第70話:通りすがりの者とは

 結局、ダメだった。俺は我慢ができなかった。調べてもらった合コン会場の場所に東ヶ崎さんと一緒に向かった。


 そこは雑居ビルの5階にあるカラオケボックス。カラオケってことは二次会? 最近はネット予約できるので店員に会わずに部屋に行くことができるらしい。既に予約してあったのかな?


 東ヶ崎さんに連れられて8階の部屋に向かっている最中、通路のドアが一瞬開いた。


 そこから見えたのは……



「さやかさん!」



 俺は閉まりかけたドアをこじ開けて、中にいた さやかさんを引きずり出し抱き寄せる。さかやさんは、下を向いて表情が見えない。


 彼女の服を後ろから掴んでいるヤツがいる。



「なんだーーー!? おっさん!」



 うーん、これだけで酔っ払いって分かった。部屋からさらにもう1人出てきて、合計2人。さやかさんを東ヶ崎さんに預けてて、俺は廊下で2人の前に立ちふさがる。



「とう……がさき……さん?」



 後ろの声から、さやかさんが、やっといま俺達であることが分かったっぽい。



「なんだぁ!? おっさん! 誰だお前!? 邪魔すんなよ!?」



酔っ払いの威勢はいい。



「通りすがりの者です」



廊下の幅は2メートルほど。カラオケボックスは部屋に面積を取った方が利益率が高いので、廊下は狭い。



「ああん!? お前は関係ねーだろ! 女連れだからってカッコつけてっと痛い目みっぞ!」



 男の一人がボクシングの様なポーズで身体を小刻みのステップで跳ねている。



「最近 ジムで鍛えてっから 一発でヤってやんぞ!」



 すごく威勢がいい。まいったな。



「狭間さん!」



 後ろで東ヶ崎さんの声が聞こえたけど、店員を呼ぶにも警察を呼ぶにも間に合わない。まさに今 一発即発の状態なのだ。彼女たちを守れるのは俺しかいない。


 相手が2、3発のジャブを打って来た時点で本格的にボクシングをしている人間ではないことが分かった。パンチはそれほど重たくない。


 しかも、その後は急に大振りだ。ボディに1発もらったけど浅い。腹筋鍛えててよかった。ダメージは……まあ、ほとんどない。


 俺はケンカはあまり得意ではないけど、あんまり上品な高校じゃなかったから、対処法くらいは分かる。


 まずは、左手で拳を握って 相手の頭に向けて伸ばす。そうすると、相手は迂闊に近づけなくなる。それを避けて右か左かから攻撃してくるものだ。


 左側の方から来た場合は、肘でガードすれば大体のパンチはガードできる。


 右から来た場合は、位置的に次の一手いってがほぼ左ストレートになるので、それさえよければボディががら空きになる。


 言ってる傍から、左ストレートが来た!


 掠めるように避けると、一発下から突き上げた。ドンッという音がして「うぐっ」という声と共に酔っ払いの動きが急に悪くなる。


 ボディがきれいに入ったらしい。一瞬、相手の身体が浮いたかも。


 酔っ払いのさっきまでの飛び跳ねる様なステップはもう見られない。まるで鉛の靴に履き替えたように途端に動きが悪くなった。


 動きが止まったところで後ろに回り込み、服の背中を掴んで身体ごと持ち上げると急に静かになった。力で勝てないことを悟ったのだろう。


 心が負けを認めると、その後はどんなに威勢が良くても逃げ腰になる。


 こっちは10年以上 野菜の段ボールを持ち上げて鍛えてるんだ、ちょっとジムに入ったくらいのとは筋肉の付き方が違う。「見せる筋肉」ではなく「使う筋肉」が発達するのだ。



「すいません! あのっ! こいつらよく言っときますんで!」



 中からさらにもう一人、優男やさおとこが出てきた。彼はあまり飲んでいないみたい。廊下にいたもう一人の酔っ払いは戦うまでもなく沈黙したみたいだ。



「さやかさんは俺の大事な人なんで連れて帰らせてもらうよ」


「はいっ! すいません!」



 ペコペコ謝る優男。部屋の中には他にも数名の女性がいた。



「もし、帰るなら下まで送りますよ?」


「はいっ! 帰りますっ!」


「私もっっ!」



 怖い思いをしたのか、部屋を覗き込んで声をかけたら女性が3人とも部屋から慌てて出てきて、俺の後ろに隠れてしまった。



「会計は……」



 俺が財布を出しながらいうと「あ、それは僕の方でやっときます!」と断られてしまった。


 優男がやたらテキパキしている。それが ちょっと気持ち悪い感じ。酔っ払い2人は既に目を合わせずに明後日の方向を見ている。分かりやすい。



「女性が怖がるような会はダメだよ」


「はい! さーせん!」



 優男がペコペコ謝ってなんか腑に落ちない感じだ。ただ、女性達もいるし、さやかさんと合わせて5人を下まで送っていった。


 途中、エレベーターの中では誰も一切しゃべらない。エレベーターの中だからか、よほど怖い思いをしたのか……


 ビル1階の入り口まで来た時に三人に聞いた。



「帰れますか? 何だったら駅くらいまでは送っていきますけど」


「あ、いえ。大丈夫です!」



 女性の一人が答えると、他の二人も大丈夫と言った。確かにまだそれほど遅い時間ではないし、駅もすぐ近くだ。車に乗せるにも実は定員オーバーだった。



「じゃあ……さやかさんは連れて帰ります」


「はい」



 こちらには東ヶ崎さんもいるので、俺のことは不審者とは思わないだろう。



「じゃあ、失礼します。気を付けて」


「はい!」


「ありがとうございました!」



 カラオケ屋のビルから別れた。さやかさんは、東ヶ崎さんに肩を抱かれていたけど、ずっと俯いていた。怖かったのだろうか。



「さやかさん? 大丈夫ですか?」



 顔を覗き込んだら、思いっきり抱き着かれてしまった。



「さやか……さん?」


「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」



 まだ街中なのに わんわん泣きながら謝る彼女。東ヶ崎さんの方に視線を送って助けを求めたけど、付かず離れずの位置で明後日の方向を見ていた。


 自分で何とかしろ、ってことらしい。


 周囲の通行人にも注目されていたけど、女性の方が抱き着いて泣いているので事件とは思われなかったみたいだ。すぐ隣に東ヶ崎さんもいるし。


 俺は、とりあえず彼女に抱きしめられたまま、背中に手を回し、さやかさんの頭を撫でてやるのだった。

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