第162話:「朝市」のキッチンスタジオ
元々「朝市」のキッチンは、「屋台」として料理を出したい人が試作品を持ち込んだ時に仕上げをするための場所だった。
それが、「朝市」の人気について取材に来た取材スタッフの人の何気ない一言を領家くんが聞き逃さなかったのだ。
「これだけしっかりしたキッチンがあると撮影に使えますね。撮影できるキッチンって意外とないから使えたら助かりますね」
この言葉を聞き逃さなかったのは領家くんの手柄と言っていいだろう。現場にいて、責任者として撮影に来た人達の対応をしてくれていたから出てきた話だ。
しかも、キッチンは機能よりも、見た目重視で作っていた。さやかさんの「カン」だ。
神がかり的ともいえる「カン」で見栄えの良いキッチンを作っていた。基本家庭用なので、業務用で揃えるよりも安かった。ここで店を開くわけではないから、業務用の冷蔵庫は必要ない。
ちなみに、業務用の冷蔵庫と家庭用の冷蔵庫の差は「能力」にある。
ドアを3秒あけると、冷蔵庫内は常温と同じ温度になる。概ね20度と考えることにしよう。
これが、冷えている状態だと、冷蔵室で3度~5度、野菜室で5~10度、肉を保存する部屋は0度~3度と約10度から20度の庫内温度を下げる必要がある。
業務用と家庭用では、コンプレッサーの容量が違う。軽自動車と高級セダンではエンジンの排気量が違うのと似ている。
家庭ならば、室温は20度くらいだが、お店の厨房は40度から50度になることもある。50度になった庫内を0度に持って行くには家庭用の冷蔵庫のコンプレッサーでは能力が足りない。
温度が下がらないことはないけれど、下がるのに時間がかかるのだ。その間にドアの開閉はあると思われ、家庭用では設定した温度まで温度が下がらない。
それによって食中毒でも起きようものなら店としては被害が甚大だ。
高級セダンはダッシュボードに高級素材が使われてたり、塗装が2層ではなく3層塗りになっていたり、高いには高い理由がある。
業務用冷蔵庫も同様に、表面にステンレスが使われている。シルバーで高級感があるし、ヘアライン加工という一定方向に傷がわざと入れられている加工がされているので、傷も目立ちにくい。
家庭用の冷蔵庫が10~20万円なのに対して、業務量の冷蔵庫は60万円から100万円くらいする。
「朝市」の場合、試食用の仕上げに使う程度なので、室温もそれほど高くならないし、家庭用で十分だった。
それよりも、テレビ映りを考えたら武骨なデザインよりも家庭用の柔らかいデザインの方がよかったのかもしれないのだ。
今日は、そのキッチンをスタジオとして使う最初の日。今日は地元のテレビの人が来ている。
割とイケメンの腕自慢ローカルタレントが地元の食材を使って料理の腕を披露する番組らしい。
その他、有名らしいYouTuber数人からも問い合わせが来ているので、テレビの撮影で使えたとしたら、それまで存在すらしなかったニーズを掘り起こしたことになる。
俺は何もしていないのに、周囲の人が優秀だとどんどん仕事ができて、目の前でうまくいく。凄い事だ。
***
「じゃあ、撮影始めます!」
俺とさやかさんは、とりあえず見学。何か問題が起きたら対応することもあるけど、問題点を自ら見つけて、撮影の仕事が入りやすくするのだ。
領家くんも特に『朝市』にトラブルがない限り一緒に見学だ。その他、さやかさんが呼んだので、熊本から松田さんも来ている。
彼女はローカル番組に出て料理をしたいという希望を持っている様だったから、目の前の光景は憧れのものかもしれない。
テレビの撮影ということで話をしたら、芸能事務所の鴻上社長も来た。みんな見学だけど。
「
「よろしくお願いします!」
どうも、あの諸上さんという人がイケメン料理腕自慢らしい。背が高くて笑顔が嫌味なほど爽やかだ。そして、何故か歯が白い。絵の具の白の白さ。
撮影は、タレント一人、カメラマン一人、スタッフ一人と意外とこじんまりとした撮影みたいだ。地方のローカル番組なんて予算の関係でこんな感じなのかもしれない。
スタッフの人はディレクターらしいけど、凄腕という訳ではなく、中くらいの感じ? ADと呼ばれる雑用全般をするような人もいないので、ディレクター兼ADなのかもしれない。
そう言えば、ADって「アシスタントディレクター」の略だったか。
諸上氏が料理をしていく。
食材はディレクターさんが事前に渡しているのだけど、途中までできたものと交換する場面などでもたついているようだ。
あとは、ニンジンのみじん切りのところは、意外と間を繋げないみたい。作業自体に時間がかかると撮影も長くなっていってしまう。
編集できる部屋と機材も準備した方がいいのだろうか……
オーブンで焼きに入ったところで1時間休憩が入った。40分間オーブンで焼くことになるからだ。
「ADさんを1人か2人増やせないかな?」
諸上氏の希望みたいだ。40分間もオーブンの前で見ているだけというのはテレビ的に撮れ高が低い。何よりカメラにお尻を向けることになる。
「1人ならなんとかできると思うんですけど、人材不足で2人はちょっと……」
「輪切りとかは僕がやりたいけど、みじん切りとか時間がかかるじゃない? 代わりにやって欲しいんだけど……フードプロセッサだと形が一様じゃないから、あんまり好きじゃないんだよねぇ」
ローカルタレントもタレントはタレント。自分の希望を言うくらいには強いらしい。
「店長さん、どなたか手が空いてないですか? 料理を渡したりするだけでもいいんですけど、みじん切りとかちょっと料理ができると、尚いいんですけど……」
「「「あ!」」」
「え?」
俺とさやかさんと領家くんの声がハモった。
それに遅れて、俺たちの視線に気がついて松田さんがきょとんとしていた。
「います! 一人! 料理ができて、テレビ映えするような子!」
「ホントですか!? 助かります!」
ディレクターさんが眉を八の字にしていた。困っていたらしい。
「彼女です」
俺と さやかさんが松田さんの背中を押す。比ゆ的な意味もあるけれど、物理的な意味でも。
「え? え? 何ですか!? 私!?」
のんびり見学モードだった松田さんは、ちょっと慌てていた。
「じゃあ、ちょっとみじん切りの続きお願いできますか?」
ディレクターさんが試験とばかりに人参を渡した。
勢いに負けてニンジンを受け取る松田さん。手を洗って、ニンジンを洗って、まな板にニンジンを置き、ニンジンを5センチ位ごとに切った。
カットした面を下に置き、スライスしていく。平たい面が下にあるから安定して切りやすいのだ。
普段料理をしていないとこうはいかない。
スライスされたニンジンはみるみる千切りになり、90度傾けると更に包丁が進みみじん切りになっていった。
ニンジンは加熱前は固いので、みじん切りが難しいのだ。
「ひゃー、きれいにみじん切りにするもんだねー!」
諸上氏のお眼鏡にはかなったらしい。
「じゃあ、臨時でお手伝いしていただいてもいいですか?」
「……は、はい! よろしくお願いします!」
急遽、松田さんが撮影に加わることになった。芸能事務所の鴻上氏の目が光ったのを俺は見逃さなかった。
みじん切りしたり、煮込み中に混ぜたり、加熱中にオーブンの中を見ていたりと表に出る訳ではないけれど、確実にカメラの画角には入っている。
スタッフとして名前が出ないかもしれないけれど、単なる見学よりは確実に「テレビに出る人」に近付いているようだ。
撮影は2本取りらしく、1日の撮影で2回放送分を撮影するらしい。
2本目は円滑に撮影が進んだらしく、諸上氏もディレクターさんも喜んでいた。松田さんは、撮影が終わってから初めて「わわわわわわわわ」と指が震えていた。
初めてテレビに出たらしい。
「ここのスタッフさんですか? また次回お願いできますか?」
ディレクターさんからのオファーだ。意外とあっさりオファーが来るらしい。
「すいません、彼女はここのスタッフじゃなくて熊本から……」
「はい! 大丈夫です! よろしくお願いします!」
俺は事情を説明しようと思ったら、被せるように彼女自身でOKしちゃったよ。
個人だと契約できないので、これを機に松田さんは、さやかさんの会社(株式会社スタープロモーション)と契約することになったのだった。
鴻上社長も既にいたし。
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