第35話 正直この勝負降りたい

「この山を囲むように、道路がまる~く敷いてある。そこがコースじゃ。……もちろん、やるよなぁ?」


 どす黒く濁った眼に見つめられ、俺はやむなく首を縦に振る。

 頷いた時、額の汗が頬を伝って零れ落ち、地面のアスファルトに黒い点が出来た。

 ……さて。俺は、これから何とかして「生きる方法」を探さなければならない。

 それは、「都市伝説」に駆けっこで勝つ方法。

 掴めなければ俺は「都市伝説」に喰い殺されるらしい。

 そう思うと、体の中がずっと冷え込んだ気がした。


「その意気や良し。では、……まぁ、意味ないたぁ思うが、一応ルールでも決めとくか。まず、山の周りをぐるっと回って一周とする。コースアウト、つまり道路の外に一歩でも踏み出したら負けじゃ。相手への妨害行為は……まぁー……お前さんにだけ許可するとしよう」

「……」

「ま、どうせ出来んがな。どうじゃ? このルール、雰囲気出るじゃろ?」


 冗談めかしたその言葉に、微苦笑も返せない。

 だから代わりに、せめてもの反逆を何とか言葉に抽出して、これから始まる「デスレース」の対戦相手へぶつける。


「……俺はガチで勝ちに行くからな。マジナメるなよ」


 ため息とともに漏れ出た俺の宣戦布告に、老婆は目を細めていやらしく嗤った。


「……素晴らしい。素晴らしい生への執着じゃ。こんなに負かし甲斐のある対戦相手は全く久しぶりじゃよ。……では早速、位置について貰おうかの」

「走る方向はこっちだな?」

「うむ」


 俺たちは何となくの位置に並んで、それぞれが走りだす態勢を取る。

 真っ暗な口を開けるトンネルに背を向け、左側にはすぐ山の斜面。右手に老婆がいて、その奥に崖が見下ろせる。

 スニーカーの裏で道路をなぞると、ごつごつした表面と擦れてざざっという音がした。

 本当に、ため息が出る。

 体育測定、運動会における「駆けっこ」とはまるで違うこの感情。

「うわー、かったる」とか、「クラスのみんなにはずいとこ見られたらヤダなぁ……」なんて弱音は、まるで他愛もない、可愛いもんだ。もう超可愛い。幼女くらい可愛い。幼女可愛がる俺キモい。

 でも、今は違う。他でもない、命が懸かっている。

 両足それぞれの位置を適当に調整して、50m走のスタートの体勢。

 走るのは、一つの山をぐるっと取り囲んだ古い道路。左カーブのみのコースだ。

 恐らく俺が何かスタートに工夫を凝らしたところで、何の意味もないことは分かっている。

 片や、ちらと右を見れば、老婆はバリバリのクラウチングを決めていた。年齢を感じさせない、真っ直ぐと調和の取れた綺麗なクラウチング。なに? 陸上経験者?

 俺の視線に気づき、それを準備完了の意と受け取ったのか、腰を上下に揺らしながら。


「んじゃ、始めるとするか」


 木々がわしゃわしゃと騒いでいる。やけに冷たい風が、木々の間を縫って全身を撫でた。

 ……たぶんコイツの認識では、俺という存在は「多少背の高い男子高校生」に留まるのだろう。

 もしくは、ただの「食事」。「燃料」。「畜生」。

 ここで、なぜ「都市伝説」ともあろう存在が、何の変哲もない「男子高校生」「食事」と駆けっこ勝負をするのか?


 ふと浮かんだ考えではこうだ。

 最初コイツは、競争相手の人間と同じか、それより少し早いペースに調整して走る。

 相手の人間にとっては、レースに勝つことしか生きる方法がない。よって、少しでもチャンスを感じられれば死に物狂いで走るだろう。

 それこそが隣のコイツ、「ターボババア」の狙いだ。

 予想できるのは、途方もなく長い距離を走らせるか、突然圧倒的なスピードを見せつけること。淡く輝く希望を目の前にチラつかせ、散々に追い込んだ後、一気にどん底に落とす。そうして、相手の僅かな希望を最後の一滴まで搾り取り、希望の絶えた状態、つまり完全に「絶望」させるのだ。

 「食事」側にとっては「命の懸かった」「絶対に負けられない」「レース」だが、コイツにとっては「レース」ほどの価値もない。ただの「もてああそび」だ。


 だが、「チーター」ならどうか?

 それを今から確かめる。


「……言い忘れてたんじゃが、先に一万周した方が勝ちな」

「……」


 やっぱりな。


「では、……オンユアマーク。セッ」


 陸上経験者じゃねぇか。


「スタート!」


 がらがらの老声を合図に、今、「命を懸けた」駆けっこ勝負の火蓋が切って落とされた。


「ドドシュン」


『マクスウェル』。

 紅いエネルギーが指先から飛び出し、二筋の光を描いて、緩やかにスタートする老婆へと向かう。

 有無を言わさず先手必勝! いつもおもってたんだ……なんでみんなさいしょにひっさつわざをつかわないんだろうって。

 しかし、俺の必殺技、『マクスウェル』の銃弾は。


「……」


 まるで煙であるかのように、『マクスウェル』は老婆の体をすり抜けた。

 ……まぁ、そうだよな。

 何となく予想はしていたことだ。

 手を握られたあの時から今までの間、俺が何回「止まれ!」と念じたことか。

「花」が効かないのなら、同じく『チート』である『マクスウェル』も効果がないと疑うのが自然。

『チート』が効くのなら、そもそもこんな勝負には乗っていない。

 老婆は、何かに気付いた様子もなく、俺より少し早いスピードで前を走っている。

 ドテラの端がピラピラと靡くのが見える。それを掴む気持ちで、踏み出す足に力を込めた。

 ……スマホも、「このすば」二巻も、ペンも、枕も、車も、春川も、「止まった」のに。

 それでも「止まら」ないコイツは何なんだよ!?

 ……作戦変更。「環境」で攻撃する。


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