(2)


 無為な毎日を過ごし、金曜日になった。伊原が謹慎を終え、登校するのは来週の火曜日だ。


 それまでに、謝罪と現状の報告をする必要がある。土日は伊原がバイトかもしれない。行くとすれば、今日の夜しかないと思った。



✳︎✳︎✳︎


 予備校から帰宅すると、母と姉はテレビに齧り付きながら、話題の俳優について盛り上がっているところだった。邪魔をしないよう、ほぼ独り言のような音量で「ちょっと出掛けてくる」と声を掛けた。時刻は21時半を過ぎたところだった。



 伊原と私の家は2駅離れたところにある。電車だと10分もかからない距離だが、この時間は本数が少ない。伊原の最寄駅に止まる電車は30分に1本しか出ておらず、今しがた、前の電車が出発したところだった。


 タイミングの悪さに溜息を吐きながら改札を通ろうとした時、「ねえ!」と、聞き覚えのある声に引き留められた。振り向くと、自転車に乗った神堂がいた。



「どうしたの? こんな時間に……」

「別に。一番近い本屋がここだから」


 不機嫌そうな神堂の顔を見て、そういえば、夏休みにもらったメッセージに返信していないことを思い出した。ここ最近の騒動で、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。思わず、ごめん、と呟くと、神堂は分かりやすく顔をしかめた。



「蛍くんちに行くんでしょ? 乗りなよ。この時間なら、電車を待つよりこっちの方が早い」


 確かに、一人で暗い駅のホームで30分も待つのは抵抗があった。お言葉に甘え、後ろに乗せてもらうことにした。荷台に座ると同時に漕ぎ出され、危うく振り落とされそうになる。



「一連の騒動の真相、蛍くんに電話で問い詰めて聞いたよ。罰ゲームのことも」


 暫く走ったところで、神堂が沈黙を破るように言った。表情は見えなかったが、怒りに満ちた声色だった。



「……ごめん」

「謝らなくていいよ。ただ、蛍くんが君を許したとしても、僕は君を軽蔑するし、許せないってだけ」


 予め用意していたセリフかのように、神堂ははっきりと言い捨てた。心臓が激しく脈打つのが自分でも分かった。


 伊原への行為は、到底許されるものでは無い。頭では分かっているつもりだった。けれど実際は、罪の自覚が全く足りていなかったのだろう。今この瞬間に、初めて他者の手により、断罪が下されたような気分になった。



 これが普通の反応なんだ。


 今更何を言っても、言い訳になる。伊原のことを好きな気持ちは本当だった。だけど、それを伝えたところで、罪が軽くなるわけでもない。むしろ、神堂の神経を逆撫でするだけだと思った。



「僕じゃダメだから」


 線路沿いの細い道を走りながら、神堂が呟いた。スズムシの鳴き声に掻き消されてしまいそうな、小さな声だった。顔を上げると、9月の生温い風がむわりと纏わり付いた。



「代わりに、君に託そうと思った。蛍くんを幸せにしてくれる人なら、それでいいと思ってた。だけど君は、それを最低な形で踏み躙った」


「神堂くん……」


 何も言うことができなかった。彼に対し、何かを言う権利が無いと思った。



「蛍くんに電話した時さぁ、開口一番なんて言ったと思う? "笹川は大丈夫?" だって。誰の心配してんだって話。呆れるよね」


 神堂は信号を待ちながら、言葉を詰まらせる私をチラリと見やった。10分以上、休憩もせずに走り続けているからだろうか。息は上がり、シャツが少し汗ばんでいる。彼はそれを気に留める素振りもなく、言葉を続けた。



「僕は……人にはそれぞれ役割があると思ってる。癪だけど、蛍くんが今一番傍にいてほしいのは、君だと思う。僕の役割は、君を蛍くんのもとに無事送り届けることさ」


 だから君は、余計な心配しなくていいよ。



 神堂はそう付け加え、再びペダルに足を掛けた。私は泣いているのを悟られないよう、ありがとう、と呟いた。


「別に、君のためじゃない」


 信号が青に変わると同時に、神堂がペダルを強く踏み込んだ。

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