第60話:アフターストーリー(7-2/8)

 居酒屋の小上がりで衝立ついたての向こうから登場した人物は俺のよく知った人だった。



「裕子……さん?」


「おつかれさま……です。狭間専務」



 はにかむような、少しばつが悪いような表情の裕子さん。



 *



 状況が分からない。


 俺と野村さんとの飲み会に裕子さんが来た。しかも、野村さんの隣に座った。あ、俺は専務か。彼らの上司だった。


 だから、気を使ってテーブル反対側に野村さんと山本部長が座った、と?


 人は訳が分からないと頭をかくのは何故だろう。俺は今なぜか首の辺りが無性にかゆい。


 野村さんがお箸と取り皿を裕子さんに渡す。


 その後、裕子さんが遅れてきたミモザサラダを取り分けてくれて、俺と野村さんに渡してくれた。



「……ありがとうございます」



 そう言って、サラダの取り皿を受け取った。


 ―なんだろう、この雰囲気。

 ―なんだろう、この空気。


 なにか事件が起こる前触れを俺の本能が俺に伝えてきている。



「その、狭間専務……俺たちな……」



 テーブルの上で野村さんと裕子さんが手をつないでいる。



「付き合うことにしたんだよ」


「はあーーーーー!?」



 意外過ぎる組み合わせだった。



「野村さん奥さんいるんじゃないんですか!? 不倫ですか!? お子さんどうするんですか!?」


「俺は嫁さんに逃げられて、もう10年以上経ってるよ。子供たちにも もう会わせてる」


「あ、そうなんすか……」



 本人たちがいいのならば、全然それでいいんだけど……



「いろいろ相談に乗っているうちに、な……俺も娘のこと相談したし……」



 俺って帰ったら この状況を さやかさんに伝えるんだろうな。どんな顔をして伝えるんだろう。自分でも予想がつかなかった。



「それで……狭間くん……いえ、狭間専務……」



 裕子さんが少し話しにくそうに切り出した。



「あ、ここはもう会社じゃないから普通でいいですよ。ただでさえ上下逆転みたいになってて居心地悪いのはお互い様ですから」


「じゃあ、失礼して、狭間くん。私は今後、会社内でどうなっていくのかな?」


「人事権については、社長に一任です。俺の意見は……まぁ、参考程度って感じですかね」


「そう……」



 裕子さんの少し表情が沈んだ。



「私は彼女を傷つけていたから……しかも、全く気付かなくて……反省してるの。おじさまの娘さんが彼女だってのも認識なかったの……」


「そうなんですか……」



 少し残念な気がした。俺にとって大事な人が裕子さんの目には映っていなかったことが。



「うちのおじいさん大家族で、兄弟だけで7人いるし、子供とか孫とかすごくたくさんいて、親戚の集まりとか50人以上になることもあったから……一度ちゃんとした場で改めて謝りたくて……」



 どこにそんなに集まったんだろう? 50人とか集まるとしたら、旅館の宴会場クラスの広さが必要だ。世の中にはお金持ちがいるもんだ。



「それなら心配しなくていいと思いますよ。さやかさん もう気にしてないみたいでしたし」


「そう……それならよかったけど……」


「あと、俺から言っていいのか分からないですけど、将来は森羅の社長に裕子さんをげるつもりみたいですよ?」


「ええ!? そうなの!?」



 裕子さんも野村さんもめちゃくちゃ驚いてた。人事情報だし、まだ知らせたらまずかったかな?



「あ、まだ聞かなかったことにしておいてくださいね」


「ええ……」


「俺も……聞かなかった」



 野村さんが両掌を耳に当て、「聞か猿」のポーズをとった。



「本当だったら、彼女をここに呼んで本人に伝えてもらった方がいいんでしょうけど、なにぶん彼女はまだ高校生で、今の時間は多分、授業中なのですいません」



 居酒屋にはいるのだけど、時間はまだ昼の2時過ぎ。彼女は学校で授業を受けている頃だろう。



「ふふふ、本当にまだ高校生なのね」



 裕子さんが楽しそうに笑った。彼女のこんな表情を見たのは久しぶりだった。



「俺も、森羅は最終的に裕子さんが継ぐのがいいと思います。ただ、その前に立て直さないと、割と末期状態でしたね。会社は俺が把握していた以上に悪い状態でした」


「それを事務のバイトで入って来ただけの彼女には見えて、専務だった私には見えてなかった、と……彼女本当に優秀ね。会社も狭間くんも取られちゃったし自信なくすなぁ……」


「それをここで言ったら!」


「あ、俺は大丈夫だから。お前らが付き合ってたの知ってるし、俺も一度失敗してるしな」



 思ったよりも裕子さんと野村さんは強いつながりらしい。そう言った意味では、野村さんなら心配しなくてもいいだろうな。俺よりも随分大人だし、ぶっきらぼうだけど周囲への気配りも欠かさない。



「あ、もしかして、このためかな!? 福利厚生の中でやたら結婚祝い金が手厚かったんです。わざわざ『社員同士の結婚の場合は両者に支払う』って一文を入れたほどだったし」


「ばか、それはお前と社長のことだろ!」


「私もそう思ってたわ!」


「そうなんですかね……」



 多分、今日の会計は俺のおごりになるなぁ。あと、一番心配なのは、俺はどんな顔して さやかさんに これを報告するかってことだよ。


 そんな事を考えつつ、二人を祝福しながら久々の居酒屋メニューを楽しむのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る