(4)
人の噂も七十五日とはよく言ったものだ。あれから3ヶ月が経った今、私たちが取り沙汰されることはもう無かった。
相模や遥が何かを仕掛けてくることもなかった。もしかしたら、多香子が手を回してくれたのかもしれない。
多香子と若葉とは、あれきり話していない。実験の班が同じになったり、プリントを回収したりするときは、普通に声を掛ける。特別仲が良いわけでも、悪いわけでも無い。お互いただのクラスメイトとして接するようにしていた。
ごくたまに、他のグループの女の子と話したり、お昼に誘ってもらったりすることはあった。けれど、基本的には一人で行動するよう心がけた。色々なことがありすぎて、新しく誰かと関わる気力が無かった。遥のようにまた裏切られたらと思うと、人と深く関わるのが怖かった。
それは進級しても変わることは無かった。何の変哲もない日々が過ぎ、やがて、高3の冬になった。
✳︎✳︎✳︎
「ごめん! 待った?」
「……いや、そんなに」
長い前髪から覗かせる切長の目をぱちくりさせ、伊原が答えた。その表情を見て、気合いを入れすぎたかもしれないと思い、途端に恥ずかしくなる。
「あ、この着物ね、おばあちゃんのお下がりなんだ。友達と初詣に行くって言ったら、折角だから着て行きなさいって……」
聞かれても無いのにあたふたと言い訳をする自分がなんとも情けない。照れを隠すため足早に神社の入り口へと向かった、その時だった。
「笹川、そこ段差……」
伊原が警告し終える前に、思い切り段差に引っ掛かり、つんのめりになった。まずい、このままだと確実に転ける。ああ、草履なんて履いてくるんじゃなかった……。スローモーションで迫り来る地面に、ギュッと目を瞑った。
……おかしい。来るはずだった衝撃が来ない。恐る恐る目を開けると、脇の下からお腹にかけて、誰かの片腕に支えられている。
「あっぶな……大丈夫?」
振り返ると、耳に吐息がかかった。
「ほわああああ!!!」
「えっ……」
漸く状況を理解し、顔から火が出そうになる。奇声を上げながら猛スピードで後ずさる私を見て、伊原が若干引いているのが辛い。
「顔が近いよ!」
「ごめん……必死だったから」
「なんかいい匂いするしさぁ……!」
「風呂入ってきたからかな」
涼しげな顔で答える伊原を見て、自分だけ取り乱しているのが妙に腹立たしくなる。
「……あのさ、この着物どう思う?」
しまった。焦りなのか悔しさなのか、勢いで最悪な質問をしてしまった。
「めでたい柄だと思う」
「そうじゃなくて」
「ビション・フリーゼみたいなマフラーだな」
「このショールのこと? ビションフリーゼって何よ」
「犬種……」
思わず吹き出す私に釈然としない様子の彼が可笑しくて笑った。そうだ、私は伊原のこういうところも好きなんだ。
それから、二人で参拝を済ませ、配られていた甘酒を飲みながら、家までの道のりを歩いた。
「こっちまで来てもらってごめんね。送ってくれてありがとう」
「全然。俺んちの近くには神社とか無いし」
伊原は手を擦り合わせながら、白い息を吐いた。
「さっき、何をお願いしたの?」
「新しい職場で上手くやっていけますようにって」
「地元の工場の夜勤だったよね。伊原ならきっと大丈夫だよ」
「ありがと。笹川は?」
「大学に合格できますように、かな……」
あと、伊原とずっと一緒にいられますように。なんて言えるわけがなく、顔を伏せた。ふたつもお願いして、神様に怒られるだろうか。
甘酒を飲み切らないうちに、あっという間に家に着いてしまい、名残惜しい気持ちになる。このまま時間が止まってくれれば、どれだけ幸せだろう。
「今日はありがとう。帰り気を付けてね」
「こちらこそ、着物大変だったろうにありがとう。笹川に似合ってて、綺麗だった」
じゃあおやすみ、と言い残し、伊原は手を振って去って行った。
「今言うのはずるいな……」
その背中を見えなくなるまで見送った。口元が緩むのを抑えるのに必死で、手は振り返せなかった。
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