水族館デート
アンとヒロが出会ってから三日後の日曜日。アンはネコの部屋を訪れていた。ベッドに並んで座り、ネコに体を預けその頭を撫でてもらっている。
「この三日間、ヒロくんにキスされた事がずっと頭から離れないの……」
「突然だったもんね~。私とやわたんもビックリしたもん。真面目で寡黙そうなのに、意外と大胆だったんだね」
「う、うん……」
「でもやっぱり、それほどアンが魅力的だったんだよ。思わずキスしちゃうくらいに」
目を伏せ、落ち込んでいるアンに対しネコが優しく声をかける。
「私はネコちゃんが好きなの~。確かに彼氏も欲しいけど、いつもネコちゃんと一緒が良い~」
「私はアンがヒロと付き合ってくれたら嬉しいな。だってそうすればダブルデートが出来るし、私と一緒にいる事も出来るでしょ?」
「確かにそうだけど……。でも違うの!」
「違うって、何が?」
「だって告白もされてないし、そんな雰囲気じゃなかったし、意味が分かんない……」
「う~ん、でも私もやわたんに告白される前にキスされたし、それぐらい積極的な人の方が魅力的だと思うなぁ」
ネコはそう言って、やわたんと初めてキスした時の事を思い出したかのように頬を染めた。
「しかも、今日二人だけで水族館に行こうって誘って来たんだよ? 気まずいよ~」
「でも、オッケーしたんでしょ?」
「うん……。だって断れないもの……」
あのキス事件の後、アン達はグループラインを作り、お互いの連絡先を交換していた。そのため、昨日の夜にアンのスマホにはヒロから水族館へ誘うラインが入って来た。
「ねぇネコちゃんお願い。体を入れ替えて、どういうつもりでキスをしたのか聞いて来てほしいの」
「う~ん。でもせっかくのデートだよ? アンはアンのまま楽しんだ方が良いと思うんだけど」
「無理……。このままじゃ楽しめないよぉ。だからお願い~」
アンが懇願するようにネコに抱きついた。ネコは優し気な表情でアンの背中を撫でると軽く頷いた。
「もぉしょうがないな~。理由を聞いたら、次こそはちゃんとアン自身でデートするんだよ?」
「ウン。分かった」
そして二人は、ベッドに倒れながらキスをした。
恋愛市水族館。ここは県内随一の大きさを誇る水族館で、週末には大勢のカップルや親子連れで賑わう。
一番の目玉は種類が豊富なクラゲ達で、幻想的な光にあてられたミズクラゲは、まるで水中の花のように色鮮かに咲き誇り、訪れるもの全てを満足させていた。
また、入り口に置いてあるクラゲの鐘は、一緒に鳴らした人と生涯一緒になれるというジンクスも人気の一つだった。
そして、その鐘の側に背の高い色黒の少年が立っていた。
ヒロだ。
彼は特に時計などを見る素振りもせず、ただじっと待っていた。
ヒロが水族館に到着してから既に三十分ほど経過している。
だが、それは決して待ち人が遅刻しているというわけではない。ヒロが早めに来て待っているだけだ。約束の時間まではまだ十分程ある。
水族館は既にオープンしており、客たちが続々と入館していくが、そのたびにチラチラとヒロの姿を見ながら通り過ぎていく。
しかし、当のヒロはそんな視線などお構いなしに、ただひたすらアンを待っていた。
来館者が全員入館し終えると、突然ヒロの視界が暗くなった。思わず目をつぶる。
まぶたに感じる手のひらの暖かさ。その感触に少し気分が高まる。
「だ〜れだ」
ヒロは直感的に思った。それはネコと入れ替わったアンだと。声そのものはアンの物だ。だが、アンの性格を考えるとこんな事をするような娘ではない。声のトーンも明らかにいつもと違う。
けれどヒロは返答に困った。素直にアンと言うべきか、入れ替わりを含んだ上でネコと言うべきか。
「ネコ、か?」
「すご〜い、あったり〜〜。良く分かったね」
ネコがヒロの前の躍り出る。やはりその容姿はアンだった。想像した通り、入れ替わりをしているようだった。
そしてヒロは思う。例え中身が別人だとしても、太陽に輝く金髪がきれいだ、と。
「まぁ、アンのことを俺はずっと見ているから」
ヒロはそう言うと、ネコの手をとり歩き出した。
「ほら、行くぞ」
「えっ? ちょちょちょ‥‥」
その強引さに少しだけたじろぐネコだったが、悪い気はしない。少しばかり男性は強引なほうが好みだったからだ。
入り口の券売機で学生二人分をヒロが購入する。
ネコが財布を取り出そうとしたが、その間を与えずに購入してしまった。
「今日は俺が誘ったんだ。だから俺が全部出すよ」
「うん、ありがとう。じゃあお言葉に甘えて奢ってもらっちゃうね」
その笑顔は、アンの時には見せたことのないものだった。もし中身がアンだったら、今みたいに素直に奢られてくれるだろうか。
入場ゲートにチケットのQRコードをかざし、手を繋いだまま入館する。
まず出迎えるように設置されていたのは、大量のイワシがグルグルと泳ぎ続けている円柱形の水槽だった。
泳ぎながら時折大きく口を開けたりしている。
「わぁすごい! ねぇみてみて。イワシの大群だよ」
今度はヒロが腕を引っ張られる番だった。水槽に近づき、間近で延々と泳ぐイワシの群れを見る。
この水族館の常連であるヒロからすれば、何度も見た物では有るが、不思議と飽きが来ない。ネコは目を輝かせながら、絶えず一方向に泳ぎ続けるイワシ達を見ていた。
すると、突然素っ頓狂な声を上げた。
「あれ? 何か違う魚が混じっている気がする!」
その声につられてヒロも今一度水槽を凝視する。イワシ一匹一匹を目で追うのではなく、全体を見つめる様に。
すると、たしかにイワシと違ったシルエットの魚が、イワシたちとは異なるスピードで泳いでいるのが目に入った。
イワシより少し扁平している胴体。尾びれ付近にあるゼイゴ。
「おっ! アジだ」
「え?」
「イワシに混じって一匹だけアジが泳いでるんだよ。ほらあそこ」
ヒロが指でアジをさす。
「どこどこ?」
しかし、絶えず泳ぎ回っている魚を指さしても、すぐにその場所からいなくなってしまう。
「え〜ん。見つけられないよぉ〜」
「真ん中より少し上の方を泳いでるよ。もう少しで一周してくるはずだ」
「う〜ん、やっぱり分からない。でも、違う魚がいるのは間違いないね」
普段から魚の見分けがついているのであればすぐ気づくことが出来るだろう。しかし、あまり興味がなければなかなか違いに気づくことは出来ないだろう。
「さっ、次いこ次」
再びヒロの腕が引かれる。アンもこれぐらい積極的だと嬉しいが、奥手なアンも悪くないと実際の所思っている。むしろ、これから自分色に染めていけば良い。
その後は、深海魚コーナーを見たり、目玉であるクラゲの水中花、イルカのショーを見て周り、気がついたときには既に閉館間近となっていた。
そして二人は、再び幻想的なくらげ水槽の前に来ていた。ほとんどの客は退館したようで、周りに職員もおらず、まるで二人だけの世界になっていた。
「あのさぁヒロくん」
ネコがじっとライトアップされたクラゲを見つめるヒロに声をかける。
「ん? なに?」
「この間、突然アンにキスをしたじゃない? あれって、一体どういうつもりだったの?」
「どういうつもりって、俺とアンは付き合ってるから。キスして当然だろう?」
「え? え? でも、告白とかしてないんでしょ?」
「してはいないけど、それって必ず必要な事なのか? アンって呼ぶことをオーケーしてくれたし、向こうもその気で照れてうまく喋れてなかったみたいだし」
「そ、それは……」
「今日だってすごく楽しかっただろう? 俺とアンの初デート」
「でも、私はネコだよ? アンじゃないもん」
「それは中身の話だろ? 見た目はアンじゃないか。綺麗な髪に魅力的な瞳の輝き。俺は中身がネコだって問題ない。俺にとってはアンなんだから」
グイとヒロがネコの体を引き寄せた。
「ダ、ダメ。人が、来ちゃう……」
重なる二人の唇。幸いにもその姿を目撃したのは、水槽の向こう側のクラゲ達だけだった。
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