第34話 都市伝説は絶対に信じない

「なぁ~、お前さん、都市伝説とか信じないなら、幽霊とか妖怪も信じないのか?」

「まぁ、そうっすね」

「なぜそう思う?」

「えっと、例えばですね、もし幽霊が存在して人の目に見えるなら、そこには幽霊が存在し続けるための孤立したシステムがあります。でも、幽霊に実体はなくて、高純度のエネルギー体として存在するということになるので、どこかしらから正体不明のエネルギーを補給し続けない限り、熱力学第二法則によって次第に拡散していってしまうので、存在することは出来ないかと」


 全て聞き終えると、老婆は自分の額をぺしっと叩いて「あちゃー」と顔を歪ませて。


「ああー……。人よりちょっと科学の知識があるからって科学者気どりする痛い奴かぁー……」

「ちちっ、違わい! 俺はちゃんと科学者だ!」

「そんなのどうでもいいわい。……ただ、一つ気になる点があった。お前さんの言わんとすることはつまり、「幽霊はエネルギーの補給が出来ないから存在することは不可能」って言うことじゃな?」

「まぁ、はい」

「……実はな、エネルギーの補給が可能なんじゃよ」


 にへっと醜く嗤って、老婆は自身が見に纏うドテラらしき着物の帯に手を掛けた。


「……? ……え!? ちょちょちょ何脱いでんすか!?」

「喚くな、気持ち悪いわ。……ほれ、あたしの「燃料タンク」じゃ」


 そう言って、老婆は着物の襟を両手でつまみ、俺に見せびらかすようにぴらりと開く。


「……!」


 知らず、俺は息を呑んでいた。

 感覚は必死に訴え続けるが、脳でそれを理解できない。

 着物の中に見えたのは、ブラジャーでも、かといって乳房でもなく。


「……生きた人間のタマシイを積み込んで、エネルギーを補給しとるんじゃよ」


 うようよと蠢く、たくさんの人間の顔だった。

 どれもこれもが、目の無い、血の気の引いた青白い顔をぐしゃぐしゃに歪めて泣き叫んでいるようだ。

 体の芯が、一気に冷たく、重くなっていくのを感じる。


「……さて、あたしがどうしてお前さんに目をつけたか分かるか?」


 言いつつ、老婆は襟を閉じて帯を直す。

 帯を締め直した手で、自分のお腹を指さし、


「これのためじゃよ」


 ぎょろぎょろした目がこちらを見て、ひび割れた唇が不敵に微笑む。

 ぞっと、悪寒が走った。

 逃げなくては、と、俺の無意識、或いは動物的本能が大声で叫ぶ。

 何かを思うより先に、俺の足がひとりでに後ずさっていた。

 それを見かねた老婆が、眼を細くして、


「逃げようったって無駄じゃぞ? どーせあたしの方がからなぁ」

「……ッ……!」


 やはりコイツは、コイツの言う通り都市伝説なのかッ……!?

 「都市伝説」? 「ターボババア」?

 ……あり得ない。そんな奴らの不可能性はとうの昔に自分の手で証明したはずだ。

 ……なのに。

 なのに、目の前にいるコイツは、何なんだ!?

 

「……さて」


 いびつに歪んだ口から、かすれた声が漏れる。

 全身が氷漬けのように冷たくなって、まるで一歩も動けないのに、それでも心臓だけは「今すぐ逃げろ」と急かしてくる。


「突然じゃが、今からあたしとをせんか?」

「……レース……?」

「そう。あたしと、お前さんとの、じゃ」


 命を懸けた、駆けっこ、レース……!?


「あたしが生命力溢れるタマシイを喰うときは、いつもこれをするようにしてるんじゃが、どうじゃ? やらんか?」

「……いっ、いのっ、って、どういうことだッ!」

「は? いや、そんままじゃよ。お前さんが負けたらあたしに喰われ、勝てば見逃してやる。勝負を受けなければ問答無用で喰う」

「いっ……!」


 こんな人間じゃないみたいな奴と駆けっこで、負けたら喰われ、勝負しなくても喰われる。

 そんなの、いくら何でもあんまりだろう?

「ターボババア」と? 「駆けっこ」? ……馬鹿げてる。全く馬鹿げてる。なぜ? どうして? こんなのは悪い夢だ。意味が分からな……いや、待てよ、どこかで……待て待つんだ、落ち着け冷静になれ俺。頑張れ私、今日もカワイイ。……そう、これは、そうだ。


「……オイッ! お前、知ってるぞッ! たしか、「ターボババアに追い抜かれたらタマシイを奪われる」とかだッ! 何かで読んだ気がするッ!」


 部室で適当に手に取った本を適当に流し読みしていた記憶が、うっすらと蘇る。

 確かあれは、都市伝説に関する本。

 本当なら、「ターボババア」という名前を聞いた時点で思い出すべきだった。


「御存知なのは何よりじゃが、その、別に全然そんなことはないぞ。単なる「味付け」のためにやっとることじゃよ」

「味付け……?」

「……真っ暗に絶望して、生きることを諦めたタマシイがな、いっちばん美味いんじゃよ」


 何の気なしにあっけらかんと言う老婆。

 何てことない表情に、今まで一度も感じたことのないくらいの恐怖が湧き上がってくるようで。

 その言葉は、誰に対してでもないごく普通の口調のはずなのに、明確な悪意がまっすぐ俺に向いている。

 底冷えするような真っ青な感情が、心の中でぐるぐると渦巻く。

 足が竦んで、体が勝手に震えてくる。

 そんな俺の様子を眺めて、老婆は真っ黒な笑顔でにっこり笑って言う。


「そうそう、その顔じゃよ! その怯え方その目その口元、その表情その汗その恐怖! やっぱり若いアベックを怖がらせるのはいいよなぁ~!」


 今まで、自分がその「存在の不可能性」を信じて疑わなかった「存在」が、今、俺の目の前で、俺を見てケタケタ嗤っている。


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