が空いた時にも食べられる栄養機能食品だ。


 喫茶店の店長からの頂き物で、ありがたいことになぜか週に一度、プレゼントだと言って渡される。

 いつもならすぐに食べてしまうことが多いけど、今日は偶々未開封のままリュックの中に眠っていた。


 昼食をとっていないという神坂さんの腹の足しになるかはわからないけど、何もないよりはマシなはずだ。


「生徒会長サマへの労いの品だよ。美味しいから食べてみて」

「これを渡すためにわざわざ呼んだの?」

「まぁ、それもあるけど」


 おやつをあげるのは、あくまで二の次。

 私は神坂さんから視線を外し、中庭に立つ大きな桜の木を見上げる。

 開花の時期が早く、満開の状態も長続きしないだろうと思っていた中、学校の桜は今がまさに見頃のような壮麗さで咲き乱れていた。


「一人より、誰かがいてくれた方がいいじゃん。お花見」


 "花より団子"なんて言葉があるけど、私はちゃんと花も楽しみたい人で。

 神坂さんをここに呼んだのは、一緒に桜を見たかったから……と言っても、現状で私の我儘を聞いてくれそうな人が彼女しかいなかったからなんだけど。


「……あなたの中にも、自然を嗜む心があったのね」

「それ、褒め言葉として受け取っておくわ」


 道端の小さな植物なんて眼中にないような人だと思われていたのかもしれない。


 だけど、ちんまり咲いているたんぽぽを立ち止まって見るほどには自然が好きな方だから、暇な時間があれば広場に立ち寄ったり、こうして中庭で息抜きしたりする。


 隣で姿勢良く座る神坂さんは、遠くを見つめるような目で桜を眺めていた。

 何を考えているのか、その片鱗すら垣間見えない瞳は、どこか憂いを帯びている……気がした。


 改めて見ると、彼女の横顔はとても整った形状をしている。

 すらりと鼻筋が通っていて、まつ毛は重力に逆らうかのように長く伸びており、唇は柔らかそうな桜色…………って待て。これ以上ガン見していたら良からぬ誤解を与えてしまう。勘付かれる前にすぐさま視線を桜へと戻した。


「……十分だけでいいから」


 さすがに、無理に呼び出してしまった人をいつまでも振り回すほど、身勝手ではない。

 少しの時間でいい。この瞬間を誰かと共有できれば――。


「代わりに何でも言うこと聞く」

「当たり前でしょう。あなたは私の付き人なのだから」


 こういう時だけ返事が早い。やっぱり不服だったか。

 ま、次から気を付けよ。……と思いながら、また振り回してしまいそうだけど。


「……これ」

「ん?」


 いつの間にか私に顔を向けていた神坂さんが、何かをこちらに差し出していた。

 ついさっきあげた栄養機能食品の箱が開封されていて、そのうちの一本が彼女の手に握られている。


「二人でお花見をするのなら、食べ物も二人で分け合った方がいいでしょ」

「それはあんたにあげたものなんだし、全部食べていいんだよ?」

「私のものになったのだから、私の好きにしていいはずよ。だから一つは、あなたが食べて。――これは命令よ」

「こんなことで権力行使しなくても……」


 私を見つめる彼女の瞳からは、絶対に引かないという意志がありありと伝わってくる。


 私にとっては週一で食べている日常食で、これといって特別な食べ物でもない。

 人にあげたものが自分に戻ってくるなんて、なんとなくやるせない気持ちになるけど、"分け合う"というのなら悪い気はしない。

 むしろ、誰かと同じものをシェアするのは嬉しい。


 ……まったく、どうして変なところで意固地なのか。でも、命令だと言われたら逆らえない。それがルールの一つでもあるから。


「じゃあ、二人で食べよっか」


 袋に包装されているクッキーを受け取る。それで満足したのか、神坂さんは自分の手に持つもう一つのクッキーに視線を落とした。

 しかし、なかなか手をつける気配がない。


「もしかして、こういうの初めて食べる?」

「……別に、そういうわけでは……」


 ああ、初めてなんだ。栄養機能食品に頼らなくても、毎日健康的な食生活を送っていそうだもんね。

 ご飯はきっと、家事全般を担う杏華さんが作っているんだろう。羨ましい限りだ。


 けれど、庶民の味覚しか持ち合わせていない私の貧弱な舌でも、このクッキーはわりと誰でも食べられると断言できるくらい、味に問題はないと思っている。


 彼女が食べやすくなるように、私が先に毒味でもしようか。いつも食べているから、100%安全なのは保証済みだけど。


「怪しいものは入ってないから。ほら、見た目は普通のクッキーでしょ」


 袋をちぎり、中身を見せる。まるで品定めでもするように、神坂さんはクッキーをじっと注視していた。


 少し厚みのある直方体で、よくある薄茶色の見た目。

 その先端を躊躇なくかじる。しっとりしていて、ほんのり甘さもあって、一般的なお菓子と遜色ないほどの美味しさだ。


「…………」


 咀嚼しているところまで凝視されてたら食べづらいんだけど……。どんだけ疑り深いんだ。かじった分を飲み込んだところで、ようやく彼女は目を離してくれた。


 そして、自分の手に持つクッキーの袋をおもむろに開ける。瞬きを二回して、袋から突き出された部分を小さく口に含んだ。


「どう?」

「…………悪くはない、と思う」

「そっか。ならよかった」


 二口目にいっている様子を見ると、満更でもないのだろう。不味いと思われていないのならあげた甲斐がある。


 控え目ながらも黙々とクッキーをかじり続ける神坂さんから視線を逸らし、再び桜を仰ぎ見る。

 一人で寛ぐよりも、不思議なほど今の空間がものすごく落ち着く……なんでだろ。

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