第114話:さやかさんが風邪でダウンするとは


「うわ、38度だね。結構熱が高いね」


「ううぅー、眩暈がします」


「とりあえず、薬も飲んだしゆっくり休もう」


「はい……」



 さやかさんの胸元から体温計が取り出された瞬間、隙間から彼女の胸の丸みが視界に入りドキリとした。我ながら不謹慎だと思う。


 さやかさんは5階の自室でベッドに横になっている。風邪だろうか。熱が高い。このところ忙しかったし、連休を取ろうと休みになったと同時に熱を出した。気が抜けたタイミングで熱を出すことってあるよね。



「せっかくのお休みで狭間さんと出かけようと思っていたのにぃ……」



 タオルケットを口元に手繰り寄せて残念そうに上目遣いで言った。何気ない仕草が可愛いとか最強か。



「デートはまたいつでもできるから、今はゆっくり休んで元気になろう」


「はい……」



 無理して出かけてもしんどいだけだしね。今は静養することを最優先にしないと。



「なんか欲しいものはある?」


「うーん……ちょっとだけでいいから、手を繋いでいてください」


「それくらいでいいなら、いくらでも」



 横になった顔を見ると、少し顔が赤い。そして、辛そうな表情。おもむろに彼女の額や頬に掌を当てた。やっぱり熱いな。


 昔、母親がこうして熱を計ってくれていた。俺はなんだか嬉しかったのを覚えている。後になって思ったけれど、治療のことを「手当て」というけど、信頼している人に触ってもらうだけで痛みが和らいだ気がするのだ。「手を当てる」というのは、知識も経験も要らない治療の一つではないだろうか。



「ん……狭間さんの手、冷たくて気持ちいいです」



 目をつぶってそう言う彼女に、愛おしさがふつふつと湧いてきている。やっぱり俺は、彼女が好きだなぁ。



「小さい時は、熱が出るとパパもママも絶対家に帰って来てくれたんです」


「へー」



 やはり、小さい時から両親とも仕事で家を空けることが多かったんだなぁ。こんな可愛い子がいたらずっと傍にいそうなもんだけど。



「他にも運動会とか、授業参観とか……それが嬉しくて、気持ちがいっぱいになって授業の内容が全然入ってこなくて……」



 目をつぶったまま嬉しそうに話すさやかさん。子どもなら誰でもそんなもんだ。



「今は狭間さんもいてくれます……」


「もちろん。ずっと傍にいるから」


「……」



 さやかさん眠ってしまった? 手は握られたままなので、動くこともできない。もう少しこのままでいようかな。


 少し眠れば身体も少し楽になるかもしれない。



 そんな事を考えていると、最小限の音しかたてず東ヶ崎さんが入ってきた。ちょっとびっくりした。忍者なのか、彼女は!



「修二郎様と清花様が今日お戻りになります」



 すごく小さい声で、それでいてちゃんと聞こえるように教えてくれた。


 未だに病気になると帰ってくるらしい。そんなに心配ならいつも一緒にいればいいのに。



 本格的に眠りに落ちたのか、さやかさんの手から力が抜けたので、俺と東ヶ崎さんは部屋を出て、さやかパパとさやかママを迎える準備をすることになった。



 *



「昨日はちよっと帰りが遅かったけど、何かありましたか?」



 エレベーターで2階のリビングに下りながら、東ヶ崎さんに聞いてみた。なんか嫉妬がちな彼氏みたいなことを言ってしまったが、純粋に何かあったら、と心配しただけだから!



「いえ、お嬢様とちょっとお買い物に……」



 エレベーターの操作パネルの前に立つ彼女の表情は見えなかった。



「あ、すいません。なんでもないならいいんです」



 最近、色々あったから気になっただけ。何にもなければそれが一番いい。



「あの……お嬢様が、狭間さんに見てもらうと言って……」


「あぁ、服屋さんとかですか?」


「いえ、ランジェリーショップです」


「ぶっ!……っと、失礼」


「風邪が治ったらお願いします」


「はは……」



 俺は今、何をお願いされたのか!? さやかさんがランジェリーショップで試着したり、東ヶ崎さんも同じデザインで色違いを買ったりした想像を勝手にしてしまった。


 見せるために買ったというくらいだから、見ごたえがあるものに違いない。色々な部分がレースのシースルーになっていたり……もしかして、ガーターベルトまでフル装備だったり⁉


 色は純白のイメージだけど、淡いピンクも似合うかも。意外と薄いブルーもいいかもなぁ。それを見せられた時、俺はどんな顔をして、なんて言えばいいんだ⁉


 きっとまともな反応なんて出来やしない。今のうちにシミュレーションして、なんて答えるかくらいは考えておかないと。


 顔が熱い。きっと、今は顔が真っ赤だ。この顔を東ヶ崎さんに見られる訳にはいかない。変態だと思われてしまう。自覚はあるけれど、それを東ヶ崎さんに知られるわけにはいかない!





 東ヶ崎さんの話では、少しでもさやかさんが体調を崩したら両親に連絡するようになっているのだという。


 今回もそれでご両親とも戻ってくるのか。若干の違和感は感じたけど、家ごとにルールというか慣例ってあるもんね。


 うちは、納豆を食べるときは必ずパックから丼に移して十分混ぜてから卵黄とネギを混ぜ、個々にどんぶりからお茶碗にかけるのが普通だった。


 そこまでする家はあんまないみたい。それは狭間家のルールだったと言える。



「狭間さん、最近何かありましたか?」



 東ヶ崎さんが夕飯の準備をしながら唐突に聞いた。



「なんでです? 特に何も……あえて言うなら各会社が順調なことくらいですか?」


「それですかね? 帰ってくるってお知らせ下さった、修二郎様のテンションがすごく高くて……」


「へー、そうなんだ」


「そして、絶対狭間さんをうちにいさせるように言われました」


「え? 俺? さやかさんじゃなくて?」



 さっぱり分からない。ご両親とも頭がいいから、俺くらいでは考えが及ばない事が多いし……



「なんだろう……」



 悪い事じゃなければいいのだけど……最近トラブルが多かったからつい構えてしまう。


 夕飯の準備が終わる頃、1階の駐車場にエンジン音とエグゾーストノートがが聞こえた。音から察するにさやかパパかな?


 さやかさんは寝てるだろうから、東ヶ崎さんと俺で迎えに降りるのだった。

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