第210話:山口さんのスパイスカレーまんとは

 俺が山口さんから「スパイスカレーまん用のカレーができた」と連絡をもらったのは、山口さんがキッチンスタジオの床に崩れ落ちていたあの時からちょうと1週間経過した時だった。


 ホテルでの仕事もあるに違いないのに、毎日のように「朝市」のキッチンスタジオに来てカレー作りに励んでいるようだった。


 俺とさやかさん、そして光ちゃんとライさんがキッチンスタジオの扉の前にいる。いつものスタジオのドアなのに、何となく重々しい雰囲気が醸し出されている。


 扉を開けようとしていた時、光ちゃんに話しかけられた。


「せんむー、金髪だいじょうぶっスかねー? ウチが邪魔したから……」


 彼女の今日の服装は、白いシャツにスリムジーンズ。いつもの猫耳メイドではないので、語尾に「にゃん」が付かない。少し残念に思っているのは俺だけだろうか。


「そんな言ってすぐできると思ってなかったですから」


「ホントっスかー? お詫びにウチのこと抱いてもいいっすよー?」


「それはおかしい!」


 さやかさんが冷たい目で俺を見ている。いや、俺は悪くないです。


「金髪ぅー、おいしいの作れたんスかねー?」


 どこか不安そうな光ちゃん。山口さんのことが心配なのだろう。


「そこは、男の世界だから……」


「でも、狭間さん既においしそうな匂いがしています」


 室内から漏れてくるおいしそうなカレーのにおいにさやかさんが反応した。


 俺たちは、キッチンスタジオの扉を静かに開けた。


 ***


「かっらっ!」


 山口さんは「スパイスカレーまん用のカレーができた」と言った。その目は真剣で、たしかにおとこの顔をしていた。


 それならばと、山口さんを含め5人で試食をすることになった。


 小さめのボウルのような器に盛られたカレーと、中身のない肉まんの皮。調べてみると、中身がない肉まんの皮のことは「饅頭マントウ」と呼ぶのだとか。


 字は「饅頭」そのものなのだから、俺は商材として肉まんを選んだのは間違いじゃなかったと思っていた。


「あれ? ……でもおいしい?」


 食べた瞬間のわっと来る辛さは一瞬で、すーっと引いていき、次に来るのはスパイスの香りを含めたうまさだった。


「たしかに、辛いですけど、暴れるみたいな辛さは一瞬でした。そのあとのスパイスの香りは、次を食べたいと思わせますね!」


 さすがさやかさん、うまいこと言う。


धेरैデレィमीठो छミト ツァ(すごくおいしい)」


 ライさんの言葉は分からないけれど、顔を見たら「おいしい」って言っているのはすぐに分かった。


 俺は光ちゃんのほうを見た。


「~~~~~!」


 彼女は目がマンガみたいにバッテンになっていた。やはり、辛かったのだろう。でも、ほんの少ししたら……。


「はーっ!」


 口を開けた状態で両掌をうちわ代わりに口の中に風を送っている。光ちゃん、本当に辛いのがダメらしい。


「あー、でも、後味がうまいっスねー」


 辛い辛いと言いつつも2口目、3口目と食べ進めていた。


「山口さん、説明お願いできますか?」


 俺は山口さんに訊いた。


「はい! 今の世の中、出る杭は打たれます。みんな叩かれたり、炎上するのを恐れて当たり障りのないものを出してしまいます。僕のカレーがまさにそうでした」


 つい1週間前の辛くも甘くもない、苦くも酸っぱくもないカレーのことを言っているのだろう。


「スパイスの良さは、辛さであり、香りであり、臭み消しなんです。だから、僕は殺すんじゃなくて、最高に引き出す様にしました。辛くても光さんが食べたくなるくらいのおいしいカレー……」


「金髪ぅー……」


 いや、あくまで光ちゃん基準かーいっ! 俺は心の中でツッコんだ。


「どうですか⁉ 光さん! 光さんに嫌われない様に自分を殺してしまったら、この前のカレーの様になってしまいました。だから、僕は考え直してスパイスらしさ、自分らしさを前面に出しました!」


「ん」


 光ちゃんは「YES」のような「NO」のようなあいまいな返事をした。


「今さっきおいしいって言ってくれましたよね⁉ 僕は僕らしく行きます! そんな僕と付き合ってください!」


「ん-……、今回の勝負が終わって、せんむーの愛人になれなかったら……っスね」


 光ちゃんは、山口さんから顔を逸らす様にふいっと他所を向いて言った。


「そんなぁ……、光さん、やっぱり狭間さんなんですかぁ~⁉」


 へなへなと萎むようにへたり込む山口さん。ただ、彼のほうからは見えなかったのだろう。光ちゃんが顔を赤くしている様が。あれはきっとスパイスカレーが辛かったからじゃないはずだ。


「舎弟の一人くらいいてもいいかと思っていたっスー」


「僕は舎弟どまりですかぁ……。


 そもそも引きこもって料理をしている時に、猫耳メイドで行ったのは光ちゃんとしても山口さんの応援のつもりだったのではないだろうか。


 ただ、それを見て山口さんが舞い上がってしまったのだろう。その辺は若さゆえだとも思う。少しずつだけど、この二人も前に進んでいるのだと感じた。


 結果的に、スパイスカレーまんは予定よりも早く完成形に辿り着いたのだった。

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