(12)


 言いたいことや聞きたいことは山ほどあった。だけど、それよりも、無性に伊原に触れたくなった。


 堪らず腫れた頬に指をあてがおうとした時、ノックの音が響き、心臓が縮み上がった。私は怪我人に、なんてことしようとしてるんだろう。



「どうぞ」


 伊原が声を掛けると、保健室の先生が慌ただしい様子で入ってきた。遅くなったことを詫びた後、伊原を見つめ「田中先生に聞いてきたけど……酷い怪我ね」と顔色を青ざめさせた。



「これくらい、大丈夫です」


 遠慮がちに言う伊原を無視し、先生はテキパキと顔にこびり付いた血を落とし、消毒液を準備し始めた。


「ちょっと前髪上げるわね……。こっちの傷は? 昔から?」

「はい」


 私が手持ち無沙汰で突っ立っている間に、先生は手際良く消毒を済ませ、傷口にガーゼを貼り付けた。


「申し訳ないけど、応急処置だとこれくらいね……。病院に行った方がいいわ。親御さんと連絡取れる? さっき田中先生が電話したんだけど、出られないみたいなの」


「母さんは仕事中なので、一人で行きます」

「そんな体で大丈夫? 先生も付き添うわよ」


 伊原は、悪いので、とそれとなく断り、ベッドから足を下ろした。おろおろしていると、先生から代わりに付き添ってもらえないかと頼まれた。私としても、このまま伊原を一人にするのは不安だったため、応諾した。



✳︎✳︎✳︎


 教室に鞄を取りに行き、一緒に駅へ向かった。先生が持たせてくれた氷のうのお陰だろうか。瞼と頬の腫れは少し治まったように見えた。それでもまだ痛々しいことには変わりないが。



「一人で行けるのに……。勉強あるだろ」


「まだ高2だし、そんなに毎日しなくても大丈夫だよ。今はこっちの方が大事」


 伊原は何か言いたげな顔をしていたが、気付かないふりをして、電車に乗り込んだ。


 真夏のピークが去ったとはいえまだまだ蒸し暑い外と比べ、車内は冷房が効いていて、心地良かった。扇風機の風が伊原の長い前髪を揺らしている。



「そうだ、スマホで家の近くの病院調べようか?」

「いや、大丈夫。少し歩いたところにあるから」


 最寄駅に着き、他愛もない話をしながら、伊原の後ろをついて歩いた。伊原は道に迷う素振りも無く、小さな形成外科へと辿り着いた。もっと話していたかった気持ちと、一刻も早く治療してもらうべきだという気持ちがせめぎ合う。



 平日の午後にもかかわらず、待合室は割と混雑していた。伊原が受付の女性に保険証を手渡すと、女性は顔を上げ「もしかして蛍くん?」と首を傾げた。


「知り合い……?」小声で尋ねると、「いや……」と気まずそうにしている。


「蛍くんでしょ? 数年ぶりよね? まさか、また……」

「ごめん。結構待つだろうから、先に帰って」


 女性の言葉を遮るように、いつもより強い口調で伊原が言った。どこか懇願するような、泣き出しそうな、見たことのない表情に、私は首を縦に振るしか無かった。後ろ髪を引かれる思いで、病院を後にした。

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