第5話 もっかい席替えしたい

「……あんたが隣?」


 亜麻色のポニーテールが、ふよっと揺れる。

 大きな瞳を細めて俺を睨みつけるのは、同じクラスの女子、春川遥。

 女子のトップカーストに属し、常に陽キャどもときゃいきゃい騒いでるような奴。

 その容姿とは裏腹に、性格は相当きついと聞く。

 つまり、俺の一番苦手とする相手だ。


「ええ、まぁ、そうですけど」


 隣に荷物詰めてんだから、見りゃ分かんだろ。今からお前の重力を十倍にしてやろうか?あ?


「ふーん。……よろしく」


 興味なさげにぷいっと目を逸らし、春川は荷物の整理を始めた。

 俺は分かった。

 神はいない。あの女神は偽物だ。

 もしくは、全く仕事をしていない。




「はいこれ、譲!」

「おらよ! おごりだぜ!」

「大事に飲めよ!」


 俺の机の上に、三つの紙パックがどんと置かれた。 


「これは……?」

「だから、退院祝いだよ!」


 三つの、同じデザインの紙パック。

 その内の一つを取ると、結露でついた水滴が何とも冷たく感じた。

「おいしい牛乳<バニラ>」。

 牛乳なの?バニラなの?と疑問が絶えない商品名だが、味は牛乳とバニラのちょうど中間なのが恐ろしい。

 ストローをぷっと刺して、ちゅっと飲んでみる。


「……何だこれッ!? ンまいなぁあぁぁッ!!」


 牛乳が、ぶしゅっと溢れて床に飛び散る。


「うはっ、きたな! こぼしすぎだろ!」

「出た、ごま蜜団子!」

「ぎゃっはははは、おもしれー!」


 そうそう、これをやって欲しくて「おいしい牛乳」寄こしてきたんだろ? 拭くのが面倒なんだぜ……。

 こんなバカみたいなことで笑えるのは、やっぱりこいつ等とだけだ。やれやれ、いい友達じゃあないか……。

 休み時間が終われば、次は物理の授業。

 ……最悪のパートナーと望む、初の授業。




 一文字先生が例題を黒板に書き、チョークがコツコツと音を立てる。……一文字先生? あ、一ノ瀬先生か。


「じゃあここ、春川」

「は、はいっ」


 椅子がガタッと鳴り、俺の隣人・春川遥はすっくと立ち上がる。……俺の隣に居んな。どっか行け。地面の摩擦を奪ってやろうか?あ?


「……」

「おい、どうした?台車の速度は?」

「えっと……」

「……周りの奴は助けてやりなさい」


 物理の授業では、「助け合い制度」なるものが存在する。

 当てられて分からなかった生徒は、隣や前後、斜めなどの自身の周辺の生徒に助けを求めることができるのだ。

 ……全く、悪しき風習である。

 この必要性皆無のゴミ制度のお陰で、春川遥とかいう俺が一番苦手とするタイプの、本当に極力関わりたくない女子に、猿でも解ける問題の答えを教える義務が生まれてしまったではないか。

 獣に怯える小動物のような、そんなおどおどした表情を貼り付けて、春川はチラチラとこちらを見てくる。……そんな目で見んじゃねぇ! 顔が無駄に良い分、全力で助けたくなっちゃうだろうが! 庇護欲湧いちゃうだろうが!

 俺は無言でノートを差し出し、答えの書いたところをシャーペンでトントンと示す。チクショウ、なんで俺がこんな……! ……決めた、摩擦係数を百倍にして椅子を引けなくしてやろう。

 そんな、どうしようもないことを思っていると。

 春川は俺のノートをしげしげと覗き込み、そして、ぱぁっと笑った。

 その時、その瞬間、俺の心臓がふいに掴まれた。

 その笑顔は、どんなものよりも純粋で、澄みきっていて、明るく、鮮やかで。

 まるで、可憐な一凛の花がふわっと咲くように。

 ――可愛い。

 そう思ってしまった。

 春川は前を向き、ぱっと顔を上げると……


「はい!」

「春川、分かったか」

「いってんよんかけじゅうのさんじょうです!」


 1.4×10³m/s!!!?

 ちょっとした坂の上から転がしただけなのに、音速超えちゃったよ!

 ……コイツ、バカだったぁぁぁぁぁ!!




「……あんたのせいだからね」

「は?」

「……さっきの。あんたが間違えてたせいで、わたしが間違えちゃったじゃん」


 ジトっとした目が、隣からこちらを見ていた。


「いや、俺はちゃんと書いてた。お前が読み間違えたんだよ」

「じゃあ、字が汚いのが悪い!」

「いくら字が汚くても、力学台車が坂下りたくらいで音速超えるわけねーだろ。自分で言うときに気付けよ。(バカだな)」

「今、バカって言った?」


 今の聞こえたの!? 超小声で言ったんだけど! なんならほとんど言ってないまである。


「言ってないです」

「……じゃあなんて言ったの?」

「あれです、あのー……ハカ、そう、ハカです。オーストラリアの」

「何それ? 意味分かんない」

「やっぱバカじゃねぇか」

「やっぱバカって言った! じゃああたしも、あんたのこと「童貞」って言わせてもらうからね!」

「ちょ、なんでだよ! なんでそーなる!」

「じゃあ違うの!?」


 ……違わねーよチクショウ! このクソビッチが!


「……」

「答えないってことは、童貞なんじゃん! キモいんだよ、この童貞!」


 ……コイツ、可愛くねぇぇぇぇ!!

 やっぱ可愛くねぇわ! もう絶対答え教えねぇ!


「テメェ! 言っちゃいけないことってあるだろ!」


 こうなったらもう、徹底的に分からせてやる。

 つい先日手に入れた、このチートみたいな能力で。


「あはははは! ど・う・てい! ど・う・てい! ど・う・キャッ!?」


 春川は、三回目の童貞コールの途中でつるんと椅子から転げ落ちた。


「くっそぉ、いったぁ……!」


 顔をしかめながらお尻をさする。


「ありゃりゃ、童貞童貞言い過ぎた罰だな。お前は童貞を怒らせた」

「そっ、そんなワケないじゃん。童貞なのが悪いんじゃん」

「そんなワケあるんだなぁ~、これが」


 春川は立ち上がり、椅子に座ろうとするが、再びつるんっと滑って地面にお尻を強打する。


「あいったぁ~! なんでよ!」


 それは勿論、お前が童貞をバカにしたから。

 ―俺が、椅子の摩擦係数を「0」にしておいた。

 コイツも運の悪い奴だな、たまたまバカにしたのが物理法則を操れる童貞だったなんて!


「あれ、座り方分かんないんですかぁ? それってもう猿以下じゃないですかぁ?」

「てんめぇぇ……!」


 フン、怒った顔はちょっと可愛いな、なんつって。

 そういえば、朝会ったあの子、清楚な感じでめちゃめちゃ可愛かったなぁ……。

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