第33話 都市伝説は信じない

「うおっ!? えっ、ちょっ、だ、誰すか」

「ケヒヒ……」


 老婆が、俺を見上げてにんまりと嗤う。

 枯れた木のような右手からは、その細さに見合わない強い力を感じて。

 わしゃわしゃとした白い髪の隙間から、真っ黒な両目が覗く。

 ……このおばあさんは、誰だ?


「いや、その、どちら様、ですか?」

「…………。ケヒヒ……」


 老婆はケタケタと怪しく嗤うだけで、何も意味を成すことを口にしない。

 初対面の雰囲気では言い出しづらいのだろうか。ならば、茶々の一つでも入れてコミュニケーションの円滑化を図ろう。


「……えっと、羅生門の上にいた人ですか? あの、死体から髪を抜いて、かつらを作ろうとしてました?」

「……? ケ、ケヒヒ……」


 よくよく見てみれば、おばあさんはどこか腑に落ちないような顔をしている。何か手を貸してほしい悩み事とかあるのだろうか。手を強く握っているのも、どうしても俺に手伝ってほしいという気持ちの表れだろうか。それとも芥川龍之介知らないのだろうか。今ボケたんだけどな。


「……え、あ、何すか? えっと、その、何かお困りですか?」


 力になれることがあれば、何でも積極的に手伝おう。市全体でお年寄りに優しい街づくりに取り組んでいるので、この行動はきっと間違いじゃない。

 

「俺でよければ、何かお手伝いしますけど……」

「…………。……いや、その、あんなぁ」


 色の悪い唇から、しわがれた声が絞りだされる。


「はい、何すか?」

「えっと、なんかこう、もうちょっと、驚くとかないんか?」

「……は?」


 ……驚く?


「……いや、だからな、彼女に差し出した手をじゃぞ? 得体の知れんババアが握っとったら、もっとビビるじゃろ普通」

「かかかかか彼女じゃねぇし」

「何で反応するとこソコなんじゃ……」

「……それに。何でおばあさんにビビらなきゃいけないんですか?」

「は? ……え、いや、だって、怖いじゃろ?」

「まぁ、そりゃビビるけど、ただのおばあちゃんじゃないすか。何が怖いんですか?」


「は?」と言わんばかりの表情でしばらくぽかんとしていた老婆だが、ああそうかと合点がいったようで、再び口を開く。


「なるほどのう。から怖くないのか」

「……ど、どういうことですか?」


 真意を測りかねて、思わず問う。

 それに対し、老婆はやれやれと言った風に。


「よく考えてもみろ、手を握られて振り返ったら、愛しの彼女じゃのうて気味の悪いババアがこっちを見とったんじゃぞ? これはもうかなんかじゃろぉ~」

「……いやいや、彼女じゃないし、都市伝説とかありえないし」

「それが、あり得るんじゃなぁ~。まぁ、自分で言うのもなんじゃが、……あたしゃあ、

「……は?」


 ……突然何を言い出すんだコイツは。あれか? 中二病か? でも、六十年近く経ってもまだ卒業できてないのはあり得ないよなぁ……。

 そんなことを思いながら自然首を傾げると、老婆はどこか諦めたようで。


「……いや、百聞は一見にしかずじゃな。ちょっと見せてやるから、あたしの姿をよぉ~く見ておれ。決して目を離すのではないぞぉ~?」

「そんな、俺のことだけ見てろみたいな……」

「では、行くぞぃ」

「えっあ、はい」


 何が始まるのかは分からないが、とりあえず言われた通りにと老婆の真っ黒な両目をしっかりと見つめる。

 そう、見つめていたのだが。


「……え?」


 消えた。

 瞬きした瞬間、誰もいない道路が見え、そこには誰もいない。


「えッ!?」


 はっと辺りを見回すが、鬱蒼とした木々、古びた道路、その奥のトンネル、そしてまた木々。

 左側は崖のようになっていて、右側は逆に山の斜面がそびえている。

 だが、そんな崖や斜面の林の中にも、道路やトンネルの中にも、古びたぼろきれのような老婆の姿は見えない。


「ここじゃよ」


 上から、くしゃくしゃの声が聞こえた。

 はっと見れば、トンネルのアーチの上に立ち、ニヤニヤと嗤う老婆の姿が。


「……」

「ッと。どうじゃ、分かったじゃろ?」


 驚きで声が出ない俺の前にタンと着地し、不気味で不敵な笑みを浮かべる老婆。

 左側の下の方の木々も、右側の上の方の木々も、みな一斉に騒ぎ出したように感じる。

 気付くと俺は、老婆に向かって人差し指を構えていた。


「なっ、何だオマエ!! 何者だッ!!」


 危険信号が激しく点滅している。

 ……おかしい! 何だ今のは!

 今目の前のコイツは、ニヤニヤ笑ってこっちを見ているコイツは、絶対に人間じゃない!

 老婆は更に近づいて来て、俺はその度に後ずさる。

 すると、それまで貼り付いていた気味の悪い醜い笑顔がすっと消え、急に死人のような冷たい真顔になって、老婆は言う。


「……お前さん、なんかつまらんのぉ。警戒するんじゃなくって、こう、わっと驚いてガタガタ怯えてほしいんじゃけどなぁ~。……まぁいい。何者だ、と言ったな」


 命がまるで感じられない灰色の表情の中で、口元だけがにやりと動いた。

 そこから、しわがれた重々しい声が、がさがさと吐き出される。


「……都市伝説の中では結構有名なほうらしいが……、、と呼ばれておる」

「……たっ、田んぼババア……!?」


 と、老婆がその場でがっくりとコケて、大声で言い返してきた。


「田んぼババアじゃねぇ! ターボババアじゃ! 二度と間違えんなよ!」

「ターボ、ババア……!?」


 ターボババアだと……!?

 ターボはturbo、「タービン」や「ターボチャージャー」の意味。

 ババアはBBA、「クソババア」とあるように、老年の女性に対する蔑称だ。

 では、「ターボババア」とは……!?


「……おい、お前さん、都市伝説とか知らん口か?」

「……知らないっていうか、信じない口です」

「……」

「ていうか、何でターボなんですか? 体のどこかにタービン埋め込まれてるんですか?」


 俺の問いには答えず、老婆改めターボババアは深いため息を一つつき、少々苛立ちを交えて言う。


「信じない、信じないか……。……じゃあ、今から信じさせてやるよ」


 ざらざらとかさついた声のはずなのに、その言葉は嫌にはっきりと耳に残った。


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