風の声 森の唄

第36話 引き裂かれた運命〜恭介の話〜

出会いは、まだ研究員の頃。

龍神神社がある山は、子供の頃から行き慣れた山だった事から足繁く通っていた。

この山には、ある一か所に何故か絶滅危惧種に認定された植物が咲いている事があったので、毎朝、龍神神社を参拝してから、その辺りを散策して大学へと通っていた。

そんなある日、一匹の白い狐を見つけた。

罠に掛かっていて、足を怪我しているようだった。

俺が罠を外してやると、直ぐに逃げ出そうとしたが、罠で傷付いた足を引き摺るようにして歩いていた。

俺はその狐の足を消毒して、ポケットに入っていたハンカチで傷口を包帯の代わりにして巻いた。

その後、その狐が現れる事は無かったが、何故か俺が山を歩いていると、白い鳥が上から木の実を落として来たり、ウサギが在来植物が根を張り始めた場所を教えてくれたりするようになった。

だから俺も、山で見掛けた傷付いた動物や、植物の手当てをするようになった。

俺が30歳で助教授になった頃、崖に珍しい植物を発見した。

手を伸ばせば掴めそうな場所にあり、俺は必死に手を伸ばしてその植物を手にした瞬間、崖から転落した。

その時

「危ない！」

そう叫んだ声を聞いたような気がした。

目を覚ますと、そこは古い山小屋だった。

あんな高い崖から転落したにも関わらず、俺の身体は擦り傷しか無かった。

ぼんやりとした記憶には、大きな鷲が俺の身体を掴んでくれたように思う。

俺の顔を覗き込んでいたのは、本か何かから出て来たかのような綺麗な女性だった。

あまりの美しさに、一瞬ここは天国か？と思う程に美しい女性だった。

ただ、不思議と此処まで綺麗だと、興味も湧かないものだな……。

生きている……という感じが全くしない。

しかし、この女が中々面白い女だった。

どうやら大龍神の一人娘らしく、周りからは大事にされていた。

俺は彼女を「姫さん」と呼んで、「元の世界に返せ」と我儘を言いまくった。

どうやっても元の世界に戻れない俺は、木に登って何処までも続く世界を見ていた。

すると下から悲鳴が上がり、見下ろすとあの姫さんが木に登っていたのだ。

綺麗な着物の裾を帯に入れ、裸足になって木登りする姿に唖然としたのを覚えている。

「やっと捕まえた！恭介さん、あなたは直ぐに姿を眩ませるのですから……。捕まえるのに一苦労です」

彼女はそう言うと、それはそれは綺麗な笑顔を浮かべた。

彼女は俺達の世界の話を聞きたがり、「何故、人は信仰を忘れてしまたの？」と、小難しい質問ばかりを投げて来た。

そうかと思えば、俺が釣りをしていると

「恭介さん、私にも教えて下さい！」

と言っては、釣りをしてお付きの人に怒られていた。

破天荒な性格で、容姿と性格のアンバランスさが妙に気になるようになってしまった。

そんな時、時々彼女が寝込んでいるのに気が付いた。

そんな時、彼女は俺達人間が入ると、神聖な場所故に体調を崩すと言われて入れない場所に籠る。

酷い時は一週間、出て来ない日もあった。

「恭介さん！」

ここで暮らし始めて月日が流れると、いつも笑って走り寄る彼女の姿を見ないと、なんだか落ち着かない気分になるようになっていた。

「恭介さん、此処に居たのですね！」

その日は、龍神の里にある春の山へ1人で散策していた。

その山には桜が咲いていて、綺麗に花びらが散っている。

俺は山の上で寝転び、何処までも抜けるような青空を見つめていた。

そんな俺の顔を覗き込むように、彼女が顔を出した。

風に舞い散る桜の花びらをバックに、長い髪の毛を押さえて笑っていた。

「タツ…」

その時、初めて彼女の名前を呼んだように記憶している。

触れた頬は冷たく、血が通っているようには思えなかった。

「恭介さん？どうしたのですか？」

無邪気な瞳が、彼女に対して抱いてしまう劣情を責めているようで怖かった。

そっと頬から手を離し

「お前……又、倒れたんだって？あまり無茶するな」

そう呟いた俺に、彼女は驚いた顔をしてから

「心配をしてくれていたのですか？」

と言って微笑んだ。

まるで作り物のような美しさに

「なぁ……お前のその姿って、本物なのか？」

ある日、訊ねてみた。

するとタツは驚いた顔をして俺を見ると

「この姿は嫌いですか？人間の男は、美しい女を好きだと聞いたのですが……｣

と、不思議そうな顔をした。

「お前……それって、俺に気に入られるように、その姿になっていると言ってるみたいだぞ」

笑ってそう言った俺に、彼女は真剣な顔をして

「そうだと言ったら……迷惑ですか？」

と、タツが答えた。

「え？」

「私は恭介さんが好きです」

彼女の真剣な瞳が俺を見つめる。

でも、俺は人間で、彼女は龍神なのだ。

結ばれる筈の無い相手だと、はなから諦めていた。