(7)
高校生活で得た知識や思い出を大切にし、それぞれが選んだ道で努力を続けること。要約すれば一言で済むんじゃないかと思える長ったらしい担任の話も、これで聞き納めかと思うと、どこか寂しかった。
最後に教室を出る人が施錠の上、職員室へ鍵を返却するように。担任がそう告げ、その場は解散となった。涙ぐみながら抱擁を交わす人、写真を撮ったり、寄せ書きを書いたりする人、それに見向きもせず真っ先に教室から出て行く人。色んな人がいた。
教室という小さな箱庭の中で、それぞれが自分の思想や哲学や矜恃を持って、生きている。誰一人として、同じ人はいない。それが、この3年間で学んだことだった。
「笹川さん、バイバーイ!」
みんなが次々と教室から去って行く中、クラスで唯一私を気にかけてくれていたクラスメイトの女の子が、手を振りながらそう言った。
「ばいばい」
私が微笑みながら手を振り返すと、彼女は少し驚いた顔をした後、満面の笑みで手をブンブンと激しく振った。やがて、廊下の奥から他のクラスメイトに呼ばれ、姿を消した。
教室には、私一人だけが取り残された。散々窮屈だと思っていたこの場所が、なぜか今はだだっ広く見えた。狭く感じるのは、
✳︎✳︎✳︎
これだけ待てば、他の生徒もとっくに解散しているだろう。私は伊原のクラスへと向かった。
静かに教室の扉を開けると、案の定、そこには伊原の姿だけがあった。出会った頃と同じ、窓際の一番後ろの席に座り、机に突っ伏している。気配を消して近付き、両耳からイヤホンを抜き取った。
「びっくりした……」
「何聴いてたの?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする伊原をよそに尋ねた。奪い取ったイヤホンからは、微かに優しげなピアノの音が聴こえる。
「GReeeeMだよ。卒業といえばだろ」
「伊原は変わらないねぇ……」
卒業式の日に卒業ソングを聴く素直さが愛おしく、思わずフフッと笑みが溢れた。
「何かあったのか?」
伊原が私の顔を見上げ、尋ねた。
どうしよう。伝えたいことはたくさんあったはずなのに、いざ本人を前にすると、頭が真っ白になった。緊張で手が震える。やたらと喉が渇き、声が掠れてしまわないか心配だった。
「私、伊原のことが好き」
結局、考えてきたことは何一つ言えなかった。だけど、ちゃんと伊原の目を見て、自分の言葉で伝えることができた。それだけで、及第点をあげてもいいと思えた。
伊原はこちらを見つめたまま、時間が静止したように動かなかった。不安になり、その顔を至近距離で覗き込むと、ガタガタッと激しい音を立てながら椅子ごと後退した。
「あっぶね!」
その時、椅子の脚が教室の床に引っかかり、伊原は危うく椅子ごと後ろ向きに転倒しそうになった。こんなに狼狽える彼の姿を見るのは初めてで、私はお腹を抱えて笑った。
「えっと……ありがとう。まさか自分が、女性に好きと言ってもらえる日が来るなんて思わなかった」
伊原は一呼吸置いた後、未だに動揺を隠せない様子でそう言った。
「私、結構分かりやすかったと思うけどな……」
「ごめん、気付けなかった。俺はクソ童貞野郎だから……」
肩を落とす私に対し、思い詰めたような表情で自虐する伊原に、思わず吹き出してしまう。
「だけど俺も、笹川が好きだよ。これが恋愛感情かどうかは、まだわからないけど……。笹川は俺の大事な人だ」
伊原がそう言って、微笑んだ。それは、今の私にとっては十分すぎる言葉だった。涙がはらはらと溢れ落ち、両頬を生温かく濡らした。
「い゙はら゙ぁ……」
「何?」
「大好きだよ……」
「分かってるよ」
ここぞとばかりに想いを伝える私に、伊原は少し耳を赤くしながら、手の甲で涙を拭ってくれた。
その後、二人きりしかいない教室で、これからの話をした。
伊原は就職後、お金に余裕ができたら、スマホを買うつもりらしい。それまでは固定電話で連絡を取るにしても、私は大学生で、伊原は就職。しかも、夜勤だ。時間が合いづらいだろうということで、月に数回、手紙を出し合うことになった。
「もしよければなんだけど……今日の思い出に、一枚でいいから写真撮ってもいい?」
「別にいいよ、何枚でも」
伊原の快諾を得た私は、いそいそとスマホを教卓の上に固定し、タイマーをセットした。
「伊原、笑ってね」
シャッター音が鳴った。
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