第4話 チートで女の子を助けたい

 ワンボックスカーの四つのタイヤに、一つずつ印が貼り付く。

 もう、何をどう変えたかなんて気にしていられない。

 鞄を放り出し、彼女の方へと駆け出す。

 横断歩道の上で、車を見つめたまま固まっている彼女の腕を捕まえて、そのまま歩道側にぐいっと引き寄せる。

 ギリギリで渡ろうとすんじゃねぇ!

 異世界転生しちゃうだろうが……!


「えっ、ちょ!?」


 彼女の腕は細く、白く、美しかった。

 引き寄せられて、細身の体が俺の胸にぽすっと収まる。


「キィィィィィギュッ」


 その奥で、黒のワンボックスカーが、タイヤから突然絞られたような音を出して、ぐんっと止まった。

 どうやら、『マクスウェル』は、無事に発動したようだ。

 ……タイヤがブレーキをかけたら、一瞬で止まれるように。

 ――摩擦係数を増やしておいた。それも、何十倍に。


「あの……」


 胸元から、か細い声がした。


「あの、当たって、るんですけど……」

「え?」


 お腹辺りに押し付けられる、何やら柔らかい感触。

 ……そうだ、そうだった。


「えっああ、すすすいません!」


 掴んでいた手をパッと離すと、彼女はすすっと二歩下がり、すぐさま俺から距離を取った。


「あっ、あのっ、助けてくれて、あっ、ありがとうございます!」


 少し離れた位置から、彼女はペコっと頭を下げる。

 絹のように艶やかな黒髪が、彼女の肩からだらだらっと流れた。

 はらっと下りた前髪の隙間から、真っ赤に染まった頬が見えた。


「じゃあ私これで!」

「あっ……」


 そう言って彼女は、ぱたぱたと駆けていく。

 残された俺は、ほんのしばらく呆然としていた。

 ふと気づき、腕時計を見る。

 時刻は、「いっけなーい☆ 遅刻遅刻!」レベルではなかったが、このままでは少し急いだほうが良さそうだ。

「このすば」が十七巻入った重い鞄を拾い上げて、再び歩き出す。 ……いや重いな!




 教室の扉を開くと、がらがらっと音が鳴った。


「あっ、譲! 生きてたのか!」

「ジョジョ! トラックに轢かれたって聞いたけど、大丈夫か!?」

「ジョジョ! 待ってたぜ!」


 このように、友達の中で俺をちゃんと名前で呼んでくれる人はごく少数である。


「ああ、まぁ、ダイジョブだった」

「はっ、なんだよソレ~! ……まぁ、無事でよかったじゃあないか!」

「それじゃあ、退院祝いしなきゃな!」

「購買で何か買ってくるわ! ジョジョ!」


 全く……いい友達じゃあないか。

 でも、ジョジョやめて?




「おっ、城ケ崎じゃないか」

「あ、先生」


 そろそろ朝のSHR《ショートホームルーム》の時間というところに、我らが担任・一ノ瀬一乃は俺を見つけ、声をかけてきた。

 ぱっとした目鼻立ちに、大人の女性を思わせるような高身長。その頭に、テイオーなポニーテールが揺れる。

 キモは、「一ノ瀬先生」と呼んでも「一乃先生」と呼んでも「せ」の一文字しか変わらないことだ。一ノ瀬? 一乃? 一文字? 何かややこしいな。


「学校……来れたんだな」

「まぁ、はい」


 だから、俺が不登校みたいなのやめろ。

 ……あと先生、いい年してジャージもやめて下さい。もっと服装に気を使って下さい。余計にテイオーに見えます。やめて下さい。


「怪我は無いんだな?」

「はい、ダイジョブです」

「なら良かった。心配したんだぞ~?」


 一ノ瀬先生の、ちょっと怒ったような、拗ねたような顔に、少しばかりドキッとする。俺より年上のはずなのに、今めっちゃ可愛かった。なんでだろう。

 一乃先生が、C-SHOCKの腕時計をちらっと見る。だから、顔は良いんだからもっと可愛いもん着ろ! 身につけろ! 纏え!


「あっ、そろそろだな。席に着きなさい」

「うっす」


 それにしても、SHRとSBRって似てるよなぁ……。




「はい次、譲」


 席替え係の男子生徒が、小さめの段ボール箱を差し出してくる。


「えっ、今日席替えなの?」

「だって、もう新しい月じゃん」

「そっか……」


 円形にくりぬかれた穴に、俺は手を伸ばす。

 席替えならば、俺の望むことは一つ。

 一番後ろの席来い、一番後ろの席来い……!


「……」


 手の先が、紙片の端に当たってかさかさと音を立てる。

 これだッ……!

 ばっと手を引っこ抜いて、四つ折りの紙片をぴらりと開ける。


「……なんでローマ数字?」


「変えてみたんだけど、どう?なんかオシャレじゃね?」


 オシャレかは知らないけど、過去に文明の発展を妨げたんだよなぁ……。


「……読めないんですけど」


「……それは、えっと、18番だな」


「18番……」


 クラスの机の並びは正方形に6×6の36で、左上を1として前から数える。

 つまるところ……


「一番後ろだな、やったじゃん」


 おお、神よ……!




 席の移動で、教室内はひとしきりざわざわしていた。

 俺は、心の中で主神に祈りを捧げつつ、机の中にあった荷物をまとめ、両手に抱える。

 神様、やはりあなたはいらっしゃったのですね……! 二回連続で一番前になったときなんて、神なんて絶対いないだろって思っちゃいましたよ……! なんてことを考えながら、うきうきで教室の後方へ向かう。

 新しい俺の席は、左から三列目の一番後ろ。

 その机の上に、持っていた教科書類を置き、改めて教室を見渡す。

 ……絶景かな。

 神様、有り難き幸せ……! チートまで貰っちゃって、こんなの良いんですか!?

 再び主神に祈りを捧げながら、教科書やノートをせっせと机の中に入れる。


「ダン」


 隣の席に、重い教科書類が勢いよく置かれた。

 隣の席。

 そこは、異性が座る場所にして、席替えが孕む最大・最恐の不安要素。

 隣同士となった異性とは、一か月の間、授業中のペアワークを強要され、食事の際は向かい合い、時に協力して問題に向かわなければならない。

「パートナー」「運命共同体」と言えば聞こえは良いかもしれないが、「パートナー」は普通にキモいし、隣になっただけで運命を感じる思考が既に童貞チックだ。いやまぁそうなんですけど。

 ――俺は、忘れていたのだ。「最大・最恐の不安要素」の存在を。

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