第115話:15年、数千万人に1人とは


「おほっ! 狭間くん! 狭間くんだ! やったー!」



 今回もご夫婦一緒のお帰りだった。俺の予想は絶対に当たらない。今度から逆張りを考えよう。



「狭間くん!」



 車を降りた清花さんが思いっきり抱きついてきた。



「ななななな!」



 訳が分からずにオロオロしていると、さやかパパも一緒になって俺に抱きついてきた。


 東ヶ崎さんも訳が分からないようでリアクションに困っていた。



「やや! 狭間くん! ホント生きていてくれてありがとう! さやかと出会ってくれてありがとう! 僕はこの気持ちを世界中に伝えたい気持ちだよ!」



 さやかパパが両腕を空に高々と掲げて元気いっぱいに喜びを表現した。そんなに喜ばれるのは嬉しいけれど、身に覚えがないと不安しかない。


 さやかママは両掌で俺の頭を固定したと思ったら、右頬、左頬とキスしていき、ついには唇までキスされた。


 何!? なにこれ!? ついこの間まで俺の力不足からあんまり仲良くなかったのに……



「ささ! とりあえず、上に行こう! 狭間くんにも話があるから!」



 さやかパパに背中を押されて俺と東ヶ崎さんはエレベーターに詰め込まれ、2階リビングに行った。



 *



 いつものローテブルのところに座り、東ヶ崎さんが さやかさんの病状を知らせた。熱が少し下がったら病院に行くことも付け加えた。


 さやかパパはニコニコしながら話を聞いていた。一方、さやかママは娘の様子を見に5階に上がって行ったみたいだ。



 例のローテーブルに東ヶ崎さんによってコーヒーが出された。今日はお酒じゃないんだな。



「いやー、悪い悪い♬ ちょっと久々に夫婦でテンションが上がっちゃってさー」



 何? どういうこと? さやかさんに弟か妹でもできたとか?



「狭間くんはさぁ、ゲノム解析をどう思う?」



 えーーーーー!? なにその質問ーーーーー!? 全く話が見えない。俺は困って横に座った東ヶ崎さんの方を見た。


 彼女も何の話か分からなったみたいで、首をかしげて見せた。その仕草が可愛いってこと以外は何もわからなかった。



「あなた、狭間くんが困ってるわ」



 清花さんが戻ってきて、さやかパパの隣に座って言った。俺に助け舟を出してくれているっぽい?



「ごめんごめん。うちの子たちは小さい時にみんな遺伝子検査するんだ」


「……遺伝子検査ってなんですか?」


「DNAって言ったら人の遺伝子じゃない? 簡単に言うと人間の設計図だよね」


「はぁ……」



 ゲノム解析……?


 そう言えば、以前ニュースでそんなのをやっていたような……おれは何の話か分からずに話が付いて行けないでいた。



「その設計図を見ると、未来の病気を予想できるようになったんだ」


「それはすごいですねぇ」



 コーヒーを一口啜ってみた。



「うちも独自に研究しててね。その的中率は年々上がっているんだよ」



 ああ、ビジネスの話か。これまでと全く違うサービスだけど、それを売るってこと? そして、俺達にも売れってことかな?


 ここで、さやかパパがコーヒーカップを握る手に力が入った。



「もう、15年前になるかな? さやかに病気のリスクが出た。予想発現率は40%」



 その一言で意味が分かった。さやかさんが病気になる?



「その病気って何なんですか?」


「白血病に似た難病だよ。正式な名前すらまだないよ。ただ、DNAの特定の位置に特徴的な形があるんだ。そして、白血病の様にドナーが必要だ。今のところそれ以外の治療法がない」


「……ドナーがいれば助かるんですか?」


「そうだね。移植ができた人の死亡例はまだないね。絶対数が少ないからどこまで正確か分からないけど、ドナーなしでは5年後生存率は40%だってさ」



 ……ドナーがいなければ6割死んでる、と。



「白血病よりドナーの適合条件が厳しいみたいでさ。白血病ですら兄弟姉妹間でも1/4、親子間では逆に皆無らしい。血縁者じゃないと数百万から数万分の1らしいね。さやかの病気の場合、楽にその10倍以上条件が厳しいみたいだね」



 つまり、ドナーがいない限り発病したら助からない可能性が高いってことか……急な話に嫌な汗が背中を流れる。



「ドナー登録みたいなのはしてないんですか?」


「さやかは発病すらしてないよ? しかも、そんな名前も決まってないような難病だよ? 登録すら受け付けてもらえないよ」



 そもそも、先に病気にかかるリスクが分かってる時点でチートなのだ。その先の手が打てるかどうかは別の話か。



「僕たちが人に投資してる話をしたんだけど、覚えてるかな?」


「はい。進学の支援をしたり、孤児を引き取って育てたり……それで優秀な人をグループの会社で雇ってるっていう……」


「そう。だけど、投資するからには見返りを期待してるんだ。僕たちは善意だけで動けるほど聖人君子ではないよ」



 それはそうだ。当然だ。



「うちの子たちには、全員健康診断を受けてもらってるんだよ」


「それって……」


「そう。ドナーになってもらうには特殊な血液検査を受けてもらう必要がある。良い検査を安く受けてもらう代わりに、その血液検査もさせてもらってるってわけさ。ちなみに、うちの関係者は無料だよ」


「えー」


「まあ、こんな時代だから、ちゃんと同意書も取ってるんだけど、まあ普通見ないよね。こーんなちっちゃい字だから」



 さやかパパは指で「C」を作って、その隙間を極限まで狭めた。



「個人情報も集めてない。さやかのドナーになれるかだけ。ま、いたら全力で見つけ出すけどね」


「この話をするってことは……それでいたんですか?」


「最初は日本国内だけで探してたんだけど、絶対的に数が足りない。だから、あの子のお兄ちゃんなんか海外で僕らと同じことをして情報を集めてる」



 それで何万人もの援助をしていたのか……



「そして、つい先日ついに現れたんだよ! 昨日分かったんだ! そして、今日の確認検査でも適合だよ! いたんだ適合者が!」


「ホントですか!? それで協力してもらえそうなんですか!? その人に」


「そう! だから今日は帰ってきたんだ」



 ドナーはこの福岡にいるってことらしい。今日はもう夕方過ぎているから明日にでもお宅訪問かな?



「狭間くん」


「はい?」


「きみだったんだよ!」


「は?」


「そのドナー。ずっと探していた さやかと型が合う人」


「え!?」



 そう言えば、つい先日入社後初めて健康診断を受けた!


 清花さんもニコニコしている。どうも冗談ではないらしい。東ヶ崎さんは、驚きのあまり両掌を口に当てている。彼女も今知ったらしい。


 俺は、顔を引き締めて、重要な質問をした。



「万が一、さやかさんが発病した場合、俺は彼女に何を提供したらいいんですか? 彼女のためなら心臓くらいまでなら喜んで差し出しますけど」


「それじゃ、きみが死んじゃうでしょ!」



 さやかパパが苦笑いしていた。



「え? そう言う話じゃないんですか? 『きみ、さやかのために死んでくれる?』みたいな?」


「違う違う! そんなことしたら僕が さやかに殺されちゃうよー。2、3日入院して骨髄をちょこちょこーーーっともらうだけだよ。その後は元気に退院できるし!」



 何か分かんないけど、それはそれで痛そうでは!?



「僕ら夫婦は病気のことが分かってから、ビジネスの手を広げて行ったのさ。それこそ さやかとの時間を犠牲にしても、ね」


「それで……。でも、それじゃ、本末転倒じゃないですか!? さやかさんは小さい時から寂しい思いをしてきたんじゃ……」


「……そうだね。それを言われると耳が痛いよ。でも、きみも親になったら分かるよ。娘の命の危機なんだ。全力を尽くすさ」



 ここで、さやかパパがコーヒーに口を付け、さやかママが代わって喋り出した。



「狭間くん、あなたが会社をクビになったときの さやかは迎えに行くって頑として譲らなかったそうよ。直感……かしらね。あの子は直感が効くから」



 そう言えば、ライさんも何の前情報なしに絶対雇いたいって言ってたし。



「私は、あなたの仕事の能力をかったのだとばかり思ってたけど……」



 いいです。それほど優秀って訳じゃないって言いたいんでしょう?



「こらこら、ハニー。きみの周りには優秀な人間しかいないから、きみの判定は厳しすぎるんだってー! そんな特別な人間はその辺にポンポンいないからね?」



 そりゃあ、「チルドレン」達に比べたら、俺なんてただのサラリーマンなんだけどさっ……



「狭間くんは、仕事の上でも十分優秀だよ、さやかとの相性もいいみたいだ」



 俺の微妙な表情を読み取ったのか、さやかパパがフォローしてくれたみたいだ。



「その上、僕らが全力で15年探してた人だ。生きているだけで、他の誰よりも僕らにとって価値がある。もちろん、あの子にとっても、ね」



 末期の異世界転移ものみたいだ。生きてるだけで喜ばれるなんて……



「ちなみに、さやかさんの病気はいつ発病するか分かってるんですか?」


「うーん、二十歳ハタチまでに40%なんだけど、その後は確率が増えるのか、減るのか……データとなる患者自体が少ないらしいんだ」


「普通に生活していいんですね?」


「そりゃぁ、まだ病気にかかってないからね。特別不健康な生活でなければ」



 ヤバい。最近ちょっと忙しかったかも。



「このこと……さやかさんは?」


「言ってないよ。言えないよー」


「でも、自分の事ですよ?」


「でも、親として、子供にそんな残酷なことを伝えなければならないのは……」


「両親が家を空けていることが多くて、寂しい思いをしていたと思うんです。親が何のために働いているのか教えてあげて欲しいです。そして、彼女がまだ大学生なのに4社も経営して……誰に何を伝えたいのか聞いてあげて欲しいです」


「……」



 さやかパパは顎を撫でながら考え込んでしまった。



「オーケー。分かった。でも、狭間くんも手伝ってよね? 僕らだけじゃ手に余りそうだ」


「じゃ、じゃあ、これからは、少し仕事を減らして家に帰る機会を増やせるってことですか?」


「そうだね。いきなりズパーーーーンとは変えられないけど、家に帰る機会を増やしたいね」


「これからでも、さやかさんとの時間を作ってください」


「分かった。未来の息子が言うんだから、そうさせてもらおうかな」



 未来の息子って俺のこと!?



「僕らはね、もうきみにターゲットロックオンしたから!」



 さやかパパが指でピストルのジェスチャーをして銃口をこちらに向け、どや顔でウインクした。



「私も、改めてお願いしたいの! あの子のことを精神的にも病気的にも救えるのは、あなたしかいないと思うの!」



 さやかママも懇願してきた。なんか変な感じ。さやかさん不在なのに、俺の婚姻の話になっているような……?


 東ヶ崎さんが俺の横で小さく拍手をしていたので、いい方向に話が進んでいるのだろうと思った。



「よし! 飲もう! 狭間くん! 飲もう!」



 結局、飲むの⁉ さやかパパとはいつも飲んでばかりだ。



「さやかさん具合悪くて寝てますよ⁉」


「清花さんと東ヶ崎ちゃんがいるから大丈夫! あ、東ヶ崎さんちゃん! マッカラン出して! シェリーオークの25年のやつ!」


「え⁉ あ、はい!」



 マッカランてなに!? 聞いたこともないお酒なんだけど……東ヶ崎さんが「え⁉ あれ出すんですか!?」みたいな驚いた表情をしていたので、ちょっと構えてしまう。


 

「狭間くん、どうやって飲む?」



 どうやって飲むか聞かれるってことは、割ったりするんだよね? 聞けばウイスキーってことだし、ハイボールかな? それくらいしか飲んだことないし。



「じゃあ、ハイボールで」


「くっくっくっくっくっ。良いね! 東ヶ崎ちゃん! 狭間くんにあれでハイボール作ってあげて!」


「え⁉ シェリーオークの25年でハイボールを⁉」


「あ、僕にも! あ、東ヶ崎ちゃんも一緒に祝ってよ! 合計3つ!」


「は、はい!」



 スキップするような滑らかな動きで東ヶ崎さんがキッチンに消えていった。修二郎さんと一緒にお酒が飲めるから嬉しいのかな?


 そして、東ヶ崎さんがどこからか箱を持って来た。木目がカッコイイ木箱。それに入っているらしい。マッカラン。もうね、どんなお酒かは調べなくても分かることが1つある。



 これはメチャクチャ高い!



 ハイボールはめちゃくちゃうまかったけど、後にネットで「マッカラン シェリーオーク 25年 価格」で検索して青くなった。そして、笑顔でハイボールにしてくれた さやかパパの懐の深さを知るのだった。

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