第222話:東ヶ崎さんの力とは

「次……」


 今日は、高鳥家の2階のリビングで経営対決のジャッジメントの日だ。


 信一郎さんの粗利が1億円、俺たちの粗利が7,000万円。俺たちはまだ発送していない売り上げまで全投入して利益で負けていた。


 終わったと思った次の瞬間声を出したのは、他でもない東ヶ崎さんだった。


「と、東ヶ崎?」


 信一郎さんがたじろいだ。


 いつも自信満々の信一郎さんにしては珍しい反応だった。


「経費の精算をさせていただきます」


 東ヶ崎さんが静かに頭を下げて言った。


「信一郎様は、本家と商品との違いを消費者に伝えるためにテレビCMを使用されました。その経費が……」


「なに!? 経費だと⁉ い、いくらだ⁉」


「2,500万円です」


「2,500万円⁉ 1億から2,500万円マイナスだと⁉ 7,500万円……。ギリギリ勝ったと言うのか⁉ 脅かしやがる」


「それと……」


「それと⁉」


「包装を本家と多少変更するように指示されました。その変更費用が……」


「変更費用だと⁉」


「500万円となります」


「500万⁉ ちょ、ちょっと待て。それだと利益が7000万円ってことになるのか⁉」


「申し訳ありません、費用がかかってしまいました」


 東ヶ崎さんが頭を下げて謝罪した。


 ちょっと待て。信一郎さんは売り上げは予定通り、利益率も予告通り、だけど広告費分と包装変更分の費用が差し引かれた分が利益ってこと⁉


 そして、その額が7,000万円⁉ 俺たちと同じ7,000万円⁉


「ちょ、ちょっと待て! ぼ、僕が、この僕が凡人である狭間と同じ結果⁉」


 信一郎さんが立ちあがって明らかに動揺していた。こんな重要な事を東ヶ崎さんが報告しないなんてミスが起こるだろうか⁉ いや、彼女はいつも完璧だ。


 小さなことならまだしも、こんな大きな失敗をする訳がない。


 東ヶ崎さんは俺たちに加勢するためにこの事を最後まで信一郎さんに悟られないようにしていたと言うのか⁉


「信一郎様、そんな訳がありません。これまでは概算で計算してまいりました。端数まで計算して勝敗を決めるのがよろしいかと」


 西ノ宮さんが信一郎さんをなだめるように言った。


 ***


「再計算できました」


 西ノ宮さんが言った。


 端数まで計算と言い始めてからここまでに約10分。3か月分の収支を計算したというのにたった10分……チルドレンってどこまでも優秀だ。


「信一郎様、売上10億円ちょうど、粗利1億円、経費3,000万円。利益7,000万円ちょうどでございます」


 西ノ宮さんが瞳を閉じて発表した。


 予告した10億円をぴったり売り上げるとか、気持ち悪いくらいの正確さと有能さ。そりゃあ、東ヶ崎さんみたいなのが10人も20人もいるんだ。どんなことをしたのか聞くのが怖いけど、言ったことは確実に実行し、成し遂げていると言える。


「次に、狭間様。売上2億円。粗利7,000万円飛んで200円でございます。今回の生産のために使った経費はございません」


 東ヶ崎さんが静かに発表した。


 材料費は原価に計算されている。光熱費なんかも商品代金に含まれる計算だ。この場合の「経費」とは、商品を生産するためにかかった設備などの費用ということだろう。


 俺たちは、「朝市」の設備を使って生産しているので特に追加費用はない。信一郎さんの会社買収費用は、その後ブランドを明け渡すことで相殺する約束なのかもしれない。


「ん?」


 改めて俺は状況が理解できて来た。


 さやかさんのほうを見ると、座ったまま胸のところで手を合わせて表情はほころんでいる。


 つまり、俺の考えは間違ってないってことだよな。


「俺たちの……」


「勝ちですね」


 俺のつぶやきにさやかさんが答えた。


「きゃーっ! やりました! お兄ちゃんに勝ちました! 勝っちゃいました!」


 さやかさんが飛びついて来て抱き付いた。


「お兄ちゃん!」


 エルフが肩をぶつけてくる。独特な褒め方だな、おい。


「勝った! 俺たちの勝利だ!」


 俺は両腕でガッツポーズをした。


「「おめでとうございます」」


 東ヶ崎さんと西ノ宮さんが静かに目を伏せて祝福してくれた。


「そ、そんなバカな! 僕が……僕が負けるはずが……」


 信一郎さんはまだ信じられないみたいで、床にしりもちをついたような姿勢になっている。


「ち、ちくしょー! 負けたーーーーっ!」


 信一郎さんは子供のように室内をごろごろと転がり始めた。熱い人だな。青春野郎か⁉


 床に転げる信一郎さんのすぐ隣に東ヶ崎さんが移動して正座で座った。


「信一郎様……」


「と、東ヶ崎……」


 信一郎さんの動きがピタリと止まった。


「今回の敗北は2つ原因があると思います。1つは、私が十分情報をお出しできなかったことです」


 彼女は三つ指ついて頭を下げ、土下座の姿勢で床に寝転がっている信一郎さんに告げた。


「ちょ、ま、待て……。東ヶ崎」


「もう一つは『朝市』において、信一郎様に肉まんを購入するよう進言したことです。お二人の利益差は200円。あの時、購入されなければ引き分け。負けはありませんでした。私は責任を取って、お暇をいただきたいと思います」


 そう言った後、東ヶ崎さんは再び寝転がっている信一郎さんに頭を下げた。


「ま、待て! それはお前のせいじゃ……」


 東ヶ崎さんがすっくと立ちあがるとさやかさんが座っているすぐ横に来て、再び正座で座った。


「お嬢様、私失業してしまいました。行き先が無いのですが……」


「もちろん、雇います」


 さやかさんが涼しい笑顔で即答した。


「またよろしくお願いいたします」


 東ヶ崎さんがさやかさんに頭を下げた。


 完全に茶番だった。きっと彼女は最初からこれを狙っていたんだ。まさか、10億円とか言っている勝負において200円差の結果になるなんて。どれだけ精度の高い仕事をしているんだ。


「私の面倒を見るということは、狭間さんの面倒を見るということでもありますから、仕事は大変ですよ?」


「心得ております」


 さやかさんがちらりとこちらを見て笑顔を浮かべた。


 東ヶ崎さんの「労働条件」に俺の面倒を見るという内容が入っているのだから、今後この家において東ヶ崎さんが俺の頼みごとを聞いて動いても何の問題もなくなった。


「と、東ヶ崎……、ぼ、僕は……今回の件でお前に……」


 信一郎さんが上半身を起こして東ヶ崎さんのほうを向いて話し始めた。


「ぼ、僕は……お前を……」


「いつも心にとめてくださり、無上の喜びでございます。今後ともよろしくお願いいたします」


 東ヶ崎さんが信一郎さんのほうに向きなおって、頭を下げて言った。


 これは俺にも分かる。信一郎さん振られたな。しかも、告白すら満足に言わせてもらえなかった感じか。


「そんなに、さやかがいいならさやかの面倒を見てもいい。だから……」


 信一郎さんはまだ諦めていないようだ。


「わたくしには使える主人がふたりもいらっしゃいます。大変恐縮でございますが、信一郎様のお世話は力不足を感じています。私よりも能力の高い先輩にお任せしたいと存じます」


 東ヶ崎さん容赦ない。今度は取りつく島もなく信一郎さんを突っぱねた。


 ん? 東ヶ崎さんの先輩と言えば……。


「不肖、私が引き続き信一郎様のお側係を務めさせていただきます」


 信一郎さんのすぐ横で西ノ宮さんが正座をして、頭を下げ言った。


「西ノ宮……」


「大変不躾ながら、幼少のころからお慕い申し上げていました。わたくしの全てで誠心誠意尽くさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」


「そんな……。昔からずっと一緒で……、気にならないほうがおかしいだろ。西ノ宮、僕はお前のことは当然……」


 なんか、ラブコメのエンディングを迎えそうな雰囲気を感じ、俺は立ち上がった。


「さやかさん、今日の夕飯の材料が足りないって言ってましたよね。買いに行きますか! 東ヶ崎さん、車を出してもらえますか?」


「狭間さん? ……あ、そうでした! ビキーニョとエルバステラが足りないんでした!」


 さやかさんが静かに手をパンと合わせるようにして言った。いや、それはどんな料理に使う食材なんですか⁉ 俺も聞いたことないんですけど!


「すぐに車を玄関に回します。お二人はご準備を」


 東ヶ崎さんがフットワークよく玄関に出て行った。


 俺たちは、ラブコメ臭立ち込める部屋を後にして、なんだか聞いたことがない食材を買うために三人で家を後にするのだった。

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