変身
翌日、アンとヒロは海浜公園へ来ていた。日はまだ登りきっておらず、公園で過ごすのには心地よい気温だった。
すると、談笑している二人の所に顔を真っ赤にしたネコが肩を怒らせながらやって来た。
「やっと見つけた!」
その声はネコに珍しく怒気を含んでいた。アンも今まで見たことの無い顔に戸惑いを見せる。
「どうしたの? ネコちゃん。何が――」
「どうしたの? じゃないよ! アンがそんな子なんて思ってもいなかった! 信じてたのに、ホント最低!」
「おい、いきなり来て怒鳴っても何のことか分からないだろう」
困惑するアンに助け舟を出そうとヒロが口を挟んだ。
「あんたは黙ってて! これは私たちの問題なの! 一体どういうつもりでやわたんとキスしたのよ!? 私と付き合ってるって知ってたよね? 何でそんな事するの? 私を苦しめてどうしたいの? ねぇ、何とか言ってよ!」
後半は涙混じりの訴えだった。ネコは、やわたんとアンがキスをしたことに激高しているのだ。
「え……と、その……」
あまりのネコの剣幕にアンは言葉が詰まってしまった。元々気が弱い性格のアンは、人に怒鳴られるとものすごく委縮してしまいうまく言葉を発する事が出来ない。勿論普段のネコならばそれは分かっているが、いまはそんな心の余裕はないのだ。
「ハッキリしてよ!」
「わ……私は、えと……」
すると、その煮え切らない態度が癪に障ったのか、ネコが右腕を振り上げアンの頬を叩こうと振り下ろした。
「――っ!!」
ぶたれる! そう思って瞼をギュッと閉じたアンだったが、その頬に痛みが走る事は無かった。
ネコの右手がアンの頬にあたる寸前で、ヒロがその腕を掴んでいたからだ。
「おい、いい加減にしとけよ。俺の彼女を傷つけるんだったら話が違ってくるぞ」
「くっ、離してよ!」
ネコが掴まれた腕を強く振ってヒロの手を振りほどいた。
「もう、アンとは絶交だから。二度と話しかけないで」
アンが一度も聞いたことの無い冷たい声でネコがそう告げると、俯き、腕で涙をぬぐいながらその場を去って行った。
しばらくネコの後ろ姿を眺めた後、突然アンの瞳からは涙が流れ落ちた。
「どうしよう。どうしようどうしよう、ネコちゃんに嫌われちゃった。嘘、イヤ、だめ、そんな! わたしはこれからどう生きて行けばいいの? なんで?」
激しく取り乱すアンの両肩を、ヒロは優しくつかみ体を自分の方へ向けた。
「アン、落ち着いて。一体、八幡と何があったか話してくれ」
ヒロのその問いかけに、アンは涙を流し、呆然としながら答えた。
「昨日の放課後、やわたんと教室で二人きりになるタイミングが有ったの。そしたら、向こうから、そう、私じゃない。向こうからいきなりキスして来たの!」
「そ、そうか」
「そうよ、なんで私だけ怒られなきゃならないの? なんでネコちゃんに嫌われなきゃならないの? ヒロ君だって、ネコちゃんとやわたんとキスしてるじゃない!」
ヒロはアンの瞳をまっすぐと見つめ、ハッキリと言う。
「俺は、アン以外とキスはしていない」
「ウソよ、なんでそんなウソをつくの? どうしてみんな私を傷付けるの?」
「噓じゃない。俺はアンとしかキスはしていない」
「そんな事ない! 水族館のクラゲの前でネコちゃんとキスしたじゃない! 昨日だってホテルのベッドでやわたんとキスしてたもん!」
「アン、良いか。よく聞いてくれ。どうしてアンにはその記憶があるんだ?」
「えっ?」
「アンはキスをすると中身が入れ替わるんだろう? だとしたら、水族館の時アンはどこにいた? 昨日の夜は?」
「そ、それは……、やわたんとデートしてて、それで、昨日は映画に行ってて……」
「どんな映画を見た?」
「え、と。貴方の内臓がどうとかって映画で――」
「【貴方の膵臓頂きます】だ。どんな結末だったか言えるか?」
「…………」
ヒロのその質問にアンは黙るしかなかった。なぜなら、映画を見た記憶などないからだ。
「それに、俺とアンが初めて会った時、俺がキスしたよな? でもその時、俺と入れ替わる事は無かった。つまりこれがどういう事か分かるか?」
「で、でも……」
「入れ替わるなんて事は、アンの思い込みなんだ。自分の憧れている相手になりきっている。ただそれだけなんだ」
「う、うそ……」
「だから、自分はネコだと思いつつも水族館での記憶があるし、八幡だと思い込んで昨日の思い出がある。違うか?」
「…………」
「それに、俺が学生起業家だって八幡は既に知ってるんだ。初めて会った時に話しているからな。だから、昨日の中身が八幡であればあんなリアクションにはならないんだ」
その言葉を聞き俯くアン。気付いてしまったのだ、ヒロの言う通り自分が憧れている他人になりきいっているだけだったという事が。
思い返せば、入れ替わる様になったのはネコと出会ってからだった。自分もネコみたいに女の子らしく可愛くなりたい。明るくなりたい。常にそう思ってきた。やわたんに関しても、初めは苦手意識が有ったが、自分と同じ、いやそれ以上にネコの事を大切に思っており、自分もそんな存在になりたいと思ってしまった。
けど、言われれば確かにヒロに入れ替わってはいなかった。その時は出会ったばかりだし、まだ憧れてはいなかったから。
「で、でも……ネコちゃん達は、気付いていたのかな? 私の思い込みに……」
「だろうな。少なくともネコは合わせてくれていたんじゃないか?」
その言葉に、どっと涙があふれ出て来た。自分のなりきりに長い事付き合わせてしまった事。もしかしたらその事が原因でやわたんとも別れてしまう事になるかも知れない。そんな事を思うと、とめどなく涙があふれて来た。
「ネコちゃ~~ん。ごめ~~ん」
そして、瞬きをした瞬間片方のコンタクトレンズが涙と一緒に零れ落ちてしまった。
「あっ!」
慌てて地面に落ちたカラコンを探すが、涙で視界がぼやけており見つけることは出来ない。
おずおずとヒロの顔を見る。
だが、ヒロはそんな事を気にはしていない様子だった。
しかし、もう隠す事は出来ないだろうという事と、ヒロになら打ち明けても良いという思いがあり、アンは真実を告げるとにした。
「私、見ての通りカラコンを入れているの。そして、髪も金色に染めてます」
アンの突然の告白を穏やかなまなざしでヒロは見つめる。
「ハーフなんだけど、瞳の色も髪の毛も黒いし、昔それが原因でイジメられていたの。だから、少しでもハーフっぽくなりたくて、憧れの自分になりたくてずっとこうして来た。だから、ネコちゃんと知り合った時も、あぁこの人になりたいってずっと思ってた。でも、もうネコちゃんにはなれないし、ヒロ君の前では理想の自分になる事は出来ないな」
すると、ヒロは無言でアンを抱き寄せた。
「俺はキレイな物が好きだ。けど、俺がアンを好きになったのは、瞳の色や髪の毛とかの見た目だけじゃない。君の内面から出ているオーラというか、身に纏っている空気みたいなものがキラキラとしていてとても綺麗だった。だから、どんなアンだって綺麗だ」
「ヒロ……君」
「だれに憧れてどんなに姿をかえても、結局自分以外の何者にもなれなかったとしても、もがき、泳ぎ続けるアンを俺はずっとそばで見ていたい」
「うん。ありがとう」
そして、二人はゆっくりと体を離すと、照れくさそうに見つめあい、ゆっくりと唇を重ねた。
とても長いキス。
その瞬間、アンは少しだけヒロになれた気がした。
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