第113話:しみじみ振り返るとは
最近忙しかったから、少し気を落ち着かせたいのと、最近を振り返り現状把握したいと思い、俺はいつか来た「
こじんまりとした境内は山……というより少し高い丘にあるので福岡市内が見渡せて景色がいい。
「ふぅ、空が広いな……」
空も広く、思ったより心が開放される場所だ。
マリノアシティという海の近くの高級住宅街の向こう側には海も見える。
「一人だとなんか変な感じだな……」
さやかさんと東ヶ崎さんは大学があるので今日は珍しく俺一人で来てみた。
領家くんの一件は、無事解決したけれど東ヶ崎さんにはそのまま大学に通ってもらっている。
彼女は優秀なので内容はわざわざ学ぶ必要ない事かもしれない。でも、大好きなさやかさんと友達の様に大学生活が送れるのだ。
できるだけ邪魔しないであげたい。
俺は高卒だから大学がどんなところかは知らない。でも、高校時代とは違って、成人した人が学ぶ場なのだから、また雰囲気も違うのだろう。
今更ながら、大学に対する憧れも出てきた。でも、俺の代わりに東ヶ崎さんが経験してくれたら、満足だ。
*
いつかのように、ハトにエサをあげているとあちこちから50羽は集まってきた。
なんか癒やされる。
「はぁー、平和だ」
元々は株式会社森羅万象青果から始まった。俺が身に覚えのない事で糾弾され会社をクビになった。
その瞬間、仕事も家も失って絶望から目の前が真っ暗になった程だった。
「ははは……」
捨てる神がいれば、拾う神もいた。さやかさんと知り合ったのはその時だ。
彼女は森羅のアルバイト事務員だったが、実は当時の社長の親戚で会社を買い取ってしまった。
そしてある日突然の代表交代。俺の無実を証明していく彼女は神がかっていた。さらに、社内の不正もぶちまけた。
目の前で見てないと荒唐無稽すぎて信じられなかったかもしれない。
森羅のお客さん達も俺が戻ってきたのを喜んでくれて会社のトップ交代は驚くほど円滑だった。
*
元々は、森羅の仕入れ強化のために作ったのが野菜直売所「朝市」だった。
「うーん……」
さやかさんと立ち上げた「朝市」は、当初単なる野菜の直売所だったのに、飲食店を作り、農家さん達へのアプリを配布して商品を効率よく納品してもらうシステムを作るなどしてきた。
その後、イベントスペースも増設した。隣に領家くんの店「入口」が作られたが、今ではそれを吸収して更に増設した。
従来の飲食店スペースに加え、屋台スペースを作り、そこには休憩できるテーブルとイスを大量に準備したので、巨大なイートインスペースとなっている。
高い頻度でホテルの料理人が店を出すのでそれも人気になっている。
将来店を出したい人の腕試しとしても役に立っているみたいだし、趣味が料理の人の披露の場にもなっている。
これまでにない店舗展開なので、お客さんも多くなったし、次の出店を目指す人の下見や他県からの視察も多い。今では「わざわざ行きたいところ」にまで成長していた。
うちとしては来てくれる人は全部大切なお客様だ。
うちの集客力を聞きつけた農家さんが更に登録してくれて、品数はかなりのものになっている。
最近の農家さんは、加工食品に手を広げ六次産業化してきたところが増えてきた。
肉屋と魚屋も出店してくれたので、屋台やお店の材料を「朝市」で仕入れる人も少なくない。
益々商売の幅が広がり、その立ち位置も盤石なものになってきた。
当初心配していたスタッフも年配者のベテランパートさんだけではなく、市内から若い人も雇えた。
「彼のお陰なんだよな……」
その功績は領家くんだった。
「朝市」のスタッフはもちろん、お客さんともコミュニケーションが円滑で人の心をつかむのがうまい。
一応、まだ大学生なので「責任者候補」としているけど、責任者としての仕事を十分にしている状態だった。
もっとも、大学はあと卒論だけらしく、ほとんどまとまっているらしいので、週に1度教授に報告に行く程度でいいらしい。やっぱり、優秀な人は違う。
彼の唯一の弱点は、さやかさんを前にすると上がってしまうのか、感極まるのか、言動が支離滅裂になることだ。
「どうして、ああなるのかなぁ……」
合コンで さやかさんを誘惑する役目としては、あまり向いていなかったのでは……と今では思う。
*
森羅の野菜納品先を増やす目的でスーパーも買った。当初は一から立ち上げようと考えていたが、恐らくあの状態では1年経っても開店にこぎつけられないでいただろう。
後継者がいなくて、そのままだったら廃業必至のスーパーだったが、ひょんなことから丸ごと買えた。
すべての仕入れ元を引き継ぎ、一から作ったら何年もかかるスーパー立ち上げをわずか数カ月で実現した。
そして、このスーパーが変わっていったきっかけは一人の外国人だった。ネパール人のライさん。
「いまだに不思議な人だ……」
ネパールではカレーは特別な料理ではなく、日常食。スパイスにすごく詳しかった。その上、ネパールではシェフの経験もあるらしい。
味について適切なアドバイスができるのはすごい武器だった。テイスティングの能力を見込んで市内のスパイスカレー屋さんが感想を聞きに来る。
そして、店のスパイスを買って行ってくれるという流れだった。しかも、そのスパイスはライさんのルートでネパールから上質なものが輸入できている。
今では1つの棚が全てスパイスなので、これだけのラインナップは福岡広しといえども専門店を含めてもトップ3に入っているだろう。
「ははは、うちは何屋さんなんだ……」
しかし、ライさんの一番の強みはカレーでもスパイスでもない。その人柄だ。何とも言えない温和な笑顔、親切な対応、そして、面倒見の良さだ。
スーパーの控室でも自然とスタッフに囲まれている。おじいちゃん、おばあちゃんに大人気だ。
彼の作る料理やお菓子も魅力に入れておこう。ライさんを引っ張ってきた さやかさんの先見の明は神がかり的だったとしか言いようがない。
「やっぱ、さやかさんはすごい……」
当初反対だった俺の方がライさんを気に入ってる程だ。
スーパーの弁当に出した彼の「スパイスカレー」はかなり革命的だった。売り上げが伸びて、それに嫉妬したお総菜コーナーのおばちゃんが新商品を開発し始めたくらいだから。
人の意識が変わり、商品棚が変わり、お弁当が変わって、肉屋、魚屋も変わって行った。結局、スーパー全体が変わって行き、今では土日にイベントを開催して「肉の激安市」とか「魚の詰め放題」とか魅力的なイベントで人が集まっている。
賞味期限切れが近いお菓子を箱で出したら、飛ぶように売れていた。これはチラシなどでも一切告知しないゲリライベントだ。それにより「なんかないか」とふらりと立ち寄る店に進化していっていた。
周囲のコインパーキングとは業務提携したので、以前よりも客単価も上がったし、なにより来客数が増えた。
週末はコインパーキングでは全然追いつかないのでその横の土地を前倒しして購入予定だ。週末は駐車場にしたり、場所が余るようだったら「朝市」で培ったイベントを開催することで家族客も呼び込みたい。
*
時間はかかったけれど、全てがうまくいき始めた。月並みな言い方だと歯車がかみ合って滑らかに回り始めた感じだろうか。
最初の方は、あちこちで問題が次々起きていたので、複数あるコップの水をかき混ぜわているような感じだった。
「あの頃は大変だった……」
あちらを混ぜたら、こちらは止まっていて、こちらを混ぜたら、あちらが止まってる……忙しいのに全体的にはうまく行ってない感じ。それでも、挫けずに、投げ出さずに真面目に対応していった結果だろう。
結局会社は、株式会社森羅万象青果、株式会社朝市、株式会社スーパーバリューの3社が独自に動いていて、それらを統括しているのが株式会社さやかなのだ。
各社業務拡大により社員数を増やしているのに、この株式会社さやかは、代表のさやかさん、東ヶ崎さん、俺の三人しかないない会社だった。場所も高鳥家の2階のリビングが実質的な「会社」の場所でどこかの会社に間借りなどもせず、こじんまりとしていた。
大きなビルの大きな会社が良いというのは、昭和か平成でも随分昔の考え方といえるだろう。場所なんて持っているだけでお金がかかるのだから。その点、高鳥家は生活スペース。生活する以上必要なスペースなので、会社にしても1円も使っていない。
仕入れ等も各社で行うので、お金が出て行くことがない。入って来るばかりなので、脱税はダメだけど何か工夫しないと税金でごっそり持っていかれる。法人税だけでだいたい30%、消費税も考えたら半分くらいは税金で持っていかれる計算だった。
サラリーマンの税金が13%から16%くらいと聞いたことがある。そう考えると法人税は高い印象だ……
できるだけ経費に入れるようにして、福利厚生も充実させた。健康診断など、全社で協会けんぽのものよりかなり手厚いものに設定されていた。
俺の入社の時はバタバタしてたから、検診は今年初めてになったけどさ。
さやかさんとの関係も良好で控えめに言ってもラブラブでいいだろう。時々はデートに出かけることもあるし、外食を楽しむこともある。
*
今の状態はいい状態であることを確認できたし、差し当たって問題とすべきことはないことも実感できた。
俺は愛宕神社の境内を出て階段を下りて駐車場にでた。借り物の高級車のエンジンをかけたらハンドルを握った。
これだけ色々片付いてくると、少しだけ欲が出てくる。
それは、さやかさんの家族のこと。
彼女は、なぜあんなに大きな家に東ヶ崎さんと二人で住んでいるのだろう? ご両親とも仲が悪い訳でもないのに、一緒に過ごす時間を犠牲にしてまで そんなにお金を稼ぐ必要があるのだろうか。
全てを変える必要はないのだけど、せめてもう少し家に帰れないものだろうか。
家で寂しく暮らしていた彼女と、家族を失って家も仕事も失った俺だったから、彼女と出会い一緒に暮らすことになったのだろうか。
それでも、彼女のために何かしてあげたい、と思っていた正にその翌日にちょっとしたトラブルが起きた。疲れからか、さやかさんが熱を出してダウンしたのだ。
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