第25話 閑話 ラトマ・シュヴェーヌマン
港町ミグの地下牢にて。
「海軍【バタリオン】総司令官ラトマ・シュヴェーヌマンよ。父に会いに来たの。道を開けなさい」
赤いマントと白いミニスカートの少女が、地下牢の番人に声をかけた。
「お待ちを。ミグの国王からの指示で、ここには誰も通すなと。まして、あなたのお父上は処刑される身です。身内の面会は、脱走の危険が……」
「いいから」
「はっ、はあ……」
意識をなくした兵隊が、道を開けた。槍を抱きしめながら、腰をくねらせて身震いをしている。
ラトマは彼らの脳を強制的に絶頂に導いて、いうことを聞かせたのだ。彼らには、「ラトマを抱いている夢」を見させている。
強情だが精神的に弱い人間には、これが一番効く。
用事が済んだ頃には、兵士はラトマがここに来たことすら覚えていまい。
ラトマが通り過ぎるたび、囚人たちがうっとりとした表情になる。ラトマクラスの美人が地下牢に来たら、普段から抑圧されている囚人がまともでいられるはずがない。劣情を爆発させるものだ。しかし、おとなしくなっている。死を覚悟した猛獣のように。
彼ら囚人たちは、ラトマの美貌に恐れをなしつつ見惚れているのだ。彼らは、ラトマがなにをするかには興味を示さない。「美少女は排泄をしない」という迷信の通り、ラトマがこれから凄惨なショーをするとは想像すらできないのだ。
シュヴェーヌマン伯爵の収監されている牢屋の前に、ラトマは立つ。
「ラトマ! 我が娘!」
鉄格子にしがみつき、シュヴェーヌマン伯爵がラトマに呼びかけた。
「言葉を慎みなさい。あなたは犯罪者なのよ」
マントに付着した唾液を、ラトマは不快感をあらわにしてハンカチで拭き取る。
赤いマントは【深きもの】の中でも上位に位置するものを表す。
海軍は、そのことを知らない。ただの趣向だと思っていた。
「今の私は、ラトマ・ナイアを名乗っているわ。もう正体を隠す必要もないから。海軍の師団長にして、深きものを統べる将軍でもあるのよ。あなたより、はるか高みにいるわ。あなたを父と呼ぶことすら、おぞましいわね。いくら母が、あなたを邪悪な因子の持ち主だからといって篭絡したとしても」
父の姓シュヴェーヌマンを名乗る気にはなれず、ラトマは母の名字を名乗っている。
「まさか、貴様は!」
「ええ。私は本物の海軍総司令ラトマ・シュヴェーヌマンではないわ。彼女は今頃母親ともども、吾輩かのエサにしてあげたから」
ラトマが、本性を現した。ダークエルフだった母の影響で、ラトマの肌はわずかに褐色がかっている。顔こそラトマそのものだが、自分は単にラトマの身体を借りているだけ。
「お前の母親が深きものの末裔と知らなければ、抱こうなどとは思わんかったわい!」
「ゲスが。【
ラトマの影から、ズズズと神官が現れる。
「貴様は!?」
シュヴェーヌマンには、見覚えがあるはずだ。
我が姉、ルクレツィアを呪われた【サメ使い】と罵り、追放させた張本人だから。
神官が、本性を表す。クジラを無理やり人間の形にしたような、背骨の曲がった老人へと姿を変えた。
「王女ラトマ様。よろしいので? お父上ですぞ」
「構わないわ。自分の娘すらまともに殺せないような出来損ないなんて、父ではないから」
「では」と神官は杖をシュヴェーヌマンに向けた。
シュヴェーヌマンの顔を、金魚鉢くらいの大きさを持つ水たまりが覆う。
「安心して、妻と一緒のところへ行きなさい」
「ぎ、ぎざ、ま」
シュヴェーヌマンが、ラトマに掴みかかろうとした。
だが、海水はさらにシュヴェーヌマンの身体へと入り込む。
やがて、大の字になってシュヴェーヌマンは動かなくなった。
「哀れな男ね。我が姉ルクレツィアのちからがなければ、今の権力すら掴めなかったというのに」
「どうなされます、王女? ルクレツィアを追いますかぁあが!?」
ノーモーションで、ラトマは神官を裏拳で殴った。
「口の聞き方に気をつけなさい。あなたごときが軽々しく、姉の名を口にするな」
ハンカチで、ラトマは手の甲を神経質なまでに拭く。
「も、申し訳ありません」
「姉はこちらで追います。あなたはさっさと、邪神復活を急ぎなさい。ザラタンが倒されたと聞きました。その街へ向かいます」
「はっ!」
神官が、影の中に沈んでいく。
「姉さん。ルクレツィア姉さん。もうすぐよ。もうすぐあなたに追いつくわ」
姉を屠るのは、自分だ。
誰にも殺させない。
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