第1話 三者面談(1)

二色にしき奏向かなたさん、結論から言いますね。申し訳ないけれど、来年度からあなたは特待生資格を取り消されることになりました」


 夕日の光が差し込む放課後の教室。

 三者面談と知らされていたはずが、先生と私の二人しかいない部屋で始まる話し合い。


 親は諸事情で来られなくなってしまった。

 だけど、今後の学院生活に関する大事な面談で、顔が出せなくなるような失態を作った母のことは今さらどうでもよかった。


 時間になったのを見計らい、早々に議題について語り始めた担任の咲間さくま先生が、開口一番に無慈悲な結果を突きつけた。


「……はい」


 なんということはない、薄々予想はしていた内容だった。


 特待生になれたらラッキー、なれなけばそれまで。

 私にとっては必死に縋り付いてでも手放したくないほど特別なものでも何でもなくて、先生の神妙な面持ちを前にしても無機質な生返事しか出てこなかった。


「欠席日数は規定の五分の一を大幅に超える二分の一以上。テストの点数はほとんど赤点で、成績も体育以外オール1。おまけに……その……授業態度が悪くて素行不良との評判が、先生たちの間で広まってる」


 最後の項目だけなぜか申し訳なさそうに目を逸らしていたが、ここまで散々なことを晒されたら何のフォローにもなっていない。


 咲間先生自身も、内心では私を撫然とした心持ちで見ていたんだろうなと他人事のように思う。


 栗毛の髪を指先でいじりながら、チラチラと私を盗み見している。先生なんだからもっと堂々としていいのに。


 しかし無理もない。先生が告げたことは事実だし、態度が悪かったことは私にも多少自覚がある。


 学院に対して不満なことがあったからとか、反抗期だからとか、幼稚な理由でそんな態度をとっていたわけでは断じてなくて、ただ……仕方がなかったというか……。


「この学院って学業に関してはものすごく厳しいでしょ? 普通であればこれほどの成績不良だと一発で退学処分なんだけど、二色さんは首席で入学したから、理事長からのご厚意で退学だけは免れることになったの」

「それで、この学院に残ってもいいけど、もう特待生としては扱えないってことですね」

「そういうこと」

「妥当、というか、身に余る処遇だと思います」


 強制的に学院から追い出されるわけではないのはありがたいことなのだろうけど、問題はそこじゃない。


 退学はしないということは、学院の生徒として在籍したままになる。

 その上、特待生資格剥奪ということは、今まで免除されていた諸々の費用を今後は全て負担しなければならない。

 つまり、"私の時間"がさらに削られる――。


「あのね、この聖煌せいおう学院を首席で入学するって本当にとんでもないことなの。そこの教師であるわたしが言うことじゃないかもしれないけど」

「はぁ、そうなんですか」

「もうっ。少しでもいいからその偉大さを自覚してほしかったな」


 私立聖煌学院は、私が通っている女子高等学校だ。


 勉学、スポーツ、芸能など、あらゆる分野で秀でた実績を持つ超名門校。

 それゆえに全国から選りすぐりの猛者が集まり、将来を約束された逸材や既に各業界で活躍している現役もいる。


 入試の難易度は高校の中でも屈指で、学院対策特化の塾に通っていたとしても合格できる確率は3割以下らしい。


 ただそれは一般入試の話で、スポーツや芸能などの技能を見る特別選抜入試についてはこの限りではない。

 それでも、出願数に対して募集定員が著しく少ないため、狭き門であることに変わりはないけれど。


 誰もが憧れ羨む由緒正しい名門女子校は、金持ちの令嬢が通うお嬢様学校としても有名だ。

 目玉が飛び出るほどの大金を積めば試験がパスされる、なんていう裏口入学の噂もあるけど、真意は定かではない。


 とりあえず、この学院について一つ言えることは、学費がおそろしく高額だということ。

 一般家庭の収入ではとてもではないが払えない巨万で、凡人はこの時点で門前払いを食らう。


 だからといって全く希望がないわけではなく、学力があっても経済的な理由で入学が見込めない受験生にとって聖煌学院への道を切り開ける唯一の手段が、特待生制度である。


 特待生の選考基準は様々だけど、私は学院の入学試験で一位をとったから、その資格が与えられたというわけ。


「正直誇らしかったんだよね。首席合格の子がわたしの受け持つクラスの生徒になるなんて! でも蓋を開けてみれば、授業中に居眠りするし、一日中不機嫌そうな顔してるし、目つきは鋭いし、髪染めてるし」

「悪口ですか?」

「ああ、ごめんっ! そんなつもりじゃ……って、それだよ」


 慌てて否定するも、私の顔を見た咲間先生は怯んだように萎縮した。


 睨んだつもりはないけど、他人から見ると殺気のこもった目つきに見えるらしい。

 そのせいで、中学時代はよく男子やガラの悪い先輩に目をつけられていたっけ。今となっては瑣末な思い出だ。


 髪も確かに染めてはいるけれど、色素が抜けたような明るい色合いではなく、茶髪よりのブロンドで個人的には気に入っている。


「別に怒ってるわけじゃないですけど……。先生もいい加減慣れてくれませんか。私、元々こういう人相なんです」

「慣れない! 眉間にシワ寄せてたらみんな怖がっちゃうよ? もっと笑って」

「そんな簡単に笑えません。好きでしけた顔してるんじゃないです。わざとでもないけど」

「うー……。ほんと、最初はこんな子だなんて思ってもみなかったのに。この一年間で何かあった? きっと非行に走るほど嫌なことがあったんだよね。先生が相談に乗りますよ?」


 なんだか、話がややこしい方向へ進もうとしている気がする。

 特待生の資格がなくなったのなら、別にそれでもいい。どうして特待生から外されたのか、その原因を探して反省するつもりもない。


 初めから、私はこの学院にいるべき人間じゃなかったのかも。


「……咲間先生」

「なぁに? 二色さん」

「私、学校辞めます」

「うんうん、そうだよね。学校辞めようと思うこともあるよね……って、ええっ!?」


 椅子から転げ落ちそうな勢いで、先生は驚愕をあらわにした。

 それほど大袈裟に反応するほどのことでもないのに。


「学校、辞めますって言ったの?」

「はい。逆にそれ以外でどう聞こえます?」

「あの、あのっ、自主退学勧告を出しているわけじゃないんだよ? 退学はしなくていいの。確かに、特待生を継続する条件は満たせなかったけど、少なくとも理事長は二色さんの可能性を信じてこれからの活躍に期待しているわけだし、わたしもあれこれ言っちゃったけど二色さんには卒業まで生徒でいてほしいし……」

「引き留めるふりはしなくてもいいですよ」

「ふりじゃないです! 二色さん、わたしは本気で言ってるんですよ!」

「私だって本気です」


 先ほどまで私の視線に物怖じしていた先生が、今度は身を乗り出してずいっと顔を近付ける。

 ほのかに香る香水の匂いが鼻腔をくすぐり、思わず小さく仰反った。


「やっぱり学院のことで何か悩んでた? 誰かに悪口でも言われた?」

「そうですね。悪口なら今さっき先生から言われました」

「それはごめんなさい!」

「冗談ですよ」


 面白いほど狼狽する先生が少し可愛くてからかってしまった。


 咲間先生は私たちより一回りほど歳が離れているけど、童顔で低身長だから生徒に見られることもしばしば。ひどい時は小学生に間違われたこともあるとか。


「辞めるなんて嘘だよね? 気の迷いだよね? ……もし嫌じゃなければ、理由を聞かせてくれる?」

「理由、ですか」


 授業が退屈になったとか、気に食わない人がいるとか、いじめに遭っているとか、そういう個人的な事情ではなくて。


 聖煌学院に入学したのが間違いだったとか以前に、私に平穏な高校生活が訪れることはないのだと最初から決まっていたのだ。

 なぜなら――


「学費が払えないからです」

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