第2話 もはやチートじゃない

 瞼の裏に、光が差し込む。

 朦朧とした意識の中で、俺は目を開ける判断をする。

 真っ白な天井が見え、それからたくさんの人の顔が見える。

 驚いた顔、口元を押さえて涙を流す顔、泣き崩れる顔……。

 見知った顔もあった。


「え……?」

「じょ、譲! 見える!? お母さんの顔が見える!?」

「譲! 生きてるんだな! 譲!」


 父と母は、腫れた目で俺の顔を覗き込んで、しきりに俺の名を呼んでいる。

 おい両親、あんた達が付けた名前のせいで、友達から「ジョジョ」とか「俺ガイル」とかって呼ばれてんだぞ。


「ん、ああ。生きてる……みたい」

「よ゛がっだぁ゛!じん゛ばい゛じだん゛だがら゛ぁ゛!!」


 体中の穴という穴から液体を垂れ流した母親が、俺のベッドに覆いかぶさってくる。いや、泣きすぎだから。古文の登場人物かってくらい泣きすぎだから。にしても、和歌詠む奴ってマジですぐ泣く。しかもそれを全部袖で拭くし。ちゃんと服洗え。


「ちょ、母さ……きたな! 汚いよ!」

「奈央子、このハンカチで鼻水を……おっと、自分の涙で既にびしょびしょだった! はっは!」


 父さんも何してんだよ。何そのハンカチ、絞ってない雑巾みたいになってんだよ。垂れてる! 垂れてるから!

 辺りを見回すに、やはりここは病室らしい。

 白いカーテンや白いシーツからは、清潔な印象を受ける。

 左の窓は少しだけ開いていて、柔らかな風が俺の頬を撫でてゆく。

 右の方には胸の高さくらいの小さな机があり、その上にはガラスの花瓶が置かれていて、黄色い花が活けられていた。


「ちょっとすいません、開けてもらえますか」

「ああ、すいません」


 見知らぬ顔と、目が合う。


「目が覚めましたか? 譲くん」


 丸眼鏡に、綺麗に剃られた頭。

 両親に場所を譲られ俺の目の前に出てきたのは、真っ白な白衣に身を包んだ、恐らく医者であろう人物。

 喜び半分、真面目さ半分の何だか歪んだ表情の彼は、ベッドのそばで直立したまま俺の顔を覗き込む。


「いいですか、落ち着いて聞いてください」


 お前はソレ言っちゃあかんのよ。


「あなたは、トラックに轢かれました。いや、無理に思い出す必要はありませんから、そのまま私の話を聞いてください」

「……はい」

「実は、トラックはあまりスピードが出ておらず、早めにブレーキも踏んだため、あなたは軽い擦り傷と打撲で済みました」

「え!?」


 じゃあなんで俺死んだことになってたの!?


「しかし、吹っ飛ばされた衝撃で気絶し、今の今まで目覚めることはありませんでした。……どうやら、脳自体が「自分は死んだ」と認識していたようなのです」

「……!」


 脳が、自分の死を認識していたと……!

 でも死んでないよね、俺?

 ……つまり、勘違い、思い違い、心得違いってコト!?

 俺、ダサっ!!


「なので、大した怪我もしていませんし、後遺症も当然残りません。このあと、体の動作確認のための軽いリハビリがありますので、今日までは入院していてください」

「……分かりました」




 がらんとした病室を、一人で眺める。

 両親は、仕事を抜け出して来ているため、俺が目覚め、明日には退院できることを知ると、さっさと仕事に行ってしまった。うーん、模範的社畜。

 聞くところによると、俺は丸一日気を失っていたらしい。

 しかし、気を失っていたわけではなく、俺の意識は確かに存在していた。

 憶えているのだ。あの女性を。

 あの女性がいた空間を。あのバカみたいなやり取りを。

 そして、特殊能力のことを。

 でも、今となってはそれが現実か見当もつかない。もしかすると、気を失っていた間に見た夢だったのかもしれない。夢にしては結構イカレてやがったな。

 両親が外の自販機で買って来てくれたポカイを飲もうと、右の机に手を伸ばす。

 体勢を変えたことで、突然、膝にずきっとした痛みが走った。


「痛っ!」


 伸ばした手がぶれて、花瓶に当たってしまう。

 花瓶はくらくらと揺れながら少しずつ移動し、机の端に乗り出す。

 マズい、落ちる……!


「ドシュン」


 その瞬間、はっと伸ばした俺の手の指先から、「何か」が飛び出た。

 右手の人差し指の先から発射された「何か」は、ビタッと花瓶の表面に貼り付く。


「うわっ! ……エッ!?」


 驚くべきことに、今まさに落下しようとしていた花瓶が、傾いたまま机の上で静止した。

 何だよ、何だ今の!?

 何か、出て、止まった!?

 恐る恐る、花瓶に顔を近づける。

 花瓶は三十度くらい左に傾いたまま、ぴったりと止まっていた。


「えぇぇ……」


 あり得ない。

 こんなことはあり得ない。

 花瓶は机の端に半分以上乗り出してるし、この角度なら重心は机の外に出ているだろう。

 なのに、これは?

 それが現実で、それも目の前で起きているのだ。


「あり得ねぇ……」


 花瓶を見つめていると、ガラスの表面に今までなかったものを見つけた。

 ヤギの頭蓋骨のような、赤色の模様。

 ちょっと前に見た時には、無かった。


「んだこれ……」


 その模様を見つめていると、模様がだんだんと形を変えていく。


「えっ?」


 赤い部分が集まっていき、数本の線のようになって、その線がぐるぐると動き出す。

 程なくして、その線が止まった。


「……g=0.98……?」


 いや、確かにそう書いてある。

 赤い文字で、パソコンで打ったような綺麗な文字でそう書いてあるのだ。

 でも、どういう意味なんだ?

 gは、重力加速度……?

 gは、0.98である、という意味……?

 重力が、十分の一になったってことか!?


「……ッ!」


 今、物理法則を操った!?

 それも、俺が!?

 重力とはすなわち、地球から受ける万有引力。重力加速度gは、9.8から決して変わらない。

 しかしそれを、十分の一にした!?

 もしそうであるならば、目の前のこの不可解な現象は説明がつかないでもない。

 ……では。

 ということは。


「マジかよ……」


 あの記憶は、夢だと思っていた映像は。

 あの、女神のような女性は。

 俺が貰った、転生特典チートは。

 ……本物だったのだ。



 ☆文系の皆さんへ☆

 よく分かんなかったら、「絶対に変えられないものを変えた」と思ってもらって構いません。


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