第227話:閑話 さやかさんのヤキモチ

 気付けば高鳥家の4階は完全に俺とさやかさんの部屋となっていた。改装して、間仕切りなどを変えたので俺たちが住みやすい間取りに変わっている。


 特に大きな部屋はベッドルームだろうか。室内にはキングサイズのベッドが1個だけ置かれている。もちろん、俺とさやかさん用だ。


 ここは、子どもの頃の「ままごと」が、少女の夢が、具現化したような空間。世の中の厳しさを一旦忘れてしまう様な甘い甘い空間だった。


 俺はソファに座るみたいに気軽な感じでベッドに横たわっている。


 枕は大きめの物が4つ置かれている。日によって高さを変えたり、角度を変えたり、快適に寝られるようになっているのだ。


 ベッドに横たわり、その4個の枕を使って上半身を少しだけ起こしているような状態で横になっている俺。


 さやかさんはそんな俺のすぐ横に寝転んでいた。


「狭間さん、最近益々人に好かれ過ぎじゃないですか⁉」


 俺の婚約者様は漠然とした「人」全体に嫉妬を始めてしまった。俺はもうどうしたらいいんだ。


 俺の両腕は自分の後頭部辺りで組んでいて、なんとなく天井を眺めていた。さやかさんの手は何となく俺の首のあたりに巻き付いていたが、両掌が俺の頸動脈の辺りに届いたらピタリと止まった。


「もう少し婚約者をかまっても良いんじゃないですか?」


「締まってる! きっちり締まってるから!」


 彼女の急所を捉える能力はピカイチだった。


「かまっへもいいひゃらいれふか?」


 さやかさんが俺の肩を噛んでる。これは「かまってる」じゃなくて「噛んでる」だから!


「ついに東ヶ崎さんまで……。ぶー」


 さやかさんは片頬を膨らせておむずかりだ。


「むぎゅーーーーっ」


 今度はさやかさんが俺の腹回りに腕を回して抱き付いてきた。


「どうしたんですか? さやかさん」


「私、わがままなんです」


 さやかさんが俺の心臓の音を聞くみたいに胸に耳を当てて、見えない壁の向こうでも見つめるみたいな視線で言った。


「さやかさんみたいな子がわがままだったら、世界中のほとんどの人がわがままになってしまいますよ」


「私は狭間さんが好きです」


 彼女が顔を上げて俺の瞳の奥の、俺の心に直接話しかけるみたいに言った。


「俺もさやかさんが好きですよ」


 少し微笑みながら俺も同意した。


「私、初恋は小学校1年の時の担任の先生だと思っていました」


「?」


「私の中の、この落ちつかなくて暴れる気持ちが『恋』だとしたら、小学校1年生の時のあの気持ちは、単なる気の迷いで私の初恋は狭間さんだったことになります」


「そりゃ、光栄ですね。その小学校の担任の先生に軽く嫉妬心を抱いていたところなので、ぜひ上書きしていただきたい」


「ふふ……」


 今度は、さやかさんが自分の胸に両掌を重ねて祈るみたいなポーズで言った。


「この、なんでも許してしまいたくなるやさしい気持ちが『愛』だとしたら、初愛はつあいは狭間さんってことになります」


「初愛かぁ……」


「なんで『恋』は『初』があって、『愛』には『初』がないんでしょうね?」


 なんだか哲学的なことを俺に訊きつつ、さやかさんの指は俺のほっぺをつねっていた。


「考えてみたいんですけど、ほっぺが痛くて何も思いつきません」


「『愛』って1人を愛したら、2人、3人って増えて行くのが当たり前なんじゃないですか?」


「それは、愛人が増えて行くっていう……(ぽく)あいたっ」


 さやかさんのやわらかい拳が俺のみぞおちを捉えていた。


「奥さんへの愛が、子どもが生まれたら子供への愛になって、もう一人子どもができたらまた愛が増えて……」


「ああ……なるほど。恋は増えると邪な印象になりますけど、そう考えたら愛は増えると豊かな気がしますね」


「そして、今日、狭間さんは新しい『愛』を手に入れるんですね」


 この場合の「愛」は東ヶ崎さんのことではないだろうか。東ヶ崎愛……。いや、本名は高鳥愛かもしれない。


 チルドレンたちはみんな高鳥家の養子となる。つまり、みんな「高鳥」になってしまうのだ。それでは色々と都合が悪い。だから、それぞれに名前が与えられる。東ヶ崎さんの場合は「東ヶ崎」。たしか、拾われた地名にちなんでいると聞いたことがあったか。


 彼女たちは高鳥家から与えられた名前に愛着を持ち、誇りを持ち、名乗って行く。大切にしていく。だから、東ヶ崎さんであっても下の名前は容易に教えてもらえなかった。


 ただ、俺と東ヶ崎さんはさやかさんを通して一定の信頼関係を築いていたので教えてもらったのだ。「愛」それが彼女の名前。高鳥家とは関係なく、彼女自身が持っている名前。彼女の裸の心、それが「愛」という名前なのだ。


「私、東ヶ崎さんも大好きです」


「俺も好きですよ(ぽく)あいた!」


 再びみぞおちが狙われた。痛くないけど、急所なのでつい声が出てしまう。


「東ヶ崎さんの部屋に行く前に、私を十分かわいがってから行ってください」


「?」


「それはもう、くったくたのぼっろぼろになってから行ってください!」


「なんか急に俗っぽい話になってませんか⁉」


「私は狭間さんが好きだし、東ヶ崎さんも好き。二人とも大好きです。狭間さんと東ヶ崎さんが仲が良いと嬉しいのに、でも同時に腹が立つんです」


「それはそれは嫉妬をありがとうございます。愛されてるって感じます」


「(ぽく)あいた」


また非力なさやかさんにみぞおちを殴られた。


「もう! 私は割と本気で悩んでるんですから!」


「なにをそんなに悩む必要があるんですか?」


「もし、東ヶ崎さんと狭間さんの子どもがいたら……多分、私は世界中を敵に回したとしてもその子を愛すと思います」


「愛しちゃうんですね」


「だって、そうじゃないですか! 絶対かわいいし! 好きな二人の子どもですよ⁉    絶対好きになるに決まってます!」


「それが悩みですか?」


「もし、私と狭間さんの間に子供ができなかったら……」


 少し不安そうな、泣きそうな表情をして、それを俺に悟られない様に顔を隠すさやかさん。


 俺はそのさやかさんを捕まえて頬にそっと掌を添える。


「じゃあ、俺たちのほうが早めに子供ができる様に頑張らないといけませんね」


 そう言って彼女の唇にそっと触れるだけのキスをした。


「東ヶ崎さんばっかりかわいがらないで、私のこともちゃんと覚えててくれますか?」


 どうしてこう、俺の婚約者様は自信がないのか。


「もちろんです。約束します」


「東ヶ崎さんのほうが胸が大きいですよ?」


「……」


「ほらぁ!」


「いやいやいや! そういう対象に考えたことがなかったので、ちょっと想像してしまっただけですって!」


「狭間さんは悪い男ですね」


 そう言って、ゆっくりと首筋に噛みつく。彼女は吸血鬼が首筋から血を吸うときのようにゆっくりと首に噛みついた。


「それだと首筋に歯形が付いちゃうんですけど……」


「マーキングです」


「かわいくキスマークとかにしませんか? 仕事中に首筋に歯形があるとみんながどんな想像をするのか……」


「きっと、周囲の女の子は引きますね」


「勝利」とばかりに、ぐっと握りこぶしを作って見せるさやかさん。


「ダメじゃないですか!」


「ダメじゃないです」


「みんな想像しますよ? 誰が付けたんだろうって」


「うっ、ダメじゃないですか」


「じゃあ、そのまま跡を付けない方向で……」


「ぶーーー。マーキングしたかったです」


 かわいい婚約者様はまた片頬を膨らせている。最近、こんな表情ばかりさせている気がする。本格的に考え直さないと痛い目を見そうだ。


「意外と独占欲が強かったんですね」


「ほ、ホントだ……」


 赤くなるさやかさん。別に悪い事じゃないのに。


「まあ……俺は、マーキングしてるけど」


 さやかさんの手を取って、指輪に軽くキスをした。


「ホントだ……。ズルいです、狭間さん」


「婚約指輪の場合、男性用はあんまり聞かないですね」


「じゃあ、結婚指輪をしましょう!」


「それってある意味プロポーズ?」


「もう! 狭間さんが意地悪です。あと、指輪は東ヶ崎さんにも買ってあげてください」


「さやかさんは排他的なんですか、それとも包括的なんですか」


「東ヶ崎さんは特別です」


「今は、今だけは……さやかさんだけいればいいです」


 俺は優しくキスをした。


「うー、絶対私ちょろいですよね?」


「素直な子は好きだなぁ~」


 今度はゆっくりと抱きしめる。さやかさんは何の抵抗もなく俺の腕にすっぽり収まった。


「じゃあ、仲良くしましょうか」


 俺の表情にさやかさんが表情を曇らせて言った。


「うーーー、私ちょろいんだぁ~」


 俺達の甘々タイムはまだまだ続く。どうせこの階には誰も来ないのだから。誰にも聞かせられないような恥ずかしいセリフを言ったとしても、俺とさやかさんだけしか聞いていないのだ。


 あえて言うなら、窓の外にぽっかり浮かんでいる月くらいのものなのだ。この後、東ヶ崎さんの部屋に行く約束はあるのだけど、それまでにたっぷりの時間がある。俺とさやかさんはそれぞれ優しさを持ち寄ってベッドの上で見せ合う時間を過ごした。

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