第108話:鏑木総料理長からのクレームとは
僕、山口
ホテルの厨房というのは戦場で、日々あそこで戦い続けるのは僕の性格には合わないと思っていた。
そんなときテレビで見たのが、カレー店出店の話。カレー店はスパイス調達なんかの関係でチェーン店展開が難しく全国ではほぼ一強。あのココイチでもハウス食品からスパイスを提供されているから全国展開できたという話を聞いたことがある。
だから、個人店でも十分勝算があるという話だった。
ひょんなことから僕は「朝市」に小さい屋台ながら出店できた。
試食の反応は良かったので、人気店を夢見たけど、販売初回は惨敗。
朝11時にオープンして午後2時までに出たのがたった3杯。その後は、光さんが手伝ってくれたから22杯までいった。
完全に、光さんの力だった。店名は「ギャラクシーモンスター」じゃダメだった……
でも、狭間さんに紹介してもらったライさんと知り合ってからは、カレーの味も進化した。
でも、「朝市」の屋台に立ってみて一番思ったのは、お客さんやスタッフさんとのつながりだった。当初まったく考えなかったこと。実際にやってみたから分かったこと。
「朝市」の人たちはみんな良い人だから、よく、声をかけてくれる。それだけでどんだけ安心するか。
ホテルを出て、僕という個人が知らない場所で急に店をって……お客さんと顔を合わせてもろに接するって……恐怖だった。しばらく足元しか見てなかった。
でも、僕が責任者で、僕の店。
狭間さん達がいなかったら、僕はどうなっていたか……ホテルを辞め、店も出せず露頭に迷っていたかも……
僕はもっとカレーを極めて、いつか自分の店を持ちたいと思っている。今はホテルと「朝市」で修行だ!
■ホテル控室
「今日の賄いは辛さ抑えめでコク多めのつもりなんですけど、どうですか?」
「うーん、確かにこの間のよりこっちのほうが俺は好きだな」
新人の山口が生意気に一丁前のことを言ってきやがる。
俺、佐藤
ホテルでは、まず小判型にしたハンバーグの表面を強火で焼いて肉汁が逃げないようにする。その後、火を弱めて中まで火を通す。
ただ、これでは客がハンバーグを切ったときに肉汁があふれ出てしまう。テレビなんかではいいのだろうけど、食べることを考えたら最上ではない。
だから、俺は独自研究で低温調理に行きついた。
最初にタネを小判形にしたら真空パックする。そこで湯煎を65℃で維持して120分。これで肉はタンパク質が硬化しないので、やわらかいまま ちゃんと火が入っている状態になる。
仕上げに表面に焼き目をつけたら、俺の考える最高のハンバーグの完成だ。
ちゃんと火が入っているから、焼かずに赤いままでも食べられるが、お客の「イメージ」の問題と、ミンチ肉は十分加熱されていないと食中毒が怖いってのがある。
通常、肉に付く菌としては、O157などの腸管出血性大腸菌、カンピロバクター、サルモネラなどの食中毒菌があるが、その多くは肉の表面に付く。だから、ミンチは全域に菌がいる可能性がある。十分な加熱がないと危険なのだ。
国の実験結果を見ると、肉の中心温度が63度以上で30分経過すると菌は死滅するらしい。俺のハンバーグの厚さならば湯煎65度の120分で十分この条件を満たしていた。
だが、これは調理に時間がかかり過ぎるからホテルでは出せない。いつか、俺が自分で店をだしたらメニューに加えたいやつ。
なのに、コイツはカレーで既に店を出しやがった!
「佐藤さん、『朝市』はすごいんです! お客さんの感想がダイレクトに来ます!」
知ったふうな事を……でも、確かにその店に出店し始めてから、ヤツのカレーは確実にうまくなってる。
しかも、こいつをバカにしてても、俺は直接客の意見なんか聞いたことが無い。俺の最高と思うハンバーグはどの程度世の中に通用するんだ!?
「あと、
「そ、そうなのか」
「ドジで皿とかよく落とすし、口悪いし、ガラ悪いし……」
「それは、良いところなのか……!?」
「今度、佐藤さんも一緒に『朝市』行きませんか? 見て良かったら一緒に出店しましょう!」
そうか! その手があった!
「でも、高いんだろ?」
「僕はもう休みの日に出店してるんで、1日一万円です。電気とかガスとかコミコミで。でも、初めての時は平日でタダにしてくれましたよ?」
パチンコ行くより安いじゃねーか。
「料理の値段とかも狭間さんが相談にのってくれますよ」
「大丈夫なのか? そいつ。言っても野菜直売所の店主だろ? 飲食のこと分かってんのかよ!?」
「狭間さんは、コンサルですね。店主は別にいます。狭間さんがいなかったら、僕 絶対店出せてないです。最初は会ってみるだけでもいいんじゃないですか?」
「『コンサル』ってなんか怪しいんだよなぁ」
「狭間さんはすごいですよ! 真面目だし、美人で社長の彼女がいるし、美人秘書連れてるし、高級車何台も持ってるみたいだし…」
「益々怪しいじゃねーか」
「会ったら分かると思いますよ」
「まあそうだな、一回見に行ってみるか」
こいつの店がどんなものか見てみたいと思っていたし。
■ホテル厨房
「狭間専務よぉ」
「はい」
この日、鏑木総料理長に呼び出しを喰らっている。
「最初に、山口の件は、その……ありがとう。どっかシックリ来てなかったけど、ヤツも最近は真剣に働いてる」
「そうですか。よかったです」
「周りのヤツともどっか線を引いてて 仲間になれてなかったけど、最近はカレーの事とかでよく話してるな」
「朝市」ではみんなコミュニケーションが、盛んだからそれに慣れさせられて変わってきたのかも? 兄弟子さん達の意見は全部メモするようにアドバイスもしたし。
「あいつのカレー食わされたけど、確かにそこそこになってる。あいつにはまだ言わねえけどな」
「そうですか。よかったです」
「今日、呼んだのはな。他のヤツらもお前の店に出店したがって、それぞれ自分の得意メニューの研究を始めてやがる」
「ははは。研究熱心で良いですね」
「お陰で曜日ごとの賄いのメニューが固定されつつあってホテルの従業員の食事事情が深刻なんだ!」
「そこまで!」
「お前が元なんだから、なんとかしろ!」
ああ、無茶ぶりだ。うーん……
「みなさん自分の得意料理を食べてもらいたいんだから、トーナメント制にして一番美味しいやつをお店で出したらどうですか?」
「そんなのどこでやるんだよ。もう賄いは同じメニューに飽きてるぞ!?」
「じゃあ、『朝市』でやるのはどうですか? お弟子さんたちのガチバトル。優勝者と総料理長がホテルで最終バトルするんです」
「なんだそりゃ」
「話題にもなるし、『総料理長渾身ホテルカレー対弟子の下剋上スパイスカレー』みたいな感じにすれば、両方のメニューが出ます」
「なんかそれは最後俺が負けないと盛り上がらないんじゃねーのか!?」
「いやいや。ガチで行ってください。総料理長が勝てばリベンジで第二回が開けます」
「中々燃えること考えつくじゃねーか。やるか! まだまだ俺が弟子たちに負けるわけねえ! 支配人に話に行ってくれ。俺の方からも話ししとく」
「はい! 了解しました!」
なんか、ホテルとのコラボ企画が、決まってしまった……
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