第2話 三者面談(2)
「学費が、払えない……?」
渾身の一撃を受けたかのごとく、咲間先生はすとんと椅子に腰を下ろして硬直してしまった。
別に珍しい理由ではないと思う。
学費免除目当てに特待生制度を利用する人だっているし、その頼みの綱も切れ果ててしまえばどうすることもできない。
それなら、特待生の継続条件が満たされるように模範となるような成績や態度をとっていれば良かったのだろうけど、学業に専念できるほど家計状況が芳しくなかった。
元々高校に入学したら、生活費を稼ぐためにアルバイトを始める予定だったし、なんなら私立ではなく公立に、それか全日制ではなく通信制に通うことも考えていた。
「その、親御さんと相談もしないで決めつけるのは……」
「わかりきってますから、うちにはお金がないこと。だからアルバイトしてたんです。今まで授業を欠席してたのはそのためです。素行が悪かったのは、恐らくバイトの疲れが残っていたからかと。誤解を招くような態度を見せてしまいすみませんでした」
「あぅ……で、でも……」
さすがの先生でも、家庭の事情に口出しできないだろう。ましてや、金銭面のデリケートな問題なんて。
「諦めるのはまだ早いよ。奨学金を借りるとか、福祉資金を利用するとか、延納するとか、方法はいくらでもあるから」
「これ以上借金を増やすわけにはいかないんです。ただでさえ親の尻拭いを押し付けられてる状況なのに」
「親御さんの……?」
思わず口が滑ってしまった。
無駄に詮索されたくないので、家庭内の細かい事情まで話すつもりはなかったのに。
訝しげに首を傾げる先生から、そっと視線を逸らす。
それに、たとえいくらか資金を調達できたとしても、聖煌学院の学費は洒落にならないほど高いので、結局は足りない分を稼がないといけない。
「とにかく、これを機に学校は辞めようと思います。詳細については、後日にまた面談の予定を組んでいただいてもいいですか」
「二色さん、もう少し考え直して……」
「この後バイトがあるので。私はこれで失礼します」
半ば強引に先生の言葉を遮り、私は席を立つ。
視界の端で、何か言いたげに口をぱくぱくさせる先生が映り鯉みたいだなと思っていたら、いきなり教室のドアが乱暴に開かれた。
「ちょっと待ったー!!」
派手な登場と共に、カチ込みに来たのではと思うほどの声量で現れたのは、ホステスが着るようなドレスを見に纏った人物だった。
急いで来たのか、激しく呼吸が乱れており、肩に掛けたストールが今にも落ちそうで、髪も結ってあるのにボサボサだ。
「お、お母さん……!?」
「ごめん、カナちゃん。面談があるのはわかってたんだけど寝過ごしちゃった」
語尾に音符マークでも付きそうな軽い口調で、お母さんはペロリと舌を出した。
いい年した大人のはずが、妙に様になっているのが余計腹立たしい。
「はじめまして、先生。奏向の母の
「あ……はじめまして。奏向さんの担任の咲間と申します」
「あらあらまぁ! 可愛いらしい先生ですね。マスコットみたい」
「ちょっと! 先生に失礼だから」
咲間先生はその小柄な体型ゆえに、子ども扱いされることを極端に嫌っている……はずなのだけど、突如現れたハイテンションな露出度高めの生徒の保護者を前に、戸惑いを隠しきれないようだ。
お母さんが放った最後の言葉は耳に届いていないらしい。
「ていうか、二日酔いでダウンしてたんじゃ……」
「なーに言ってるのよ。二日酔いだろうがオール直後だろうが、愛しの娘のためならどこへだって駆けつけるわっ…………おぇ」
果たしてその意気込みを喜んでいいのやら。今まで三者面談は何回か設けられていたけど、一度も来てくれたことはなかったくせに、よりによって今日……。
少なくとも、今は駆けつけないでほしかった。お母さんがいない方が円滑に話を進められたから。
「お母さん、面談はもう終わったから。出る幕ないよ。だからさっさと帰って」
「えー、カナちゃん冷たーい。せっかくここまで来たのに」
「あの、お母さま。奏向さんのことについて、折り入ってご相談させていただきたいことがあります」
「先生!」
ここぞとばかりに割り込んでくる先生。
絶対退学の件について話すつもりだ。だから早く切り上げたかったのに。お母さんがいると碌なことにならない……!
「相談? なんでしょう。うちのカナちゃんがまた問題でも起こしちゃいましたか?」
先生が露骨に真剣な表情で話しかけたのに、お母さんはなぜかご機嫌な様子だ。
千鳥足で私の隣の席に腰掛ける。……まだ酔っ払ってるじゃん。でも、いつものことだ。
私は苛立ちを前面に出しながら深くため息を吐いた。
改めて向かいの椅子に座り直した先生と目が合う。その眼差しは、自分自身の口から話してくださいと諭しているようだった。
……面倒だな。
しかし、生徒自身が退学を望んでいたとしても、最終的には親の同意が必要だ。遅かれ早かれ退学のことは発覚する。
問題は、お母さんが私の退学についてどう思うか。軽く目眩がしたのをぐっと堪え、私は立ったまま話を切り出した。
「……お母さん。私、学校辞めようと思う」
「え、どうして?」
「来年度から特待生の資格が取り消されることになった。それで学費を払わなきゃいけなくなって……うちにはそんなお金ないでしょ。だから、辞める」
お母さんと目も合わせず、投げやりに話した。雰囲気で大体わかる。お母さんが呆然と私を見上げていることを。
「お母さま。一介の教師であるわたしが、生徒のご家庭の事情に口を挟む権利はないと承知のうえで申し上げたいのですが……娘さんの口から、ご自身の力ではどうしようもできないことが理由で退学の意志を表明しなければならないのは、あまりに酷なことだと思います」
助け舟と言うべきか、先生から意見が述べられる。
普段は親近感のある気さくな人だけど、今回は先生らしく毅然とした面持ちでお母さんと向き合っていた。
「……と言われましても……。カナちゃん、本当に辞めたいの? いい高校に入って、いい大学に進んで、出世街道突っ走るんじゃないの?」
「だから、そうしたくてもできないから辞めるっつってんでしょ」
「二色さん」
思わず語気を荒げた私を、先生は優しい口調で宥めた。
「学費についてですが、こちらからいくつか対応策を提示させていただくことは可能です。差し支えなければ、簡単にご説明だけでも……」
先ほど提案してくれた方法について、先生は掻い摘んで説明していく。
初めは不安そうに聞いていたお母さんの表情が、徐々に明るさを取り戻していった。
――嫌な予感がする。
「なーんだ。でしたら大丈夫ですね」
何を納得したのか、お母さんは手を合わせ笑顔で言い放った。
「今まで通り、カナちゃんが稼いでいけばいいもの」
期待なんてしていなかった。
学費はなんとかするから――なんて、腹を括った言葉を聞かせてくれるのは。
そもそも、金銭面で子どもに心配をかけさせまいとする親が、授業の半分以上を欠席してアルバイトに時間を費やしている娘を放任するわけがない。
お母さんは当然だと思っている。
私が学業を疎かにしてでも生活費を工面することを。
人生に一度しかない青春を犠牲にしてでも、私が家計のために働き続けることを。
「カナちゃんはすごいんですよ。学院に通いながらアルバイトをいくつも掛け持ちしてて! その上家事も完璧にこなしてくれるんです。この前なんか、私が朝帰りした時ご飯が用意されていて、そこら辺に放置してた洗濯物もいつの間にか畳んであって……」
自分の武勇伝でも語るような饒舌さで、つらつらと私の自慢話を口にする。
何も知らない人が聞けば褒められているのだと思うかもしれないが、私は何一つ嬉しくなんかない。
お母さんにとってその"すごい"は、当たり前のことだから。
成り行きを見守っていた咲間先生は何と返したら良いのかわからないようで、言葉を失ったままお母さんを凝視していた。
怒りや羞恥、様々な感情が胸の内でぐるぐると渦巻いて、一刻も早くこの場から逃げ出したかったけど、私は歯を食いしばることしかできなかった。
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